9. ちぢんでー!
突然現れた狼が、3人の窮地を救った。
彼らの目的は一体?
三人が硬直している間に、白狼はうまいぐあいに窓から熊を追いたてた。
そして命からがらといった様子で小屋から離れて行くヒグマを追いかけて、木立の闇の中へと消えていった。
「それで」ギュンターが言った。「次は俺たちの番ってわけか?」
黒狼はつがいの走り去る方向にじっと耳を傾けていた。
「俺たち? あなたと、あなたの後ろの男性ですか?」
そう言ってキャタリーに視線を向ける。「追い払ったほうがよいのですか?」
唐突に話を振られて、キャタリーはぎょっとした。
「わたし?」
「そうです。我々はあなたを助けに来たのですよ。肉の人」
ギュンターが疑うような目で自分を見るのが、キャタリーにはわかった。
「でも私、助けてもらうような理由があったかしら……」
ふいにそばの茂みが揺れ、小さな影が三つ飛び出した。
灰色の和毛を揺らして、ころがるように駆けてくる。
子狼だ。
黒い狼にとりついて甘える姿に、キャタリーは見覚えがあった。
「ひょっとして、私の置く肉を食べている?」
「はい。いつも貴重な食料をわけていただいて、ありがとうございます。
今年は実りが少ないので、とても助かっているんですよ」
彼女は無表情だったが、キャタリーには彼女がほほえんでいるように感じた。
「そうだったの。こちらこそ危ないところを助けてもらって、どうもありがとう」
「それで、そこの方々は追い払った方がよいのですか?
あの熊を引き連れてきたのもそちらの男性ですね。
害になるのであれば、この場で噛み殺すこともできますよ」
声色を変えずに狼がいう。
優雅に座ってはいるが、それが冗談や比喩ではないことは明らかだった。醸し出す雰囲気と圧倒的な余裕が、確実にそれを実行するだけの実力を備えていることを容易に想像させた。
「はぁ!? 獣がいい気になりやがっ」「ちょっと待ってくれ」
即座にギュンターがいきり立つのを、ゲロルトが割って入って止めた。
「たしかに、あの熊を連れてきてしまったのは俺たちの落ち度だ。こいつ––––ギュンターが土饅頭から鹿肉を拝借してからずっと、後を尾けまわされてどうすることもできなかったんだ。すまない」
「丸ごととったわけじゃねえぞ。ほんの一切れだけだ!」ギュンターが言い訳する。
ゲロルトはさらに続ける。
「こいつはバカなんだ。特に食いものの話になると、手のつけられない特大のバカになる。
でも悪気はないんだ。ここへ来たのも、何かを奪ってやろうとかそういう理由じゃない。
もし本当に魔女が住んでいるなら、助けを頼むつもりだったんだ」
「でも私を抑えつけたわ」
キャタリーが憤然とする。
「あれはお前があんなことするからだろうが!」
ギュンターが肩を押すので、キャタリーはよろめいた。
狼が立ち上がり、低く唸る。子狼たちは、さっと後ろへ隠れる。
「やめろバカ」
ゲロルトはギュンターの頭をわしづかみ、二人そろってキャタリーに深々と頭を下げた。
「元はと言えば、日が落ちてから女性の家にズカズカ足を踏み入れた俺たちが悪い。
俺もこいつも焦ってたんだ。悪かった。許してほしい」
キャタリーは幾分気まずさを覚えた。
よく思い返せば、たしかに先に手を出したのは自分だったような気がする。
あのような訪問を受ければ、誰だって先手を取ろうとするのは当然とも思うが、その上でクマの襲撃から守ってもらったのも事実だった。
それに今ここで謝罪を拒絶したら、きっとこの二人は本当に無事では済まないだろう。
キャタリーは素直に頭を下げた。
「私もやりすぎたわ。ごめんなさい。ゲロルト、さっきは庇ってくれてありがとう。それからギュンターも……ええっと、そうね。あ、私を囮にするようなことをしないでくれてよかったわ。ありがとう」
黒狼が緊張を解く。
ギュンターが頭の手を払いのけ、ゲロルトは顔を上げて安堵の表情をみせた。
「おや、仲直りかな」
下草をかき分ける中から、深く落ち着いた男性の声が響いた。
去っていったのと同じ方向から白狼が現れたのだった。
「おかえりなさい、あなた」
黒狼が声をかける。
子狼たちがわっと駆け出して白狼を取り囲んだ。
「川向こうのかなり奥まで追いやってきたよ。あれだけ怖がっていれば、もうこの辺りには近づかないだろうね」話しながら黒狼に近づいて頬を擦り寄せる。
そしてギュンターを見つけると、諭すように言った。
「考えなしに行動してはいけないよ、人間の坊や。
あれはあれで、土地の均衡を保つ立派な役目をもっていたんだ。今回のことは、彼にかわいそうなことをした」
「はぁ!? 俺に説教してんのか? 獣が? 俺らは死にかけたんだぞ! 熊なんて一匹いなくなったところで変わんないだろ!」
「やめなさいよ」
キャタリーが諌める。
ゲロルトはギュンターの後頭部をおもいきり叩いた。
白狼は鷹揚に笑い声をたてて言った。
「構わないよ。まだ興奮してるんだろう。それに、若いうちには、己の視座の低さにはなかなか気づけないものだ」
若者に教える老人のような穏やかさで、ギュンターに語りかける。
「彼はね、北の森に草食獣が増えすぎないようコントロールしていた。
木々の実りを食い、遠くで排泄し、種子の運搬にも一役買っていた。
そしてこの冬は眠らずに飢えて死に、小動物たちの春までの養分になるはずだった。
誰にも役割があり、時に本人が意図しないところで秩序に組み込まれ、その一部を担っているものだ。
だから他者へ何かを働こうとするとき、絶対に相手を軽んじてはいけないんだよ。
そして必要以上に恐れてもいけない。
恐怖は怒りになり、過剰に周囲を傷つけることになるからね」
ギュンターはなにも言い返さない。
ただ、握りしめた拳が少しだけ震えているのを、キャタリーは見逃さなかった。
「さあ。お説教はこのくらいにしよう。そんなことより、みんな怪我をしているね」
白狼が朗らかに指摘すると、察した黒狼が子供たちを鼻先でつついた。
「さあ、あなたたち。肉の人とお友達にどうすればいいか、わかりますね?」
三匹の子狼たちは、短い尻尾をパタパタと振りながらキャタリーたちへ駆け寄った。
「にんげんおおきいね!」
「ちぢんでくださいっていうんだよ!」
「ちぢんでください!」
つたない発語できゃいきゃいと騒ぎながら、後ろ足で跳ねてキャタリーたちにすり付く。
幼い子供にしてやるように、ゲロルトがしゃがんで視線を合わせた。
「これでいいか?」
子狼はうれしそうにゲロルトの膝に前足を乗せた。
そして乾いた血が固まっている頬を、小さな舌でぺろぺろ舐める。たちまち傷口が塞がり、アザが消えていった。
「ゲロルト、傷が消えてるわ」
教えられて初めて、ゲロルトは自分の身に起きた奇跡を知った。
手で触れてなめらかになった肌を確認し、驚嘆の声をあげる。
「すごいな。何がなんだか、さっぱりだ」
顔を覗き込むためにしゃがんだキャタリーの両手を、別の一匹が小さな舌で舐める。
すぐに赤みがひき、引き攣れるような痛みもなくなった。
「うわあ! やめろよ!」
ギュンターは痛々しい傷跡のついた左足をあげたまま、右へ左へと逃げ回っていた。
足元にまとわりついている最後の一匹が、傷口をめがけて跳び上がっては床にころがる。
暇になったほかの二匹も加勢し、子狼たちは三匹がかりでギュンターの左足を追いかけ始めた。
「ちぢんでー」
「にんげんのひと、ちぢんでください!」
「とどかないよー」
「ギュンター、こいつら怪我を治してくれてるみたいだ。すこし屈めよ」
ゲロルトが注意する。
「はぁ? んな薄気味悪ぃことさせるかよ!」
「うすきみわるいってなにー?」
「ぼくたちわるい?」
「とどかないよー!」
「そのままだと死にますよ」
黒狼がさらりと忠告する。
ギュンターはぎくりと反応する。
そして観念したように右足の膝を曲げて身をかがめた。
三匹が一斉に傷口に鼻先を押し当てると、ギュンターの傷口は見る間にふさがった。
ギュンターは眉間にしわを寄せて、まじまじとズボンの裂け目をみつめる。
「よくなったでしょ!」
「じょうずにできたでしょ!」
「にんげんさん、ちぢむのへたくそだね!」
きゃっきゃとはしゃぐ子狼たち。
「この森は普通じゃないとは聞いていたが、まさか狼にまでおかしな力があるとは」
ゲロルトは両手で顔を覆い、強くこすって、完璧に塞がった傷口を確かめる。
「正直もう、理解が追いつかん」
「我々の一族は、あなた方が一般的にオオカミと呼んでいるものとは少し異なるのです」
黒狼は子供たちを愛おしげに眺める。
白狼が言葉をひきとって続ける。
「我々はこの森に深く抱かれた命。森の気––––自然エネルギーとでも言うのか、それらを利用して森を守っている。子供たちは、より純粋にそれらを扱うことができるのだ」
あまりにも空想的、夢物語のような出来事の連続で、キャタリーもいっぱいいっぱいだった。
ギュンターもそれは同じようで、幾度も狼を観察し、キャタリーを見やり、自分の傷口を確認しては難しい顔をしている。
ゲロルトもやはり衝撃を受けているようだったが、やがて立ち直ると、少し離れて一団のほうへ向き直り、騎士のやりかたで片膝をついた。
「森の一族、そしてキャタリー。あなたたちに折り入って頼みがある。どうか話を聞いてくれないか」
幼獣のはずむ毛玉感っていいですよね。
次回は9月7日更新予定です。
個人的な事情で少し短い内容になってしまうかもしれませんが、引き続きよろしくお願いします。