第三十一話 ウォレス大統領
●31.ウォレス大統領
林原が懸命にペダルをこぎ続けると自転車の側面にある4基の二重反転ローターが、勢いよく回り出した。次の瞬間1mほど浮上し、前に進み始めた。電動アシスト空飛ぶ自転車を開発しているベンチャー企業のCEOと社員が見守る中、廃校になった校庭を飛行する。校庭に引かれた楕円状の線の上を半周したところで、自転車は着地した。
「なかなか、面白い乗り物じゃないですか。ただ体力がないと長距離は辛い…」
林原は息が荒くなっていた。
「まだまだ改良する必要がありますが、郷に従え党の後援とクラウドファンディングで集めた開発費があるので、なんとかものになりそうです」
「電動アシスト空飛ぶ自転車コンテストでも開催して、他のチームと競い合えば、もっと活気づく気がしますよ」
「まだ世界中どこも手を付けていない分野なんで、日本一が世界一になります」
CEOは目を輝かせていた。
「良いんじゃないですか。これを海洋性藻類バイオ燃料と共に、我々が提唱している国富創生事業の一つにしますよ。日本の政治家は、国会議員の経費や世の中の人件費などの支出の無駄ばかり探しては削って悦に入ってるようですが、新たな国富を生み出して収入を増やすことは何も考えていないと思います」
林原はベンチャー企業の面々を誇らしげに見ていた。スマホを耳に当てていた木本が駆け寄ってきた。
「どうした」
「ウォレスさんが次期大統領に選出されたそうです」
「共和党だけだと、選挙人が獲得できない州があったけど、数合わせは上手く行ったか」
「はい。ユタ州とケンタッキー州は、モーガンさんたちの尽力でアメリカGNSP党が勝利しましたから、共和党とアメリカGNSP党の連立政権という形になるようです」
「これでアメリカの二大政党制が崩れたか」
アメリカ大統領就任式の会場には宣誓を見守ろうと招待者が多数詰めかけていた。合衆国議会議事堂のウェストフロントだけでなく会場の周辺も含めると集まった人数150万人と推計されていた。お祭り騒ぎの熱狂ぶりとは裏腹に、ワシントンの東部時間1月20日正午の気温は2℃で、じっとして屋外のパイプ椅子に座っている林原と木本は寒さに震えていた。
「寒いな。本当に2℃なのか、もっと寒いだろう」
林原はコートの襟を立てていた。
「私はこれを貼ってと」
木本は着ぶくれしているコートの中に手を入れて腰の辺りに使い捨てカイロを貼っていた。
「木本、まだ使い捨てカイロはあるか。俺にも貼らせてくれ」
「ええっ、残り3枚しかないんですよ」
「わかった。これが終わったらいくらでもスイーツ食べさせるから、1枚だけくれ」
「スイーツですかぁ、でも今はカイロの方が大切なんですけど…」
「スイーツにロブスターもつける」
「わかりました。はいどうぞ」
木本は使い捨てカイロをバッグから取り出していた。
ウォレスが宣誓をし就任演説が終わった。一連の行事が終了したが、林原と木本は寒さに内容など上の空で、早く終わらないかと願い続けていた。
「大統領が何言ってたか、聞いていたか」
「いろいろな大統領令にサインするとか、アメリカ国内のルールに従わせるとか言ってましたけど、林原さんのスマホもちゃんと訳していましたよ」
「そうだったか。まぁ良いだろう。とにかく終わったようだから。退散しようぜ」
「あ、モーガンさんの秘書が手招きしてます。招待者用のミニバンに乗れるみたいです」
木本は通路に立っている女性を見ていた。
「そうか。それは地獄に仏だな。ミニバンはヒーターがギンギンに効いているだろう。パレードは車の中から見られるんじゃないか」
「どうでしょう。大統領の車列を盛り上げるパレードの末端に参加するみたいですけど」
「どっちにしても助かるよ。早く行こう」
ウォレス大統領の就任2日後、林原たちはホワイトハウスの大統領執務室にいた。
「セイシロー、私もようやく大統領になれたぞ。なるべく早いうちに与党になって、君も日本の総理大臣になってくれたまえ。そうすれば日米関係はもっと良い方向に進むだろう」
「そうなるように努力してますけど、日本には政治家のしきたりというか、既得権益や議員になって威張りたいだけの人が多く、世襲や学閥があり一筋縄ではいかないのです。しかし官僚は外圧には弱い。特にアメリカには弱く言いなりになります」
「それじゃ、私がセイシローを日本の総理大臣にしろ、とでも言うとなれるのか」
「まあ、そんなところです」
「わかった。機会を見て、圧力をかけてみるか。それはそれとして、今日、君をここに呼んだのは、見せたいものがあってな。まぁ、地下にあるコンピューター室に来てくれ」
ウォレスは執務デスクを離れ、歩き出した。
「大型のメインモニターには、右肩上がりで伸びる人口グラフが映っていた。これは1950年代の古き良きアメリカの家族観でAIシミュレートした結果なのだが、セイシローはどう思うかね」
ウォレスはメインモニターを見つめていた。
「保守的な家族観を復活させれば、今日の人口減は解消できるとAIが示したわけですか。これを見たら、女性解放団体が発狂するでしょうね」
林原が言うと、いかにもという表情を浮かべるウォレス。
「生物学的に見て、出産ができる時期の女性は家庭にいた方が人口が増えるし、その方が女性の負担が少ないと言う結果も出ているのだ」
「フェミニストたちから総スカンを受けそうですし、AIに学習させたデータが示威的だとか、いろいろな批判がありそうですね」
「バカげた奴らだ。男女平等は私も賛成だが、生物学的な違いを考慮した形が望ましいと思う」
「私も大統領と同感です」
「ノーノー、セイシロー、ハロルドで良いぞ」
「ですからハロルド、女性は子供が産める貴重な存在なのに、自由と平等、権利のために外で働くことが善でしょうか。全く男女平等にはできないでしょう。それに女性の方が寿命が長い。子育てを終えてから自分の好きな道を進む時間があります。女性なりの人生モデルが合っても良いはず、なにも男性の真似をするエセ男性になる必要はないと私も思ってました」
林原は秘めていた思いを吐露していた。
「性的マイノリティーもそうだが、考え方が行き過ぎると人類の存亡に関わることだと、気付いていないようだ。私はそれを是正したい」
ウォレスは決意めいた表情をしていた。
「性的マイノリティーの存在は認めて、奨励する必要はないと言えます。マスコミはどうも奨励しているようでなりません」
林原が"存在は認める"と言った所で、ウォレスは渋い顔をしていた。
「現在、G8やヨーロッパ諸国、中国の潮流として人口が減り出している。その元凶には、行き過ぎた男女平等の価値観があるのだと私は思う。減るからそれを補うために移民が必要だと言うことにもなっているから、全く困ったものだ。そこで考えたのだが、特にアメリカの場合、1950年代の家庭様式では人口が減ることはなかった。多くの女性は家庭を支え、子育てに専念できた。もちろん働きたい女性はいたが、大きな流れではなかった。要はここだよ、セイシロー」
「はい。まさには日本にも言えることです。男性は家族を養い家庭を守るため外で働き、休日には家族と触れ合う。これが果たして悪なのでしょうか。離婚した時の家計ということで働く機会を平等にすることは良いとしても、常に誰もが生理などの苦労を抱えながら働くことが善とは思えません。大多数の女性はある時期は家庭にいた方が良いと思ってました」
「だろう。セイシローはよくわかっているな」
「しかしここにも夫婦双方のリスペクトがないといけないので、基本的な規範が必要な気がします。例えば、男性はむやみやたら威張らず、女性に真摯に向き合うこととかが大切かも知れません」
「そこでだ。このAIシミュレート結果を踏まえての社会実験として、1950年代の古き良きアメリカの生活様式を市とか郡レベルで実践してみたいのだ」
「既にAIで結果が出ていますが、壮大な実験をしてエビデンスを作り、どちらの主張が的を射ているか証明するわけですか」
「すぐには結果が出ないと思うが、保守派や右派層の受けも良いから、面白いことになるぞ」
「ちょっとした観光名所にもなりますよ。日本でもやってみたいです」
林原の言葉に上機嫌になっているウォレス。
林原たちは自動運転タクシーを降りると、ワシントン・ダレス空港の国内線の方に歩いて行った。
「林原さん、国際線へ行かないのですか」
「うん。ハロルドが言っている古き良きアメリカ特区の建設予定地をちょっと見て行こうと思ってな」
「でもまだ、何も建っていないじゃないですか。あぁそれとホワイトハウスでは黙ってましたけど、1950年代って白人には郷愁を誘う黄金時代かもしれませんが、黒人にとってはまだ辛い時代だったんですよね」
「そうだけど、まさか黒人差別も忠実に再現するとは思えない。当時の家族観をクローズアップしているようだからな。木本、ユタのソルトレイクシティに行く便は、あっちだ」
林原は小走りになった。
「古き良きアメリカ特別区域駅って、どう見ても作ったばかりだろう」
林原たちはソルトレイクシティから列車で南に1時間程行ったユタ湖近くの駅で降りていた。
「そうですね。駅舎とホームはまだ一部は建設中じゃないですか」
木本はプラットホームの端越しに彼方に走り去っていく列車を眺めていた。
「まだ駅の周りにはあまり家は建っていないけど、あの家は”奥様は魔女”に出て来そうな家だな」
林原は工事車両が目立つ駅の周囲を見ていた。
「あれって50年代でしたっけ、60年代じゃないかしら」
「そうだったけ、俺も詳しくはないから、動画検索してみるよ」
特別区域のメインストリートを歩く林原たち。
「もう、住んでいる人達がいるんですね」
木本は歩いて来る家族を見ていた。
「あぁ、どうだろう。特区に指定される前から住んでいる人にも見えるが」
林原はさりげなく会釈しながら笑顔ですれ違っていた。
「なんかのんびりとしていると言うか、気持ちにゆとりがある感じに見えます」
「あぁ、でもそうでもなさそうだぞ。あのプラカードを掲げている連中を見ろよ」
林原の目線の先には、通りの曲がり角から歩いて来るデモの一団があった。
「プラカードには白人至上主義反対、男性社会反対、幻想のテーマパーク反対って書いてありますよ」
「やっぱり反対派いるな。おいおい、別の奴らも横の通りから出て来たぞ。奴らのプラカードは何て書いてある」
「黒人が少ないから治安が良かった、本来アメリカは白人の国だって書いてありますけど」
「こっちは極端だな。どちらもハロルドの意図する点を理解していないように思えるな。あぁ鉢合わせしてしまったか」
二つのデモ隊は、メインストリートで睨み合っていた。双方はプラカードの言葉を浴びせ合うものの、乱闘には至っていなかった。
林原たちが曲がり角に差し掛かる頃には、双方の距離はどんどん近づき、激しいヤジが飛び一触即発の状態になっていた。
「私はモーガン党首が率いるアメリカGNSP党の者ですが、ウォレス大統領がこの特区を立ち上げた理由をご存知ですか」
林原は木本が止める中、双方のデモ隊の間に割って入った。
「ん、あんた誰だ。連立の片割れか。そんなことは東洋人に言われるまてもない」
白人の男が吐き捨てるように言った。
「伝統的な価値観が
結婚や家族関係に強く結びついていた古き良きアメリカの時代の再現です。この時期のアメリ
カ人は、家族の結びつきや地域社会との関係を大切にし、学校や教会、地域活動にも積極的に参加していたと聞いています」
「だから、白人だけの町にしようということじゃないか」
「そこがちょっと違うのです。
当時でも気持ちに余裕がある多くのアメリカ人は白人黒人に関わらず、共に自己
実現や前向きな精神を重視し、アメリカンドリームを追い求めていました。確かに差別をする人達はいましたが、白人であってもそれは良くないという考えが着実に育っていました。共に理想的な未来を築こうとする努力が美徳ともされています」
「古き良きアメリカは、そんなきれいごとではない。こんな幻想のテーマパークに反対なんだ」
黒人が叫んでいた。
「だからと言って当時の社会的な課題や矛盾までも再現することはありません。なぜならば、現代を生きるアメリカ人が郷に従うからには互いにリスペクトする理念があるからです」
「そうかな…」
別の若い黒人が言う。
「あんたの言うことはペテンでしかない」
別の年配の白人が言う。
「あなた方がどう思っていても自由ですが、ウォレス大統領が選出された意味の一つがこの特区にあるのです」
林原の言葉に双方は不満そうだが黙っていた。
「あんたは、偉そうなこと言っているが、その言葉はウォレス大統領の真意なのか。証明して見ろよ」
白人が言っていると黒人の側もそうだと、同調していた。デモ隊両方が林原に詰め寄っていた。奇妙な協力関係があるようにも見えた。
「わかった。直接ウォレス大統領に聞いてみようじゃないか」
林原はスマホを取り出していた。居合わせた人々は、林原の様子を見守っていた。
「…セイシロー、黒人は何かと権利を主張する面もあるし、少ない方が治安は良いと言えるがな…」
「ハロルド、黒人問題とは切り離して、あくまでも家族的価値観を捉えていることにしませんと、古き良きアメリカ特別区域の支持者が大幅に減ります。ここはなんとか寛容さを発揮してデモ隊を納得させませんと…、それに口を挟んだ私の身も危なくなりますから」
林原が通話口では日本語で言っているので、デモ隊は意味を介さなかった。
「わかった。支持者が減っては困るからな。スマホの画面を彼らに向けてくれ」
林原はスマホの翻訳機能を解除し、画面に映るウォレス大統領の顔をデモ隊両方に見せる。双方のデモ隊から歓声が上がっていた。
「諸君の危惧する過去の不備は解消される。この特区の主旨は家族的価値観の再現にあり、人口を増やすことであり、移民不要を示すことである。互いにリスペクトする白人有色人種を含めた正式なアメリカ人の国にすることなのだ」
ウォレス大統領の言葉に先ほどまでの気迫が和らいでいった。
「ありがとうございます。全てのアメリカ人に寛容で繁栄を求める大統領。これで古き良きアメリカ特区は大成功します」
林原は、スマホの翻訳機能を戻して言っていた。
「はぁぁ、何事も起こらなくて良かった。林原さん、無茶はしないでください。アメリカは銃社会ですから。あ、そろそろ列車が来ますよ」
木本はホームのベンチに座りながら腕時計を見ていた。
「銃社会もあったか。いろいろとあるな。しかし俺の言ったことに本心では若干異論があったようだが、ウォレス大統領を持ち上げ過ぎたかな」




