鼻が利くので浮気もお菓子も匂いでわかります〜婚約破棄したら未来の義弟君に長年の片思いを告白されたのですが〜
「あら、エリック様。ご機嫌よぅ……ん?」
「どうかしたか?」
「……いえ、何も」
この匂いは……まさか。
とある日のなんの変哲もない午後のこと。学園の廊下で婚約者とすれ違い様に挨拶をしただけだった。
いつも通りだったはずなのに、私カリーナ・ブランシェット伯爵令嬢は鼻が利くばかりに、とんでもないことに気づいてしまったのだった。
*
「カリーナ嬢。迎えに来た」
そして放課後、教室に迎えに来たのは未来の義弟君のアーサーだった。夕日で深い青色の髪がいつもより少し濃く見える。
王国立魔法学園は、王侯貴族の通う由緒正しい学園だ。故に、高位の貴族は登下校時に婚約者のエスコートが必須とされている。
けれど、生徒会でお忙しいということで、エリック様の二つ下の弟であるアーサーが代わりに迎えに来てくれるのだった。
「いつも義姉さんと呼んでって言ってるじゃないの」
「俺は義姉だと思ったことはない。そもそもまだ義姉じゃない」
「まったく、相変わらず可愛くないんだから」
なんて太々しい態度でも、エスコートしっかりしているのは、さすが侯爵家の子息だわ。と思いつつ、帰り支度を始めた。
……ああそういえば。
「ねえ」
「なんだ。今日は菓子などは持ってないが」
呼びかけただけなのに、黄色い瞳を呆れたように細めるアーサー。
そのくらいわかるわよ……じゃなくて、その言い方だと私がいつも食べ物をたかってるみたいじゃない。実際お腹が空いてしょうがない時にもらったりするけれど。
というか、そんなことじゃない。
「婚約破棄の手続きってどうすればいいの?」
目を見開いて酷く驚いた様子だ。アーサーは何度か瞬きをした後、額に手を当てて項垂れる。
「……何がどうしてそうなった」
しばらくして、絞り出したような声でそうつぶやいた。
こんな姿初めて見たわ。そうよね、アーサーは何も知らないものね。私でさえさっき知ったばかりなのだから。
「エリック様と廊下ですれ違った時にね、匂いがしたのよ」
私よりも随分と高いのでかがむように合図して、耳元で小さく教える。
「香水の匂いは二つ。一つは今話題の恋人との時間につけると良いといわれる男性向け香水。もう一つはあのリリーさんがよくつけている香水」
「……あの平民出身のか」
平民出身ながら光の魔法が使えることで学園に入学した特別な少女。正直評判はよくない。すでに婚約者のいる男性と距離が近かったり、マナーがなっていなかったり……などなど。
「熱く抱擁でも交わさない限り、ここまで匂いは移らないわ」
「……つまり」
「エリック様はリリーさんと浮気している」
まあ、単なる家同士が決めた婚約というわけで、浮気と断言できるかどうかは怪しいけれど。そもそも気なんてものはないのだから。
となれば、さっさと婚約破棄した方がお互いのためだと思ったのだった。エリック様はリリーさんと正式にお付き合いができて、私は早いうちに新しい婚約者を見つけられる。
「続きは馬車の中で話そう」
「ええ、そうね。流石に教室でずっとコソコソ話というのも……」
「あと、誰にでもこんなことするなよ」
少し顔や耳が赤いアーサー。
そんな照れることじゃないわよ。コソコソ話しただけじゃないの。しかも義弟と。
「うふふ、照れ屋ね〜」
「……っほら、さっさと行くぞ。カリーナ義姉さん」
こういう時ばっかり嫌味ったらしく義姉さんって言うんだから。
可愛くないのに可愛いんだから、とエスコートしてもらいながら教室を出て馬車に乗った。
「まずは兄の不義を謝罪したい」
「別に貴方のせいじゃないわよ」
真面目ねぇ。まあ侯爵家から慰謝料が出てもいい案件ではあるけれど。
「それで、どういうことなんだ?」
「さっき言った通りよ。香水の名前も教えた方がいいかしら?」
「いや、そこはまったく疑っていない」
それもそうね。私の鼻が利くのを家族以外で一番よく知っているのはアーサーだもの。本来なら、婚約者であるエリック様であるべきだけれど、嫌われているせいで話す機会すらなく知っているはずもないのよね。
「犬並みの嗅覚は嫌というほどよく知ってる」
「事実だけれどなんだか嫌ね、その言い方」
「……それで、浮気とわかったのならどうして婚約破棄の手続きについてなんだ? まずは問い詰めるべきでは?」
めんどくさくなって話を戻したわね。まあいいけれど。
「別に問い詰めなんてしないわ。政略結婚だし……かといって愛人として認めるのも違うし」
「怒っていないのか?」
「そんなわけないでしょう。侯爵家の嫡男として正しいとは思えないけれど」
その政略でさえ、少し下位でも我が家に金銭的余裕があるからという理由。あまり関わりがないとはいえエリック様が恋だの愛だのに強い憧れを持っていらっしゃって政略結婚に乗り気ではなかったことは知っているし。
「そんなことより、私は今日の夕食のメニューの方が気になるわ」
と言うと、一瞬呆気に取られたような顔をした後くつくつと笑い出したアーサー。
そんなに変かしら?
「カリーナ嬢らしいな」
「何がよ」
「いいんじゃないか。能天気の平和主義で」
「義姉に向かって失礼ね!」
いつものように嫌味を言ってくるので怒ると楽しそうに目を細めた後、真面目な顔つきになる。
「……どうせ婚約破棄するなら、俺に協力してほしい」
「協力したい、じゃなくて?」
「ああ、協力してほしい」
なにか企んでいるようね。
「どちらにせよ、兄上のせいで家名が落ちるのだったらいっそ廃嫡まで追い込みたい」
「私は平和的に白紙にできればいいのだけれど」
わざわざ傷つけようと思うほど嫌いなわけでもないし。お家騒動に巻き込まれるのは嫌だもの。
「……そういうだろうと思った。というわけで交渉と行こう」
「交渉?」
なんだか嫌な予感が……。
「こちらの証拠集めや断罪を手伝ってくれれば、我が家のパティシエのスイーツを献上しよう」
「侯爵家お抱えパティシエのスイーツ!?」
「前に好きだと言っていただろ?」
確かに……大好物だわ。甘いものが苦手だからと貰う度に凄く美味しくて。
でも、そうはいかないわよ。まったく、私を食べ物で釣ろうとして。
「ぐっ……でも流石に断罪までは可哀想よ」
「乗ってくれれば明日はマカロンを持ってこよう。そもそも向こうが浮気などしたのだから正当な権利だと思わないか?」
マカロンですって……? あのサクッとシュワっとじわっな芸術品を?
確かに、浮気をしたのはエリック様よ。だけれども。断罪なんてそんな相手の人生を狂わせることが正当なわけが……思い出すだけで美味しそうだわ、マカロン!
「ううっ!!」
「明後日はカヌレかもな。兄上だって、想い人と早く二人で暮らせるんだ。そこまで酷い話じゃないと思うが」
……カリッともちっとラム酒のきいたどこのカヌレよりも美味しい侯爵家のカヌレが!?
いや、それってエリック様が廃嫡になってリリーさんと一緒に退学ということだわ……そんなの絶対に……でもあれだけ真実の愛に憧れていらっしゃったし。
「兄上が、俺を散々庶子だと罵っているのは知っているだろう?」
「…………ごめんなさい、エリック様」
小さくエリック様に謝った。見事に言いくるめられ思惑通りお菓子で釣られれたという多少の苛立ちからアーサーを軽く睨む。
それを持ち出されては、協力するしかないじゃないの。卑怯だわ。
「交渉成立だな」
ああ、私はただ婚約を白紙にさえできればよかったのに。
アーサーが悪い笑みを浮かべたところで、ちょうど我が家に着いたのだった。
*
「カリーナ嬢」
「だから義姉さんって……」
「話がある」
次の日の休み時間、人気のない中庭に呼び出された。どうやら昨日言っていた通り今日から証拠を集める気らしい。
「おそらく逢引きをするなら今だ。予想では旧校舎か3階の廃教室なんだが……」
意識してスンスンと嗅ぐと微かに香水を振りかけた直後のような濃い匂いがした。
まさか、逢引き直前に廊下でかけるなんて……いくら鼻が利くことを知らないとはいえ不用心すぎないかしら。
「こっちから残り香が」
「……さすが犬並みの嗅覚。凄いな」
褒められているのか貶されているのか、と思いつつ匂いのする方へ向かえば、そこはアーサーの予想通り旧校舎だった。
アーサーは早速記録用水晶で撮り始める。私といえば……手で目を隠したくなるような状況に、頬が赤くなっていた。
「ちょ、ちょっと! 破廉恥だわ!!」
「静かにしてくれ、バレる」
思いっきり抱き合って、キ、キ、キスまでしている。なんなら、腰に手を回していて、足を絡め合っている。
「学園でこんな……恋は盲目っていうけど本当なのね」
「流石にこれは理性を欠いている気がするが」
ひゃーーー。もう逃げ出したい。何これ、どうして、そんなことできるのかしら。
見ているこっちが恥ずかしいわ。破廉恥すぎる。
どうやら証拠は十分取り終えたらしく、水晶を片付けて撤退することに。
「一応婚約者が他の女と熱烈に愛し合っている図だが……ショックではなく恥ずかしがるのか」
「だって、恋や愛だのよくわからないもの。そんなものよりスイーツやご飯の方がよっぽど興味あるし」
だから、こんな、初めてだったのよ。こんなガナッシュくらいねっとりした甘い場面を見るのなんて。
「普段年上ぶっているくせに……初心だな」
「本来なら貴方もこうなるべきなのよ。というか年上ぶってるのではなくて本当に年上なの!」
そう怒ると、アーサーは面倒臭気に何やら箱を取り出す。
「ほら」
「例のマカロン!!」
かじればサクッとほろっと、口に入れればジュワッと溶けて果実の甘酸っぱさとそれを包み込む上品な甘さを残したまま消えてしまう。
頬が落ちるほど美味しい。
「……恋は盲目というのは、あながち間違いではないが」
「?」
アーサーはなんだか満足げに口角を上げていた。
「面白いほど簡単に証拠が取れたな」
その後も証拠集めは続いて。少しウエストが気になり始めた。
*
ここはどこかしら。ああそうだわ。侯爵家のお屋敷の庭園だわ。花のいい匂いがして、トイレに行く途中だったのに寄り道してしまったのよね。そうしたら、茂みに隠れて泣いている男の子がいて。
『どうしたの。泣いているの?』
『っ! だ、誰だ……ですか』
とりあえずまだ使っていない方のハンカチで顔を拭いてあげる。
侯爵様と同じ、黄色い瞳がキラキラと光って。ふっくらとした頬は子供らしい。そしてひだまりのような優しい匂いがした。
『私はカリーナ。無理して畏まらなくていいわ。あなたは?』
『アーサー』
その名前には聞き覚えがあった。
『アーサーってあの、エリック様の弟の』
『そうだ。庶民だから、汚らわしい、その弟』
弟君は、最近侯爵家に迎えられた庶子だった。侯爵様がアーサーについて話すたびに、後でエリック様が忌々しいだの汚点だの喚いて執事に八つ当たりしていたのを知っていた。
正直、聞いていて気分が悪かった。
『そんなわけないでしょう!? 馬鹿馬鹿しい』
『えっ』
『エリック様の弟ということは私の未来の義弟でもあるわね』
まともな兄がいないなら、私がまともな姉になればいいと思った。
『義姉さんって呼んでちょうだい』
そうにっこり笑って言うと、アーサーは頬を赤めて俯いて。それが凄く可愛くて、思わずワシワシと頭を撫でた。
────ああ、でも、結局義姉さんって呼んでくれなかったわね。
「……おい、カリーナ。起きろ。中庭で寝るな」
「んぅ……ああ大きい方だわ」
「は?」
懐かしい夢を見た。あの時はちょうど婚約したばっかりの時だったかしら。小さくて可愛かったのが、こんなに大きくなってしまって。嬉しいやら寂しいやら。
「別に。なんでもないわよ」
そう言って頭を撫でると、やめろと睨まれた。アーサーは咳払いをして話を始める。
「次は断罪の準備だ。あの二人の逢引きしている場所に他のリリー嬢狙い達を誘き出す。カリーナ嬢は殿下に伝えるよう他の令嬢に伝えてほしい」
「つまり伝言作戦ってことね。なるべく広まるようにと……」
「まあそういうことだ」
その後、言われた通りに他のご令嬢に伝言を頼んだ結果、旧校舎には多くの野次馬が集まった。女性の力って凄いわ。
「どういうことなんだ!?」
「リリー、説明してくれ!」
「どうして……俺だけだって」
まさに絵面は修羅場。多くの男性に取り囲まれたリリーさんに、横で困惑しているエリック様。そしてそれを取り囲むようにして浮気だの逢引きだのと言う野次馬。
「これは一体なんの騒ぎだ?」
そんなところに白々しく登場したのはアーサーで。これがトドメだった。
「兄上……これはどういうことですか?」
エリック様のリリーさんとの浮気は一瞬で学園中に広まった。
多方面から呼び出し、追及により、今日も私の迎えにきたのはアーサーだった。
「迎えにきた」
いつものように帰り支度をして、エスコートしてもらう。ところが、アーサーが向かったのは中庭だった。
「ちょっと、馬車乗り場は向こう側よ」
「知っている」
「まだ何かあるの?」
「大事なことがな」
そう言うアーサーの耳は夕日と同じくらい真っ赤に染まっている。何かやらかしてしまったのかしら。
「ふぅん。それにしても、無事に婚約が破棄できたのはいいけれど、貴方をもう義弟扱いできないのは寂しいわね」
なんて軽口のように、もう正式には義弟じゃないけれど、それでも弟扱いしてもいいかしら、と続けるつもりだった。
「カリーナ。俺は一度も、貴女を義姉だと思ったことはないよ」
「またそんなこと言っ……」
「ずっと、叶わない初恋の人だった。あの初めて会った時から」
あの時のような真っ赤な顔でアーサーは続ける。
「恋や愛なんてよくわからないと言っていたな。それを、俺が教えるのでは駄目だろうか」
「俺は、カリーナよりもずっと長く、これを知っているのだが」
……婚約破棄したらずっと可愛がってきた義弟に長年の片思いを告白されるなんて、そんなまさか。
「俺と、婚姻を結んでほしい」
確かに貴方は大好きな弟よ、弟なのだけど。そんな恋愛について教えるとか、婚姻とか、そんなこと思ってたなんて全然気づかなかったというか。
「ちょっと待ってちょうだい!」
……なにより、貴方の鞄から甘い匂いがするのだけど。
読んで下さりありがとうございました。
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ちょうど最近長編を完結させました。読んでいただけたら嬉しいです。おばあちゃん令嬢が野菜を作るほのぼの小説です。
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