第二十話 ラオス
●20.ラオス
『郷に従え』党本部の会議室には、林原、ベルガー、ケリーが集っていた。
「私は柿沢村長の後任はこの鹿取真一氏が相応しいと思いますが、ベルガーさんはどうですか」
「引き続き女性の方がウケが良い気がしますので、佐々木紀子さんの方を推します」
「私は一番若い河田良太氏の方が村に活気が満ちる気がします」
ケリーのスマホから日本語が聞えてきた。
「私としては河田氏は衆議院議員選での都市部の選挙区で出馬させたいので、今のうちに住民票を移しておきたいのですが」
「林原さんの考えには一理ありますね。都市部での『郷に従え』党の支持率は地方に比べて低いですから、若者にアピールしやすいでしょう」
ケリーは日本の事情にたいぶ詳しくなっていた。
「となると、鹿取氏か佐々木氏ですか」
ベルガーはモニター上の鹿取と佐々木の顔写真を見比べていた。
「今ここでしっかりと見極めないと、他党の候補者が出ない限り、村長は決まりになります」
ケリーは両者の経歴を見比べていた。
「ところで柿沢さんは、離党して引退するつもりですか」
ベルガーは柿沢の顔写真を見ていた。
「いゃぁ、あの人は基本的に田舎で暮らしたい人なので、どうでしょう。東京で経理をやるのは、気が進まないようですし、政治家としての野望もないですから」
「でも林原さん、彼女は党内で一番長く議員という村長経験があるので、次の衆議院選には出馬してもらいたいです」
ケリーも柿沢の顔写真を眺めていた。
「ここは私が党首として決めさせてもらいます。女性だからということでなく、佐々木紀子さんには鹿取氏に勝る熱意があるようなので彼女に決めましょう。それで柿沢さんには南條村が含まれる長野県の選挙区から衆議院選に立候補するように働きかけをします」
「今後の彼女の動きに注目ですね。私としては今後のアメリカの政治動向を詳細に分析しますね」
「ケリー、よろしく頼みます。それで、例の『郷に従え』党のAIエージェントの方は成果が出ていますか」
林原はシュルツたちを統括しているベルガーの方を見た。
「世界各国における議会で与党となる政策を模索し実行はしていますが、自律的にAIが判断するエージェントですから、結果が出るのには時間がかかります」
「いくら、ホームページ、シミュレーションゲーム、AI幹事長、ネット参加型議会といろいろと開発してきた、優秀なAI技術者のシュルツたちでもこのAIエージェントには限界がありますか」
「かなり複雑ですし、AIが人間を越える時代にはまだなっていないようですから」
ベルガーが言っていると彼のスマホに着信があった。ベルガーはスマホを黙って見ていた。
「ケリーさんは、今度はいつアメリカに行くのですか」
「そうですね。モーガン氏の予定次第でして、今の所わかりません」
「あ、ちょっと良いですか。先ほどのAIエージェントの件ですが、ラオスで成果が出ました。AIによる世論操作と現地の政治家や我が党員が動いてくれ、まずは社会主義的多党制に移行するそうです」
「社会主義の国で『郷に従え』党が合法的に認められたのですか。それは大きな成果だ」
林原はニコやかであった。
「容易に世論操作ができたのは、近年急速にインターネットやスマホが普及してきたラオスだからだとシュルツは分析しています」
「なるほど、まだ国民がネット環境の成熟域に達していないのが功を奏しましたね。これが北欧の国々などだったら、そう容易に世論操作はできないでしょう。もっと巧妙なやり方を研究する必要があります」
ケリーはまだそれほど喜んでいる様子ではなかった。
「これでAIがもっと進化したら、グルーバル与党として世界統一も夢ではなくなるかもしれませんよ」
林原は新たな時代に差し掛かった気がしていた。
ヴィエンチャンにある『郷に従え』党ラオス支部は、深い色合いの金色の仏舎利塔が建ち並ぶタート・ルアンの近くの民家だった。白い塀に囲まれた二階家で、青色のペンキで塗られた門には『社会・郷に従え党』とラオ語で書かれた看板が掛けられ、何台かのスクーターが無造作に敷地内に置かれていた。
「ラオス議会が社会主義的多党制に移行したことは、まず大きな第一歩と言えますが、これから何回かの選挙を経て与党にならなければなりません。我々はそのための支援は誠心誠意やるつもりです」
林原の言葉はスマホを介して英語になっていた。
「ありがとうござます。しかし、びっくりしました。世の中は一生かかっても変えられないと思っていましたが、『郷に従え』党に出会って何とかなりそうな気がしてきました」
ラオス支部長のジョーイー・ヤンは英語で言っていた。
「まさにインターネットとスマホの影響は大きいと言えます」
「そうですね。ついこの前まで、スマホなんて金持ちが見栄で持っている感じでしたけど、今や誰もが手にしています」
「今後もスマホが重要な役割を果たします。今の所ラオス政府は、国民の反政府的な意見のガス抜きのような形で社会主義的多党制を認めました。しかし形式的に複数の政党が存在する形でなく、実際に政権交代が可能なものにする必要があります。そのために影響力をある立候補できそうな人物を集めるか育成して欲しいのです」
「『社会・郷に従え党』には、志があるものは何人かいますが、本格的な選挙というものに慣れていません」
「その人達には日本に来てもらい、名ばかりの選挙とは違う本物の選挙は何かを肌で感じてもらうと良いでしょう」
「それで人選は済んでおりまして、私を含めて5人が日本に行くつもりです」
「そうでしたか。それは話が早い」
林原が言っているとヤンの部下が血相を変えて部屋に入ってきた。何かラオ語で話していた。
「林原さん大変です。この地区がロックダウンされました」
「ロックダウン。何の感性症ですか」
「新型マークⅡ感染症だそうです」
「新たなタイプなのか。でも私もケリーさんたちも誰も症状は出てないようだが」
「とにかく、この地区から出るためにはPCR検査で陰性になる必要があるとのことです」
「メコン川の上流は中国だからあり得ないことではないな。わかりました検査を受けましょう」
近くの通りに停まっていたPCR検査ができる医療車両から林原、ケリー、田沢、ヤンたちが降りてきた。
「結果は1時間後に出るそうです。すみませんね。リモートで話をすればこんなことにならなかったのですが」
ヤンは申し訳なさそうにしていた。
「いや、実際に会って話をしなければ、わからないことはありますし、気にしないでください。ただ日本に来る予定の人たちは陽性でないと良いのですが」
林原は日本来訪予定者たちも医療車両から降りて来るのを見ていた。取りあえず結果が出るまで『郷に従え』党ラオス支部の民家で待つことになった。
テレビでもネットでもヴィエンチャンのロックダウンのニュースは流れていて、保健省の大臣が会見をしていた。
「ケリーさんラオ語をスマホで訳せませんかね」
「ラオ語から英語、そして日本語ですが、今調整していますので、取りあえず録画しておきましょう」
ケリーはスマホとタブレットPCをリンクさせて調整していた。
「林原さん、やっぱりラオスはネット環境が安定していなのか、画像がブレて見にくいっすね」
白い感染症防護服を着た男たちと話しながらヤンが部屋に戻ってきた。
「どうも、我々全員が陽性のようでして、これから救急車で隔離施設に移動するとのことです」
ヤンはさらに申し訳なさそうな顔になっていた。
林原たちはヤンの民家から救急車で15分程南に向かった所で、メコン川に停泊している150トン前後の白く塗られた河川船舶の隔離病院船に乗り移った。病院船では林原たち外国人とヤンたちラオス人は別々の部屋に収容された。メコン川の上流方向にゆっくりと進んで行った。
「停泊して隔離するのではないのか」
林原は川の側からヴィエンチャンの景色を眺めていた。
「もっと上流に隔離施設でもあるんすっかね」
「病院船にしては、ちょっと不衛生な気もしますけど、時間はありそうなので、スマホの翻訳調整をしておきます」
ケリーはスマホとタブレットPCをショルダーバッグから取り出していた。
「新型マークⅡ感染症の薬ってありましたっけ」
田沢は不安げであった。
「新型だから、今までの薬では効き目が弱いのだろうな。しかし、いつ感染したんだろう。心当たりがないのだが…」
「空港じゃないっすかね」
「ヤンさんの所でコーヒーを飲んでいるのもあるかもしれない」
「あのぉ、林原さん。ラオ語から日本語にダイレクトに訳すことはできましたが、大臣の会見の映像がフェイクの可能性があります。2箇所だけ口の動きと言葉の発音が微妙にズレている箇所があるとAIが判定しています」
「ケリーさん、それは確かですか。だとするとこの病院船もニセモノになりますけど」
林原は急に危険を感じ始めた。
「鍵が掛かっています」
田沢は素早くドアの所に行き、ドアノブを回していた。
「いずれにしても悪意があることは確かだ。脱出しよう」
「ヤンさんたちもグルなんっすかね」
「それはわからんが…、ロックダウン会見の映像を逆手に取るか。まだフェイクニュースだという訂正のニュースは報道されていないよな。だとすれば、国民全体が騙されているはずだ」
林原は窓越しに夕日が沈み暗くなりかけているのを見ていた。
「でもあのフェイクニュースが、我々の周囲のネットやテレビにだけ流れているとしたら、どうなりますか」
ケリーは林原の考えの盲点を突いてきた。
「どちらでも同じです。今度はラオス中のネットに流すわけですから」
林原の言葉にスッキリとした表情になったケリー。すぐに新たなフェイクニュース画像とSNSの呼びかけの辻褄が合うように手直しを始めた。
「シュルツさんたちが、いれば良かったんですが、ケリーさんで大丈夫っすかね」
「アプリの立ち上げを一からやるのではないし、彼女もかなり詳しいから画像の加工などもお手の物だろう」
「何か自分にできることはないっすか」
「そうだな、ヤンさんたちの様子を見られないかな」
林原はすっかり暗くなった窓の外を見ていた。
「窓から外に出て、彼らの部屋が覗けますかね」
「いや無理だろう」
ケリーがタブレットPCのエンターキーを心地良く叩く音がした。
「できました。欧米や日本などのファクトチェックのプロが見たらすぐにバレますが、ラオスなら何とかなります。今から2回目の緊急記者会見とした保健省の大臣のフェイク映像をネット上に流します。これでロックダウン逃れの船があるから停止させろとSNSで呼びかければ反応があるはずです」
「ケリーさん、よくやってくれました。後はSNSの力を信じるしかありません」
約1時間後、ヘリコプターが上空を旋回するエンジン音が聞こえてきた。サーチライトが病院船を照らし、メガホンから厳しい口調のラオ語が響いていた。病院船内では、通路から船員たちが慌ただしく駆けまわる足音が聞えてきた。病院船のエンジン音が急に大きくなり、船速が増した。
「逃げ切るつもりっすかね」
「田沢、あのドアが開いたら、そこに居る奴らを叩きのめそう。人質にされるかもしれない」
林原と田沢は、ベッドの横にあった花瓶を持ってドアの両脇に立つ。すぐにドアの鍵が開き、自動小銃を持った男が二人、入ろうとしてきた。機転を利かせたケリーは、わざとらしく悲鳴を上げて注意を引く。その隙に林原と田沢が男たちの頭に花瓶を振り下ろし、飛びかかった。花瓶が砕ける音がして、一人は倒れたが、もう一人は倒れかけながら発砲した。林原の肩口を銃弾がかすめ、シャツを引き裂いた。ムッとした林原は、銃口をつかみ天井に向けさせた。そのもみあいの最中、ケリーがパイプ椅子で男の頭に一撃を食らわした。田沢は倒れた男から小銃を奪い取り構えていた。入ってきた男たちは血まみれになり縛り上げられ、銃口を向けられていた。
病院船のエンジンが止まり、怒号と共に大勢の足音がする。数発の発砲音がすると、怒号が消え、呼びかけるようなラオ語が聞えてきた。ラオス警察の警官が林原たちの部屋に入ってきた。
「連れ去られる所でした、助かりました」
林原が言うとスマホが訳していた。
「ロックダウン逃れの一味ではないのか」
警官の言葉は的確に訳されていた。
「はい。どこかの施設に連れて行かれる所でした。一味ではありません。その証拠にこいつらを縛っておきました」
「そうでしたか。詳しい事情を警察で聞きましょう」
警官は縛り上げられた男たちを見ていた。
3日後、ワットタイ国際空港の出発ロビーには林原と見送るヤンたちがいた。
「それで我々を連れ去ろうとした犯人の詳細はわかりましか」
「組織的な背景はわからないとのことで、個人のしわざとしているようです」
「個人…それは変だ。自動小銃を持っているし、ネットも操作している。たぶん『郷に従え』党に危機感を抱いている中国の工作員のしわざでしょう。ラオスでは簡体字の看板を結構見かけますから」
「林原さん。また何らかの襲撃などがあるのでしょうか。我々はどうすれば良いのですか」
ヤンは心細い顔をしていた。
「しばらくは、何もしてこないでしょう。警察の目もある程度はあるので」
「しばらくですか…」
「いずれ工作員などに対処できる親衛隊のような実行部隊が必要だと思います。1週間後に日本に来る際には、ついでに台湾に行って百団のアドバイスや訓練を受けた方が良いでしょう」
林原はヤンたちが安心するように笑顔を向けていた。




