4. 初法廷、初舞台
「では、原告から起訴内容を述べなさい」
裁判官ーーグラーゼフと名乗っていたーーが、指示する。
ヴィリガス司祭は前を向いて話し始めた。
「過日、カタリシェン・クレッチマーは、夜半にハインリヒ・グッチミットを、実家の倉庫裏へ呼び出した。
被告は自宅から持ち出した鍵を使い、倉庫内へ侵入。
倉庫内の隠し扉から続く地下室へハインリヒを誘導した。
部屋内には祭壇があり、被告はその前で半刻にわたって、ハインリヒを『空飛ぶ肉入りスープ鍋教』なる邪教へしつこく勧誘した。
当時、カタリシェンは非常に興奮しており、身の危険を感じた原告は、時間が欲しいといって被告をなだめ、その場をおさめた。
翌日朝六時ごろ教会を訪れた原告により、本件が報告された。
邪教を信仰し、あまつさえ婚約者を邪の道へ誘惑した彼女の罪をここに明らかにし、この場でカラシテへの回心を求めます」
ヴィリガスの説明に、陪審員席がざわつく。
「空飛ぶ……なんだって?」
グラーゼフ裁判官は、周囲を黙らせるように一際大きな声で、キャタリーへ問いかけた。
「被告人、原告の発言内容を認めるか?」
キャタリーは背筋をのばして、こう答えた。
「まず第一に、誓って私はしつこい勧誘などしていません。
ハインツはニクスー様をすばらしい神、立派だと言ってくれました。
『君の信じるものを自分もきっと信じられるはずだ』とも」
「あの場ではああ言うしかなかった!」
ハインツが叫ぶ。
「鉄鍋をかぶって妄言を吐きながら、骨を振りかざす女だ。
下手なことを言えば殺されるかもしれないと、危機感をおぼえるのは当然だろ!」
「静かに!」裁判官が叱りつける。
キャタリーは続ける。
「そして第二に、空飛ぶ肉入りスープ鍋教は邪悪ではありません。
人生を楽しく生きることを推奨しているだけの、きわめて明るく、愉快な信仰です」
「被告人。空飛ぶ肉入りスープ教とはなにか、説明しなさい」グラーゼフが続けて命令した。
キャタリーは先日ハインツにした説明を繰り返す。
「空飛ぶ肉入りスープ鍋教は、スープ鍋に似たお姿の神を信仰するものです。我らは彼を『ニクスー様』と呼びます。
彼はニクスー教では唯一の神ですが、他の宗教や神の存在を受容しています。
人々はニクスー様によって生み出され、そして育まれます。
私たちはその恵みに感謝し、日々を健康でハッピーに生きることを目標とします。
ニクスー教の教義は、死後の救済ではなく、現世の幸福をもたらすことをうたっています」
説明を続けながら、キャタリーは聴衆を見まわした。
裁判官も、ライへや、そのほかの陪審員たちも、眉根を寄せて、あるいは困ったようにこちらを見つめている。
ヴィリガス司祭は胸の前で手を組んで天を仰いでいるし、ハインツは泣き出しそうな、怒ったような、複雑な表情をしていた。
キャタリーは不思議に思いながら続ける。
「信徒は頭に鉄の鍋をかぶります。これは神への敬意を表すと同時に、邪悪な念から頭を保護するためです。より深く神の教えに繋がるための、装置としての役割もあります。
聖具には、塩壺と豚の骨を用意します。豚の骨は、牛や鶏のでも問題ありません。これらはスープに欠かせないもので……」
「もう結構」グラーゼフがこめかみを押さえて言うので、キャタリーはすぐに口をつぐんだ。
「陪審員たち、何か質問は?」
司祭に促されて、ライへがすかさず手を挙げる。
「私から。ハインリヒ殿の見た『祭壇』というのは、具体的にどのようなものでしたかな?」
名指しされたハインツは、一瞬体を震わせた。そして慌てて立ち上がると、前へ進み出て説明を始める。
「はい。俺が見たときは、腰ほどの高さの台に白いシーツが敷かれていて、たくさんの蝋燭が灯されていました。台の中央には鉄鍋が置かれていて、中には、いくらかの薬草とパースニップが入っていました」
「なるほど。鍋の中にはよくあるーー少なくとも、君が薬草だと判断できるーー植物と、野菜が入っていたんだね。
ほかに何か、魔術的なもの、妖しいものなんかはあったかい? 例えば、毒きのこが山盛りになったかごが置かれているとか、大きな箒が立てかけてあるとか?」
「毒キノコ……は、わかりません。動揺していたので、祭壇以外は目に入りませんでした。見落としたのかもしれませんが。箒は……倉庫内には、もしかするとあったかもしれません」
ハインツは自信なさげに答える。
「あ! それから、彼女は台の下から蜂蜜酒を取り出して飲んでいました。しかも、ビンに口をつけて!」
これは凄まじく不良だろうと自信満々に言ってみたものの、周囲の反応は芳しくないとわかり、ハインツは尻すぼみになる。「俺があそこで見たものは……そのくらいです」
「わかりました。以上です」ライへが簡潔に質疑を終える。
法廷内に微妙な空気が流れ始めているのをキャタリーは感じた。
邪教というからどんなにおぞましいものかと聞いてみれば、スープ鍋を神と崇め、祭壇にはその材料を置いているだけだと言うのだから、無理からぬことだった。
あともう一息で流れが自分に向く。今こそ、演技力を発揮する時なのではないか?
キャタリーは自問する。
きっとそうだ! やるしかない!
彼女の決意をよそに、ライへに続いて陪審員の一人が発問する。
「あなたのような裏若き乙女がなぜ、偉大なるカラシテへの信仰を捨て、そのような邪教を信ずるに至ったのですか?」
キャタリーは、ずいと前に歩み出ると、大袈裟に声を張り上げて答えた。
「私は断じて! カラシテへの信仰を失ってはおりません!
ただ、信じる方が増えただけなのです!」
キャタリーは思いっきり芝居がかった調子で手を組み、恍惚とした表情で演説する。
「あれは私が五つの頃。侯爵閣下が御遊行のため、この村へ滞在されたのです。
お連れの料理番たちは、村内の炉をいくつも借りて、午餐の準備をしておられました。
私の家には比較的大きな炉がありますから、そこで全員分のスープをお作りになっていたのです。
当時料理人として働いていた兄も、そのお手伝いをすることになりました。
私は好奇心から兄の様子を眺めていましたが、それを見て、腹を空かせた子供と憐れに思ったお一人が、スープの味見をさせてくださったのです。
あまりの美味しさに、私は目の前が光に満ちるのを感じました!
そして正にそのさなか、光の奥にニクスー神のお姿を見たのです!」
キャタリーはうっとりと答えた。
思い出すだけでも腹がへる、至福の体験だった。
口の端からよだれをこぼし、見せつけるように音を立てて手の甲でぬぐう。
じゅるり、じゅるるる、ゔぇろろ、じゅるゔぇろろ。
もちろん演技だ。
質問した陪審員は引きつった顔で「わ、わかりました。質問は以上です」と言って、質疑を終了した。
今や法廷内のほとんどの者が、キャタリーのことを憐れむような目で見ていた。
グラーゼフ裁判官は眉ひとつ動かさずに議事を進行する。
「他に質問がなければ、陪審員たちは判決を協議するように」
キャタリーは席へ戻って静かに成り行きを見守る。
この国の一般的な裁判では、陪審員が判決の内容を話しあう。
最終的に裁判官がそれを認めて宣言すれば、閉廷となる仕組みだ。
先ほどのみんなの様子を思えば、火刑の心配は無さそうだ。とキャタリーは目算する。
しばらく協議した末、陪審員の中で最も年長の一人が結論を述べはじめた。
「カタリシェン・クレッチマーの言動が常軌を逸していることは、認めざるをえません。
しかしその主張するところはおよそ荒唐無稽であり、彼女の妄言をして邪教と認めることは、かえってカラシテの権威を貶めるものであります。
よって被告人を、異教信徒ではなく、乱心者と判断いたします。
然るべき施設への隔離と矯正、カラシテへの回心をもって、刑罰に代えます」
キャタリーの心は踊った。予想以上に上手くいったようだ。
矯正施設への入所であれば、考えうるかぎり最も軽微な罰だ。
ハインツは納得がいかないような顔をしているが、ヴィリガスはほっとしているように見えた。
はじめからこの司祭は、厳罰を望んではいなかったのだろう。
皆が裁判官の動向を見守った。判決が可決され、閉廷が宣言されるのを待っているのだ。
グラーゼフはしばらく考えていたが、おもむろに口を開いた。
「陪審員の判決を可決する」
陪審員達が儀礼的な拍手で応えるのを制して、彼は言葉を続ける。
「ただし。次の条件を満たす場合に限る。
被告人が乱心者を装っている可能性をのぞくため、これより神明裁判をとり行う。
その結果をもって邪なる心がないと真に証明されれば、先ほどの判決の通りとする」
場の空気が一変するのをキャタリーは感じた。
反対する者は誰もいない。ただし、その『条件』が意味するところは、誰もがすぐに理解した。
教会はキャタリーを許すつもりはないのだ。
神明裁判とは、その名の通り、神にことの真偽を明らかにしてもらう裁判だ。
被告人に赤く熱した棒をにぎらせたり、溺れるまで水につけたりして、被疑者が無事であれば無実と証明される。
まことの信仰心をもつ者であれは、奇跡をもって神が救うはずだという理論だ。
もし無事で済まないのなら、カラシテへの信仰を失った魔女として刑に処されることになる。
そして今、グラーゼフの指示でキャタリーの目の前に煮えたぎる湯をはった鍋が用意された。
「お前の信ずるところの神は、鍋の姿をしているのであったな。さあ、両方の手をつけなさい」
裁判官が初めて笑みを見せる。
虫の翅をむしって遊ぶ子供のような、残酷な表情だった。
キャタリーは胸の内で祈った。
ニクスー様、私の目の前に、貴方様の救いを信じられない、哀れな生肉がおります。
どうか私に、この者の心を改めさせる力がありますように。
私の信仰の力でこの者を救えますように、どうかお力をお貸しください。
貴方様のご威光を、この場で証明してみせます。
キャタリーは無表情で鍋を見つめる。火から降ろされたばかりの鍋からは、もうもうと湯気が上がっていた。
両袖を捲り上げて深呼吸する。ニクスー様がお守りくださるはずだわ。大丈夫。
目を閉じる。
高鳴る胸の音を落ち着かせ、覚悟を決めるとひと息に腕をさし入れた。
見守るヴィリガス達は思わず目を逸らす。ハインツは短い悲鳴を上げた。
永遠にも思えるような長さの静寂が訪れる。
初めに異変に気がついたのは、キャタリー本人だった。
熱い……けれど、思ったほどじゃない?
確かに熱いは熱いのだが、グラグラ煮える鍋に手を突っこんだというほどの、激しい痛みはない。
湯の温度が低い気がするわ。
「なんだこれは!」
続いて気がついた裁判官も声を上げる。
その声につられて、目を逸らしていた者達も次々に鍋を覗きこんだ。
「野菜が浮いてるぞ!」
「おい、下に沈んでいるのは肉じゃないか?」
「それになんだ、この香りは。これじゃまるで……」
キャタリーにも何が起きているのか理解できなかった。
ただの湯だったはずのそれは、明らかに、冷めたスープに変容していた。
「貴様、やはり魔女か」
グラーゼフが、ギリギリと歯を鳴らしながらキャタリーに詰め寄る。
「魔女ではありません」キャタリーはキャタリーで混乱していて、そう答えるので精一杯だった。「だって、私の腕は無事じゃありませんか」
腕を引き上げ、光にあててまじまじと観察する。
少し赤く火照っているが、火傷というほどのダメージを負っているわけではなかった。
一方、キャタリーに反論され、見せつけるように腕を出されたグラーゼフ裁判官は激昂した。
いまにも彼女へ殴りかかりそうになるのを、ヴィリガスが体をはって抑える。
「それこそお前が悪魔と契約している証となろう! 神の名において、断じてこれを見逃すことはできない!
貴様のその汚れた両腕を切り落とし、罪を雪ぐがいい!」
口角泡を飛ばす勢いででキャタリーを罵る。
「そんな! 滅茶苦茶だわ! 裁判の意味が無いじゃない!」
「うるさい! おい、お前達、こいつを連れていけ!」
「はい! えっと、どちらへ!」
誰も彼もが混乱して、場の収拾がつかなくなっていた。
その時。
「お待ちください」
落ち着きのある声が上がり、場が静まる。
丸めた書状を手にしたライへが、キャタリーを守るようにグラーゼフの前に立ち塞がった。
「巡行官吏ごときが何だ!」
「侯爵閣下より、勅令を授かっております。
曰く、本件において、カタリシェン・クレッチマー、およびその親族に対する、いかなる身体刑、財産刑も禁止する。とのこと」
そう言うと、手にした書状を裁判官の目の前に突きつける。
ヴィリガス司祭がグラーゼフの拘束を解くと、裁判官はそれをひったくった。
何度もひっくり返してシーリングやサインを確認し、「本物のようだな」と苦々しげに吐き捨てる。
「それはもちろん」
「そうは言っても、このような妖しい女、みすみす見逃すわけにはいかない。教会の立場に関わる」
「ええ、わかっています。ですから、ここは間をとって追放刑とするのが落とし所でしょうな」
裁判官は怒りをみなぎらせてライへを睨みつける。
「教会としても、侯爵家との敵対は避けたいところでしょう。うちは手強いですよ」
ライへは余裕の態度で圧力をかけた。
しばらくの間、二人はそのまま睨み合っていたが、折れたのはグラーゼフ裁判官だった。
彼は悔しそうにキャタリーに視線をやると、諦めたように踵を返した。
おざなりに席へつき、宣言する。
「判決。被告人を追放刑に処す。執行は、明後日早朝とする。これにて閉廷」
こうしてキャタリーは、どうにか五体満足を維持することとなったのだった。