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第十八話 中央アジア

●18.中央アジア

 林原たちをカザフスタンに招いた『郷に従え』党支持者のイリハン・カムスは、東トルキスタン青年同盟の代表であった。講演の1時間程前には、近未来的で奇抜な建物がいくつか建っている首都アスタナをカムスが車で軽く案内していた。林原のスマホの翻訳機能にカザフ語を急遽追加したのだが、AI学習がまだ充分でないため、少し訳が変になる部分があった。そこでカムスはドイツ語ならわかるのでベルガーが不適切な訳を修正していた。

 林原はバイテレクタワーが窓から望めるリクソス・プレジデントホテルのバンケットルームで講演をしていた。

「…私はムスリムの伝統や習慣を西洋的な価値観で変えさせようとは思っていません。なぜならば郷に従えという理念を持っているからです」

林原の日本語はスムーズに翻訳されていた。

「それは承知しています。しかし世界統一となると、ムスリムと西洋社会が少しずつ譲歩して折り合いをつけることになるのでしょうか」

聴衆の一人が質問してきた。カザフ語の訳にアプリが手間取っていたので、カムスからベルガー経由で日本語になっていた。

「いえ。どちら側も何一つ譲歩する必要などありません。現代で世界統一と言っても、ほとんど暮らしに変化はないと言えます。その国の信仰や伝統文化は尊重され、スマホのアプリがあるので言語や通貨の統一は必要ないでしょう。またグローバル政党としての『郷に従え』党ですから、党則によって政策に縛りのようなものが出てくることは当然あります。しかし選挙による与党が『郷に従え』党なので、受け入れられなけれは下野させることも可能です。ですから武力による統一でなく、世界各国の『郷に従え』党が与党となった時、世界統一が成し遂げられるというわけです」

林原が言い終えるのを待ってすぐに別の聴衆がカザフ語で反論してきた。だが、スマホの翻訳機能が意味不明なことを言ったため、カムスがベルガーにドイツ語で言い伝えていた。少し間が空いた。

「翻訳アプリはAIにもっと学習させないとダメですね」

林原の言葉はスムーズに訳され、場内が和んでいた。

「えぇぇ、彼は…、しかし東トルキスタン、つまり新疆ウィグル自治区の同胞を救うには、無傷と言うことにはならないし、武力が必要で莫大な資金がないと、と言っています」

ベルガーが日本語にしていた。

「軍隊による占領や併合はなく莫大な戦費も必要とせず、統一戦争で犠牲者が出ることもほとんどありません。ただ政策は実行力があるので、国連のように名ばかりの制裁といった無策無能ということにはならないでしょう」

「コクレン、タヨリなぁい」

聴取からたどたどしい日本語が飛んでいた。

「ヨーロッパでハプスブルク家出身者が各国の王になったり、モンゴル帝国が各汗国に分かれ軍門に下れば宗教や文化に寛容だったことに似ている部分はありますが、政略結婚も武力も必要としません。過去のいかなる世界帝国とも異なる形の新しい世界制覇になります」

林原は聴衆を見渡しながら間を置いた。

「国境紛争、移民や難民問題はどう対処するのですか」

この聴衆の言葉はドイツ語だったので、スムースに訳されていた。

「人々の移動はある程度制限する必要があります。インタネットが普及した現代では、移動しなくてもバーチャルでいろいろなことが可能です。本当に必要な移動だけに限定すれば、不法移民やオーバーツーリズムのようなことは起きないはずです。後、感染症のリスクも減ります」

「旅行する自由を奪うのですか」

挙手した聴衆の言葉はスムーズに翻訳されていた。

「そうは言っていません。旅行しなくても自分の居住地に居て、体験したり景色を見ることは、かなりリアルにできます。行列に並んだり渋滞することなくです。それでも行きたい方は行けば良いのです」

「国境紛争や難民はそうは行きませんよ」

頭にスカーフを巻いた中年女性が言っていた。

「難民が発生する国では『郷に従え』党が与党になって、国外に脱出しなくて済む政策を実行します。対立関係にある国の両方の与党が『郷に従え』党になれば互いにリスペクトするという理念があるので、和解や話し合う余地が生まれます。時間はかかると思いますが、取りあえず休戦状態にして、武力によらない解決を模索します」

「でも、それらって結局、相手の政体、我々の同盟で言えば中国の政体が変わらない限り実現しませんよね」

カムスは他の聴衆を抑え、代表するかのように、たたみかけてきた。

「はい。ですから変わるようにネットやAIを駆使して、一党支配でなく多党制に移行するように働きかけなければなりません。実際に台湾などででは既に行動しているグループがいます。彼らと連携すれば、東トルキスタン共和国の実現も夢ではないと思います」

「言うのは簡単ですが、できますか」

カムスは周りの聴衆を見ながら言っていた。

「現代はネットというツールがあります。以前に比べて民衆を操作することが容易になったかもしれません。我々『郷に従え』党は世界各国の賛同者と手を携えて行くつもりです」

「あなた方は『郷に従え』と言うものの、単に排他的でなく他者を尊重し連携するわけですか。よくわかりました。本日はありがとうございました」

カムスが言い終えると聴衆は林原に拍手を送っていた。


 リクソス・プレジデントホテルのラウンジでコーヒーを飲みながら寛いでいた林原たち。ベルガーはカムスの部下から何かドイツ語で告げられていた。

「林原さん、ロシアの『郷に従え』党の支持者から連絡がありまして、シベリアで人質テロ事件が発生したので、至急その交渉役として来て欲しいとのことですが、どうしますか」

ベルガーは気が進まない様子だった。

「交渉役ですか。テロリストはどんな人物かわかりますか」

「ドイツ系ロシア人でして、なかなか複雑な歴史があります」

「それって、シベリアに強制移住させられたドイツ人たちのことですね」

「ご存知でしたか」

「そういう人たちがいたことだけは知っていますが、詳しくは知りませんけど」

林原が言うとベルガーは手短に歴史について説明していた。

 「人質交渉などしたことはないですけど、ロシアの支持者が頼りにしてくるのでしたら、人肌脱ぎましょう」

「林原さん、ドイツ人の私としては複雑でして…、たぶん犯人は人質を解放したらその場でテロリストとして射殺されるでしょう」

「私が交渉の際、その不遇のドイツ人が殺されずに解決できる方法を模索します」

「とにかくシベリアに行くのですね。その旨を伝えてきます」

ベルガーは小走りにラウンジを出て行った。


 テロ事件現場のシベリア西部オムスク郊外までは、アスタナからロシア警察がチャーターしたヘリコプターで1時間40分程であった。

金色のドームを冠したメチェチ(イスラム教会)の周囲は警官隊に包囲されていた。林原たちは現場の指揮官たちと手短に挨拶を交わした。既に警官側のスマホは日本語に設定されていたので、スムーズに会話はできた。

 「それで現在、テロリストは人質12人を捕りたてこもっています。全く郷に従わない不届き者です。人質がいなければ、一気に叩き潰す所でしたが…。林原さんが来てくれれば、交渉が上手く行くと思います。たまたまカザフに来ていることがラッキーでした」

ロシア人の『郷に従え』党支持者の警官アンドレイ・イワノフは嬉しそうにしていた。

「テロリストは何人ですか」

「自動小銃を持った一人か二人です。郷に従って人質を解放するように説得してください。お願いします」

「わかりました」

林原が一人で行こうとするとベルガーが呼び止めていた。

「もしスマホが使えなくなったら、どうします。通訳が必要でしょう」

ベルガーも行こうとした。

 林原たちは警官隊の囲みから出て、両手を上げて教会の入口に向かった。

「お前らなんだ。まず5000万ルーブルは持ってきたか」

教会の窓が荒々しく開き、中から声が聞えてきた。すぐに林原のスマホが反応して訳していた。

「その前に話がしたい。我々二人が中に入るから人質2人を解放してくれ」

「解放したら、私が持っている500万ルーブルをまず渡す」

 教会の扉が開き、中から女性が出てきたが、林原を手招きしていた。

「入れ替えだな、人質を解放しろ」

「いいから、中に入れ」

姿なき声が叫ぶ。林原とベルガーが中に入ると女性が扉を閉めていた。よく女性を見ると腹の辺りに爆弾のようなものが縛り付けられていた。

 絨毯が敷かれた内部の中央に人質がかたまって座らされていた。らせん階段の支柱の陰に黒い目出し帽を被った男が立っていた。

「私は『郷に従え』党の林原で、こちらがベルガーです。スマホが機能しなくても大丈夫、彼はドイツ語がわかる。あなたをどう呼べばよいのだ」

「俺はシュミットだ。あんた日本人か、全然関係ないだろう。他の奴と話をさせろ」

スマホが訳していた。

「私は頼まれてここに来た。いろいろな要求があるようだが、お金を用意するのに時間がかかる。まぁ話を聞いてくれ」

「もう何時間も待っている。もう限界だ。人質を殺す。俺は本気だからな」

「よせ。ロシアにして見れば郷に従えだが、シベリアに強制移住させられたドイツ人の苦難の歴史を考えれば、言い難い面もあります。しかし本来そこに居るべきでない所にいるわけだから、本国に帰国するか溶け込むかになるんじゃないですか」

「戦後ドイツに帰国するカネがなかったから、残った子孫はどうすれば良い。ここでどう生きれば良いのだ」

「しかしあなたの要求にある、一度は消滅したドイツ系住民の自治共和国を再度設立することは軋轢を生むでしょう」

「ドイツに帰っても居場所がないと親戚から聞いたことがある」

「だとしたら、ここに留まるしかないでしょう。そこで双方が受け入れられる独自のその地域に根差した新しいルールや慣習を作り、従うことはできないですか」

「できないから、こうして行動に出たまでだ」

「その地域と分断されたコミュニティー作るのではなく、どちらか一方に押し付けや強制がなく、互いにリスペクトし合えるものをです」

「それは理想だな。でも現実は違う」

「時間がかかるができないことではない。郷に従い、双方にリスペクトがあれば、世界は安定します」

「時間か、これが上手く行かなきゃ、俺は殺される。時間などない」

「我々がシュミットさんを助けられるとしたら、どうしますか」

「おいおい。あんた頭は大丈夫か。あんたに銃口を向けている男を助けるのか」

シミュットはせせら笑っていた。

「助けたらどうする」

林原の口調が変わると翻訳アプリもそれに合わせていた。

「そうだな…熱心な郷に従え党員にでもなってやるよ」

「わかった。まず俺が人質になるから人質たちを解放してくれ。それから逃走用の空飛ぶ車を要求してくれ」

林原は不敵な笑みを浮かべていた。


 解放された人質はベルガーと共に教会から出て行き、警官隊の輪の中に入って行った。30分程経つと無人の空飛ぶ車が着陸した。

 「これに乗るのかい。しかしGPSは付いているだろうし、盗聴もされているだろう。逃げられるか」

シュミットは渋い顔で空飛ぶ車を見ていた。彼の不安な感情はスマホには反映されていなかった。

「わからない。ただ俺に銃を突き付けているから狙撃はまだされないだろう」

林原が小声で言うと、スマホも音量を対応させて訳していた。

 林原が操縦席に座り、オートを解除してマニュアルにしてからモーターを始動させた。

「あんた、操縦はできるんだろうな」

隣に座るシュミットは、じーっと林原を見ていた。

「何回かやったことがある。しかしこれは中国製か」

林原が言っていると、急に空飛ぶ車が浮き上がった。車は上昇しながら東南方向に飛んでいき、それをベルガーや警官たちが見上げていた。


 イルティシュ川の上空にさしかかると、高度を下げ川面スレスレを飛んだ。川に沿うように飛び、4キロ程進んだところで、左右にふれだし河原の岩に接触しそうになっていた。さらに高度の上下が頻繁になり、川面に触れて水飛沫を上げたりもしていた。その後、400mほど進むと空中爆発して、シュミットが人質解放で手にした500万ルーブルの紙幣が宙に舞った。車体の残骸が川にばら撒かれ、紙幣断片と共に沈んで行った。


 空飛ぶ車の爆発地点近くの岸辺にはたき火がたかれ、毛布にくるまれた林原をしゃがみ込んでいた。警官たちが周囲にシュミットが潜伏していないか探していたが、誰もいなかった。ボートに乗った警官は川底でバラバラになった残骸を確認していた。

 「中で犯人と格闘して車から飛び降りたのですか」

警官が林原に尋ねてきた。ベルガーが林原に向けていたスマホから訳された日本語が聞えていた。

「はい。奴のカネは取り戻せなかっですけど」

林原は悔しそうにしていた。

「でも人質を無傷救出できたのですから英雄的な働きですよ。これはオムスクのトップニュースで報道されます」

警官の間から割って入ったイワノフは林原に頼んだ自分の功績のように言っていた。

「林原さん、無茶はしないでください。たまに過激な本性が出てしまいますから」

ベルガーはやれやれと言った表情であった。

 かなり離れた対岸の岸辺からこちらを見ている帽子を深めに被った男がいた。その男は片足を引きずりながら、ゆっくりと歩き出した。たまたま通りかかった長距離トラックにヒッチハイクして乗り込んでいった。 


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