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第三十二話 大災害

●32.大災害

 「林原さん、太陽フレアの活動レベルが『非常に活発』になるそうで、最悪の場合、ここ数日以内に100年に一度の極大太陽フレアが予想されるらしいのですが…、明日の西伊豆の海洋性藻類バイオ燃料プラントの視察は延期しますか」

「何、極大太陽フレアが起こるのか」

「はい」

「デマとかフェイクニュースじゃないよな」

「国立研究開発法人情報通信研究機構の宇宙天気予報の発表と書いてありますけど」

木本はノートPCの画面を見ていた。

「数日中だろう。具体的に何月何日の予想でないし、あってもカーナビの精度が落ちるぐらいだから、明日ということはないと祈って視察は行こう」


 西伊豆の海洋性藻類バイオ燃料プラントは、浮体間の海上に張られた網に藻が絡まった形になっていた。その周囲をゆっくりと回る作業船上で、施設長の説明を受けていた林原と木本。

「なんか海苔の養殖場みたいですね」

木本は腹を鳴らせていたが、気付いていたのは林原だけであった。

「そう見えますか。でもこの藻はバイオ燃料として抽出する油分が主体ですから食べられませんよ」

施設長は和やかに笑っていた。

「このプラントは結構、波に揺れていますが、藻が剥がれることはないのですか」

顔色の良くない林原は、船の揺れに少し酔っている感じであった。

「問題なく、しっかり張りついています。ちょっとした台風でも大丈夫ですが、あまりにも波浪が激しい場合は、少し沈めれば、やり過ごせます」

「なるほど。それでこれは陸上の藻で抽出するよりもコストは安くなるのですか」

「はい。現時点で20分の1程ですから、本格的に抽出するようになればガソリンよりも安くなります。その上、二酸化炭素の排出量も石油由来のガソリンよりも少なくなります。ただ自動車はバッテリーが主流になるかバイオ燃料になるかは微妙なところなので、将来的には航空機の燃料にするのが最適だと思います」

「これが上手く行けば、日本は新たな産油国になります。今後も頑張ってください」

「林原さん、早い所、政権を取って下さいよ。そうなれば、国富創生は国の後押しで開発費も増やせるのでしょう。我々はそれを待ち望んでいますから」

「いゃぁ、痛い所を突かれました。鋭意努力していますので、頑張ります」

林原は何気なく、作業船の自動操船装置パイロットLEDが緑から赤に切り替わり点滅しているのを見ていた。施設長の視線もそこに向いていた。

「船のナビがおかしくなったようです。それにプラント監視システムがダウンしています」

施設長は、乗船している部下に復旧を急がせていた。

「もしかして太陽フレアじやないですか。木本、ネットのニュースはどうだ」

「は、はい。あぁそれがつながりません。西伊豆の基地局がダウンしているみたいです」

「ここのプラントは太陽フレア程度のことでは、ダウンしないはずですが」

施設長はあり得ないといった表情をしていた。

「通常ならそうかもしれませんが、今回は100年に一度の太陽フレアだと予報が出てましたから」

林原は昨日の予報が今日だったかと無力感を感じていた。

「そうでしたか。とにかく手動で操船して施設の研究管理棟に戻ります」


 施設長や職員たちが慌ただしく動き回る中、林原たちは研究管理棟のラウンジにいた。

「木本、俺はホットの緑茶だったが…売り切れか」

「林原さん、現金を出してくれませんか」

「えっ、キャッシュレスで払えないのか」

林原は木本のスマホを見ていた。

「ここの自販機のスマホ決済は使えないんです」

「そうか。俺は現金派だから常に5万円分は持っているが、木本、有事の際のキャッシュレスの危うさがわかっただろう」

「そうですねぇ。滅多にこんなことはないと思いますが」

木本は林原から千円札を手渡されていた。

「我々がここにいても、何もできないし邪魔になるから、お茶を飲んだら帰るか」

「それじゃ、ここじゃなくて下田の喫茶店で一服する方が寛げる気がしますけど」

「それもそうだな。施設長に挨拶して出よう。ナビが使えなくても、地図は頭に入っているから運転は問題ないしな」

林原は木本に渡した千円札をつかみ取り、財布に入れていた。


 林原の運転するミニバンは、県道15号線で下田に向かった。少し走ると周囲に民家は見えなくなり、草木が茂る山道になっていった。峠のトンネルを抜けると道路わきの電線が揺れていた。

「木本、大風でも吹いているか」

林原は周囲の木々もやけに揺れて見えた。

「そんなことないですけど、なんか車がバウンドしている気がします」

「車の調子が悪いかな」

林原は停車させた。二人はミニバンそのものも揺れているのがわかった。

「地震です。それもかなり大きいですよ」

「おっ、ヤベェ、岩が落ちきたぞ」

林原はバックミラーでトンネル近くの土砂が崩れるのを見ていた。今走ってきた道は土砂と岩で完全に塞がれた。

「まだ揺れてます」

木本はドアノブ手をかけていた。

「出るな。車の中の方が安全だろう」

林原は周囲の様子を注意深く見守っていた。

 「おぉ、終わったようだな」

林原は窓を開けて外を見回した。

「これって、かなり大きな地震じゃないですか」

「太陽フレアに大地震か…、おい、また揺れ始めたぞ」

林原は窓を閉める。

「あれ、崩れそう」

木本は横の斜面の上の方を見ていた。林原は咄嗟にアクセルを踏み込み、急発進させた。大きな振動と共に岩が斜面を滑り出す。間一髪、ミニバンの背後に落ちてきた。それもほんの束の間、今度は進行方向の道路が地割れし始めた。急ブレーキを踏む林原。車は右前輪を宙に浮かせて停止した。

「行くも戻るダメか」

林原はミニバンを少しバックさせ、右前輪を接地させた。

「林原さん、怖いぃ」

「そんな顔するなよ。こっちまで怖くなる。大丈夫だ、峠は越えたから、ここから下田の駅前まで15~6キロだろう」

「でも。歩いたら4時間ぐらいかかるでしょう。その間に揺れがあったら」

「余震はあるだろうが、車は無理だな。ここの地割れが大き過ぎる」

「ここって伊豆ですよね。東南海地震が遂に来たのかしら」

「…その可能性が高いな。ネットもラジオもがつながらないからわからないけど」

林原は車のドアを開け、外に出ようとしていた。


 二人は30分程歩くと倒壊した民家がある集落まで来た。家の外に避難している住民は、呆然として倒壊した我が家を見ていた。林原は励ましの言葉をかけて行った。その集落を過ぎると地割れした畑が広がっていた。用水路のコンクリートがひび割れ、水が地中に浸透している箇所もあった。

「ここの復旧に時間がかかるぞ」

「ここから離れた東京の被害はどの程度なんでしょうね」

「震源がどこなのかにもよるな」


 しばらく歩くと、比較的多くの住宅が建ち並ぶ所まで来た。通りの沿い歩く住民の姿もあり、少しほっとした気分になった。歩き始めて1時間以上が経ち、木本が足に靴擦れができたと言い出した。林原は靴擦れはないものの、被害状況を見るにつれて、気持ちが落ち込んで行った。

 さらに40分程歩き続けると伊豆急の蓮台寺駅付近までたどり着いた。ここまで来るとホームセンターや旅館、コンビニなどもあった。しかし営業はしているものの客はほとんどおらず、支払いは現金という貼紙が見えた。

 「やはり伊豆急線は動いていないな」

「どうします。休憩しませんか」

「木本、足はどうだ」

「なんとか騙し騙し、歩いてますけど、あ、そうだ。ホームセンターでウォーキングシューズを買ってくれますか」

木本はヒールのある靴を脱ぎたそうにしていた。

「靴擦れは、大したことはなさそうだが、この先も歩くからな」

林原は木本も歩き方を見て判断していた。


 ホームセンターに入るとゴムボートを担いで出て行こうとする年配客とすれ違った。

「そのボートは何に使うのですか」

林原は嫌な予感がしながらたずねていた。

「あんた、知らんのか。下田駅の辺りは津波でやられたよ。わしゃ、親戚の家までボートで救出に行こうと思ってな」

「津波か、やはり…」

「親戚の話だと5~6mの津波というから、最悪想定の30メートルではないにしても酷いぞ」

「地形によっては格段に高くなる所もありますから」

「あんた、どこかで見たことがある顔だな…。テレビに出てたけど」

「あ、申し遅れました。郷に従え党の林原です」

「そう議員さんだったな。どうする国家の一大事が来ちまったよ。それじゃな」

年配客は入口付近に駐車してあった軽トラに向かってボートを担いでいった。


 「どうしますか。下田駅前は津波に襲われたんですよね」

木本は買ったばかりのウォーキングシューズを履いていた。

「ん…、今日はこれ以上進めないな。宿でも探すか」

「この辺りでも旅館の前には観光客が結構いますね」

「電車が動かないから足止めされているんだろう。道路も多分寸断されているだろうし」

「宿がないとしたら野宿ですか」

「いや、避難所があるだろう。取りあえず市役所に行ってみるか」


 市役所で教えられた近くの稲生沢小学校の体育館に向かっている林原たち。県道118号線を救急車がサイレンを鳴らしながら通過して行く。

「あの救急車、さっきから行ったり来たりしてませんか」

「どの病院もけが人や入院患者で手いっぱいだから、受け入れが難しいだろう」

「あそこを右に曲がったら小学校が見えるらしい。もうすぐだ」

「もう足が棒のようですよ。避難所で休まないと」


 体育館の中は避難している住民や観光客でかなり込み合っていた。林原たちは、段ボールで囲まれた一画をあてがわれていた。

「もしかして、今晩はここで寝泊まりするのかしら」

木本は市の係員からもらったお茶を飲んでいた。

「だろうな。不満そうだけど、宿は空いてないだろう」

「贅沢は言えないっていうか、さっき、ご夫婦はこちらで言ってませんでした」

「そう見られたのかな」

「まだ結婚なんかしてませんよ」

「文句を言うな。非常時だぞ。おっ、ヘリコプターのエンジン音が聞こえてこないか」

林原は、体育館の窓の外を仰ぎ見ていた。

「自衛隊のヘリじゃないですか。国会議員だと言えば、乗せてくれるかもしれませんね」

「…どうだろう。身分と言うか権威にもの言わせるのはな…」


 林原たちは着陸したヘリコプターを見るために校庭に出ていた。自衛隊員がヘリからスコップや電動工具などの初動救援物資を降ろしていた。その隊長らしき人物が、林原に気が付いていた。

 「我々4人は、被災地の先遣隊として参りました」

作業が終わった隊長が声をかけてきていた。

「自衛隊の皆さん、ご苦労様です」

「それで帰りのヘリは我々と入れ替わりに4人分の空きがありますので、林原議員と秘書の方をお連れすることができます」

「ありがたいことですが、もし急病人とかがいましたら、そちらを優先してください」

林原が言うと木本は余計なことを言ってという顔を一瞬していた。

「了解しました。体育館に急病人がいるか確認次第、離陸します」

隊長は敬礼をして立ち去った。


 「あぁぁ、さっきの救急車が来ましたよ。一人分は決定ですね」

木本は行き場を失っていた救急車が校庭に入って来るのをいち早く見つけていた。

「救急隊員も付き添うだろうから、二人分だな」

「それでも二人分はまだ空きがあるから良かったわ。早くヘリの所に行きましょう」

「どうやら、そのようだな。体育館にも急病人はいないようだし」

林原たちはヘリに向かって歩き出した。

 

 ヘリコプターがエンジンを始動させ、プロペラがゆっくりと回り始めた。

「林原議員、秘書の方、急病人は他にはいませんので、どうぞお乗りください」

隊長は林原たちを誘導していた。

「それでは…他にはいないようなので行きますが、ご配慮ありがとうございます」

林原が言っていると、エンジン音の中、微かに救急車のサイレンが近づいてくる音が聞こえてきた。隊長、林原、木本は校門の方を見つめていた。

 校庭にもう一台別の救急車が入ってきた。木本は残念そうな表情になっていた。救急車はヘリのそばまで来ると停車した。隊長と救急隊員たちは手短に話し合っていた。

 「どうでしたか」

林原は覚悟を決めたように静かにたずねていた。

「胸部打撲患者は既に搭乗していますが、今運ばれた患者は大腿部損傷で大量出血です」

「救急隊員はもう一人必要ですか」

林原は矢継ぎ早に聞く。

「いいえ、一人で事足ります」

「それじゃ、うちの秘書は乗せられますね」

「はい。…でも林原議員ではないのですか」

「私はここに残ります」

林原はキッパリと言い放った。

「林原さん…、私が…」

木本は少し涙目のようになっていた。

「いや、君が党本部に戻って被災地の状況を説明し、私が無事な事をベルガーさんたちに伝えてくれ」

「でも…」

「私は地震ぐらいでは死なないし、まだまだやらねばならぬことが沢山ある。絶対に死ねないのだ。大丈夫だ。さぁ、行ってくれ」

林原はそう言うと木本をハグしていた。


 ヘリコプターのエンジン音が高鳴り、パイロットは隊長に敬礼していた。酸素吸入器などの医療機器を積み、木本、患者二人、救急隊員を乗せたヘリはゆっくりと上昇していった。林原は木本に手を振って見送っていた。


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