5. 森へ
追放日は村民には知らされない。
公にしてしまうと、収容場所から執行場への移動中に襲撃される可能性があるためだ。
田舎の村社会では、たとえそれがよく見知った者であろうとも、異端分子は排除対象になる。
そういうわけで当日の朝は、キャタリーの両親とパン屋のバートラム、そしてヴィリガス司祭だけが見送りに来ていた。
「キャタリー、ああ。どうしてこんなことに」
母マリアはさめざめと泣きながら、キャタリーを掻き抱いた。
「私はまだ信じられないよ。何かの間違いじゃないのかい? 私の可愛い娘が、一人で森へだなんて」
キャタリーは何も言わずに背中をさすることしかできなかった。さすがの彼女も、母親の泣く姿には、胸にせまるものがあった。
「キャタリー、少ないけれど、これを持って行ってよ」
バートラムが遠慮がちに包みを差し出す。中には温かい平焼きパンが入っていた。
「ありがとう、バートラム。でも、どうして?」
なぜ今朝発つことを知っているのか、キャタリーは不思議だった。
「ハインツに頼まれたんだ。キャタリーに差し入れてくれってさ」
「そうだったの」
他人を使って罪滅ぼしする浅ましさにキャタリーはあきれたが、正直、パンはありがたい。
「どうかハインツに伝えてね。あなたのお陰で、おいしいパンが食べられて幸せだわ、って」
言葉の裏の嫌味を知るか知らずや、バートラムは軽く笑って、必ず伝えると約束した。
「私からはこれを」
ヴィリガス司祭が、いくつかの品物——石鹸やろうそく、蝋引きした布など——が入った革の上等な鞄を手渡した。
「中身は君のご両親と、村の有志たちから。鞄はライへ卿からだよ」
「まあ、ありがとうございます。司祭様」
「今回のことは、残念でならないよ。もっとうまくやれたら良かったんだがね」
そう言って、心底すまなそうに肩を落とす。
「司祭様が私を擁護してくださっていたことは理解しています。
それに、ライへ様が領主様へうまく取りなして下さったおかげで、命だけは助かったんですもの。
これ以上は望むべくもありませんわ」
ヴィリガスは薄く微笑むと、キャタリーの肩を叩いて離れた。
「そろそろ時間だね。森の入り口まではエバンズに案内を頼んである。皆が起き出す前に、行きなさい」
キャタリーは全員と視線を交わし、最後に父、グラナフを見つめる。
「父さん」
ここまで終始無言を貫いていたグラナフは、口を真一文字に結んで押し黙っていたが、おもむろにキャタリーを抱き寄せると、喉の奥からようやく絞り出すようにして言った。
「お前は賢い子だ。必ず生き延びろ」
初めて聞く父の辛そうな声に、キャタリーは少しだけ、泣きたいような気持ちになった。
ーーーー
村の端には木こりのエバンズが待っていた。
司祭の言うとおり、案内を買って出てくれるそうだ。
「俺は森の入り口までしか同行してやれないからな。できるだけのことは教えるから、よく聞いて覚えるんだぞ」
そう前置きすると、目いっぱいゆっくり歩きながら、これから取るべき行動について説明を始めた。
「森に入ったら、樹皮が半分だけ剥かれている木をたどっていくんだ。俺たち木こりや炭焼きが冬季に使っている小屋へ続いている。
いいか、たどるのは、半分だけ削がれているやつだぞ。一周ぐるっと綺麗に剥けているのは鹿がやった痕だ。こいつは無視していい。
問題なのは、剥いた木の皮がメチャクチャに根元にまとわりついているやつだ。こいつは熊のだ。見つけたら、すぐにその場を離れろよ。
小屋に着いたら、入り口横のでかい壺の中に熊よけが入っているから、急いで辺りに撒くんだ。
油膜の下の茶色い液体を、水で半分に薄めるんだぞ。ついでに虫と狼よけにもなるからな。
小屋のそばには小川がある。水音がするからすぐわかるはずだ。飲み水はここのを使え。
少し先に大川も流れているが、村から出た排水が混ざるから、使うなら明け方すぐにしろよ」
「半分だけ剥けた木をたどっていけばいいのね。わかったわ」
キャタリーは反復する。
「そうだ。小屋の中のものは好きに使っていい。少しだが、炭と薪も残っているはずだ。
とにかく、何よりも熊と狼には気をつけろ。夜は絶対に食べ残しをそのままにして寝るなよ。
それから、街道のそばは動物は少ないが、野盗が多い。近寄るな。
小屋の近くは比較的安全だが、日が陰り出したら小屋からあまり離れちゃいかん。魔女や人狼も出るからな」
「魔女と人狼?」
思わずキャタリーは聞き返した。どちらもおとぎ話の中の生き物ではないのか。
エバンズは続ける。
「魔女は……まあ平気だ。出会わないに越したことはないが、悪い奴ばかりってわけじゃない。
人狼は俺も出くわしたことはないが、噂は何度も聞いた。
お前の細腕じゃ絶対に敵わないからな。
とにかくひっそりと暮らせ。できるだけ火は使うな」
「魔女には会ったことがあるの?」
キャタリーは食い下がる。
「ガキの頃の話だよ。森で迷って、助けられた。会ったのはそれっきりだ」
エバンズは懐かしむようにそう話すと、思い出したように言った。「そうだ、これをやろう」
腰に下げた革袋を外し、キャタリーへ寄越す。
「蜂蜜酒だ。これだけは常に持っておけ。中身は飲むなよ。魔女に出くわした時のお守りみたいなもんだ。
森を生業にしている奴らはみんな、必ずこれを下げて森に入るんだ。
無事に帰って来られるように、ってな」
「わかったわ。覚えておく」
もう帰ってくることは叶わないとわかってはいたが、どちらもそのことには触れなかった。
キャタリーはさっそく腰紐に革の水筒を結い留めて、歩きながらくるりと回ってみせる。
「これでいい?」
「ああ、ばっちりだよ」
エバンズは優しく微笑むと、ふと真剣な表情になる。
「キャタリー。どんなに困難な状況でも、生きることを諦めるなよ。
半年頑張ってくれれば薪作りの季節になる。そうすれば、俺や炭焼きの奴らも森へ入れる。
次の春までは、俺たちが面倒見てやれるからな。
何年かでほとぼりが覚めたら、偽名でもなんでも使って、街へ出るなりすりゃあいい。いくらでもやり直せる」
「ありがとうエバンズ。でも、どうしてそこまで親身になってくれるの?
私が頭のおかしな女だって話、聞いてるんでしょう?」
「乳飲子の頃から知っている娘を、今さら邪悪な魔女だなんだと言われても、信じられんさ。
それになキャタリー、俺は昔、お前の遠いじいさんに命を救われたことがある。その恩返しなのさ」
いつの間にか二人の前に森が迫っていた。
エバンズは立ち止まると、ゴツゴツした大きな手でキャタリーの手を取り、勇気づけるようにしっかり握りしめた。
そのまま祈るように森の奥を見つめ、再び正面を向くと、キャタリーの肩を強く叩いて離れた。
「さあ、いくんだ。一本めはそこの黒松だ」
その勢いに背中を押されるようにして、キャタリーは生まれて初めて、森に足を踏み入れたのだった。
次回は予告通り、短編の投稿になります。8/18夜の投稿予定です〜。
本編はその後の更新になります。日程確定次第、活動報告にてお知らせいたします。