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7. お嬢さんお逃げなさい

「お? てっきりばあさんが住んでるかと思ったら、若い女だ。お嬢さん、こんなところに一人でいちゃ危ないぜ」


「きゃああ!」


 野盗だ。


 キャタリーは直感的にそう思った。


 各地で町から追放された犯罪者たちは、山林に住みついて山賊行為をはたらく。

 エバンズの言っていた、街道沿いに出るという集団の一員にちがいない。


 短髪の若い男が、にやにやと笑いながらキャタリーに詰め寄る。


「へっへっへ。なぁに、大人しくしてればすぐ済むから、な?」


「おい、馬鹿。無駄におどかすな」


 長身で目つきの悪い男が、うしろから短髪を小突く。


 これから自分の身に起こるかもしれない最悪のできごとを想像して、キャタリーはおののいた。


 こういったことに巻き込まれるのが嫌で、街道のちかくは避けていたのに。

 あとほんの少しで、知り合いたちが合流するのに。


 どうしても、恐怖より悔しさが勝った。


 胸に抱き込んでいた鍋をひっくり返し、流れるような手つきで頭にかぶる。


 ここへ暮らすようになってから、不安や孤独などのあらゆる後ろ向きな感情を、幾度(いくど)もそうやって乗り越えてきたのだ。


「何してんだ、お前」


 怪訝(けげん)そうにじろじろ見られるのを、キャタリーは無視する。


 キャタリーの頭をすっぽりと覆うそれは、()()()()震えはじめた。


 これは! ニクスー様がなにかをお伝えになられているの?


 胸の前で手を組み、真剣な面持ちでぶるぶる振動するキャタリーを、男たちは気味悪そうにながめた。


「なんだぁ? イカれたか?」


「お前がやたらと怖がらせるからだろ」


 キャタリーは意に介さない。


 今こそ教えをひろめるチャンスだと、そうおっしゃるのですか? そうなのですね?


 ニクスーとの交信をつづけて平常心を取り戻したキャタリーは、頭から鍋をおろした。

 自信たっぷりにふたりに向きなおり、空の鍋底を見せつける。


 短髪と長身は立ちつくしていた。

 どう反応してよいのかわからないようだった。


 キャタリーはそばの水差しを取って、鍋の中になみなみと水を注ぎ入れた。

 そして両手を入れ、強く念じる。


 ニクスー様。私の手が耐えられる限界まで熱くしてください!


 一瞬で、水が熱と粘性をおびるのを感じる。


 反射的に引っ込めた両手は真っ赤に腫れてピリピリと痛んだが、キャタリーには気にならなかった。


 できあがったのは、ドロドロに煮込まれた、肉入りの麦粥(むぎがゆ)だ。


「うっわ、すげーっ!」


 短髪が目を丸くする。


「お前、()()()()か?」


 長身が警戒(けいかい)して、腰の短剣に手をかける。


 キャタリーは鍋を持ち上げて、おごそかに答えた。


「あわれな生肉たちよ、これがニクスー様の起こされる奇跡です。食らいなさい」


「え! 食っていいの? ラッキー。腹減ってたんだよ」はしゃぐ短髪。


「おい、よくわかんねぇもん食うな」長身が肩越しに覗きこんで止める。


 粥を覗き込むふたりの顔めがけて、キャタリーは思い切り鍋を振り上げた。


 ゆらゆらと湯気の立つ粥。


 熱を維持したままのそれが、形をうしなって宙を舞い、勢いよく野盗たちの顔面を打った。


「ぎゃあああ! 目が! 目に!」


 もろに粥をかぶった短髪は、とっさに両手で顔を覆う。

 足をじたばた動かし、駄々をこねる子供のように身もだえた。


「何しやがる!」


 比較的被害の少なかった長身はいきりたち、即座に短剣を抜いてキャタリーに向ける。


 キャタリーは頬を上気させて言った。


「ニクスー様はお優しい方。

 寒いときには、熱々の肉入りスープを。そうでもないときは、ぬるめの肉入りスープを。

 そして、悪しき心を戒めるときには、熱々でどろどろの肉入りスープをお与えになるのよ! 

 さあ、清められし生肉たち。あななたちもニクスー様を信じて、ハッピーになりましょう!」


「ゲロルト、こいつ、本気で頭おかしいぜ」


 ようやく立ち直った短髪が、顔を真っ赤にして喚いた。


「仕方ない、縛るぞ。ギュンター、手ぇ貸せ」


 逆手ににぎった短刀を上段にかまえ、長身の男––––ゲロルトが、警戒しながらキャタリーに近づく。


 ギュンターと呼ばれた短髪は、待ってましたとばかりに縄をとり出した。


「おう。そうこなくっちゃな!」


 キャタリーはいよいよ焦った。鍋はもうかぶれない。


 じりじりと後ずさって距離をとるが、すぐに同じだけ近づかれてしまう。


 腫れた手がひりひりと痛む。


 やり方を間違えたのだろうか? キャタリーは自問する。


 かけるのではなくて、食べさせるべきだったの?


 ひざ裏に食卓椅子があたった。キャタリーはバランスを崩し、尻もちをついてしまう。


 すかさず背後に回ったゲロルトが、左手で彼女の細腕を掴んでひねり上げた。


「ちょっと何するのよ! やめて! 離してっ!」


 怯えるキャタリーを見下ろしながら、ギュンターが下品に舌なめずりする。


「叫んだって無駄だぜえ」


 そう言いながら、嬉々として縄をかけはじめた。


「ぐおおぉぅ」


「おう、ずいぶん野太ぇ声だな!」


 ぎゃははと笑うギュンターに、長身男ゲロルトが、はっとして声を上げた。


「おい!」


「きゃあああぁ!」


 先に気がついたのはキャタリーだった。


 本能的に体がこわばり、全身の毛穴がひらく。


 とにかく腕の拘束を解かなければと、必死に身をよじって暴れた。


「へっへっ。いまさら後悔したって遅えよ。

 ……おい、ゲロルト、ちゃんと押さえとけって。逃げちまうだろ!」


 文句を言うギュンターに、ゲロルトが怒鳴り返した。


「馬鹿! うしろ見ろ! 熊だ!」


 キャタリーの視点からは、一部始終が見えていた。


 開きっぱなしになっていた入り口から鼻先をのぞかせ、ヒグマが一頭、のそりと入ってきたのだ。


「野郎、ついてきやがったのか……!」


 驚きと恐怖の混じった声でギュンターがうめく。


 熊の体高は、成人男性のヘソくらいあった。

 毛ヅヤが悪くかなり痩せているものの、黒く鋭い爪は、黒曜石のように光っている。


 ぶおおぉん


 興奮しているのか、落ち着きなく鼻を鳴らし、うろうろとあたりを嗅ぎまわっている。


 三人のなかで一番入り口に近い位置にいるギュンターは、微動だにしない。


 熊はいきなり体勢を変えて立ち上がると、彼の首筋めがけて、横なぎに爪を振りかぶった。


 間一髪、後方に大きく跳んで、ギュンターは回避する。


 バキィッといやな音をたてて、炉ばたに固定されていた鉄製のロースターがへし折れた。


 四方に散った残骸(ざんがい)が、座りこんでいるキャタリーまでいきおいよく飛んでくる。


「どうするゲロルト? このままじゃ俺たち全員、なかよく肉団子だぜ」


 冷や汗をかきつつ、ギュンターが意見をもとめる。


「まずいな。俺もお前もろくな武器を持ってきてねえし、逃げるにしたって……」


 唯一の出入り口は熊の後ろだ。


「俺が気を引いてるあいだに、横をすりぬけられないか?」


 ゲロルトが提案する。


「いやぁ、無理だ。熊ってのは、横の動きにはバカみてぇに敏感に反応しやがるからな。俺のみぞおちに、でかい風穴(かざあな)が空くのがオチだ」


 ギュンターが自嘲(じちょう)ぎみに乾いた笑い声をたてる。


 ゲロルトはまっすぐ前を見据えたまま、姿勢をかえずにキャタリーに話しかけた。


「嬢ちゃんよ、手を離してやるから、静かに立ちな。ゆっくりだ。あいつから視線を逸らすなよ」


「わ、わかったわ」


 キャタリーはかすかに(あご)を引いてうなずくと、(けもの)を刺激しないように、注意して立ち上がる。


「よし。言いたいことはお互い色々あるが、とりあえず一時停戦だ。

 ギュンターも。いいな?」


「ええ」「わかった」キャタリーとギュンターが同時に頷く。


「おい嬢ちゃん」


「キャタリーよ」


「キャタリー。さっき俺たちにやったやつ、もう一度できねえか?」


 キャタリーはすばやく部屋に視線を走らせた。


 熊の一撃によって吹き飛ばされたのか、水差しは壁に当たって粉々にくだけていた。


 足もとに転がった鍋から、冷めかけた麦粥がこぼれている。


「だめだわ。きれいな水かお湯がないとできないの」


「そうか」


 ゲロルトがみじかく答える。


 熊はふらふらと徘徊(はいかい)しながら、確実にこちらとの距離を縮めていた。


 三人はいまや、広いロッジの最奥まで追い詰められつつあった。


 キャタリーは荒くなる呼吸を必死におさえる。


 小屋の外ではあいかわらず、風が吹きあれる音がしていた。


 鼓動が痛いくらいに全身に響いている。そしてそれは、他のふたりも同じだった。


 絶望的な状況下で、直前まで敵対していた者同士が、いまや全員で助かる方法を考えていた。


 それはとても奇妙な時間で、もしかして夢をみているのではないかと、キャタリーは錯覚した。


「おい、動くぜ」


 ギュンターが鋭く声を上げる。


 熊は三人の目の前に陣取って首を左右に振り回し、突進のタイミングをはかっていた。


「俺があいつの気を逸らす。その隙をついて、俺とゲロルトで目を狙うぞ。女は適当に逃げろ」


 ギュンターが無謀とも思える作戦を伝える。


 ゲロルトは覚悟を決めたように「ああ」と頷き、短刀を腰だめに構えなおした。


 キャタリーは同意とも困惑ともつかない声で「えぇ」と返事する。

 

 ふいにゲロルトが、足もとの鉄鍋を蹴り上げた。


 すばらしいコントロールで熊の肩口に当たったそれは、筋肉にはじかれて家の外へと転がっていった。


 ヒグマが不満げに唸り声をあげる。

 私があの鍋だったら、今どんなにか幸せだろう。キャタリーは一瞬、現実逃避した。


 

 そしてヒグマは動きを止めた。どうやら勝利を確信したらしい。


 おおきく咆哮(ほうこう)をあげると、三人へ向かってきた。



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