神器の鍵を授けられた平民出の聖騎士様は義妹の策略で婚約破棄された悪役令嬢でした
ギラッ。
夏の太陽の光が侍従の恭しく捧げ持つ豪奢な四角い宝箱の縁に反射する。
三等聖騎士リユユ・モチシャー(21)は感心した。
――たくみに位置を傾け、客や殿下の目に反射が直撃しないように取りはからう。さすが高位側近の侍従である。この暑い戸外で汗ひとつ見せないのも高評価だ。
リユユ自身は肩までの黒髪を聖騎士の兜の中にきっちりとまとめ、黒い大きな瞳が印象的な目鼻立ち以外のほとんどを鎖帷子の聖騎士鎧に包んでいる。騎士学校で学んだ体力強化魔法のひとつに体温調節があるから大丈夫。
リユユたちの暮らす北の大陸セプテヌトリヴァ付近では、ほとんど全ての生き物が、巧拙などの差はあるが、魔法を使える。
王宮での施政、聖なる儀式をお守りする聖騎士を不本意ながら拝命して1年。さんざん足掻いても断れなかった聖騎士業であるが、しっかり勤めたい。彼女が宝箱を扱うことはまずなかろうが、鏡面のように磨かれた金属を戸外で扱う可能性はある。
――このあしらいは覚えておこう。
王弟殿下が侍従に目配せをする。最後にお会いしたのは2年前。リユユが聖騎士になるよう説得するためいらしたときだ。日に焼け、精悍で、少しやつれている。
リユユに向けてぬるぬるした親密さを滲ませた高貴な笑顔は、職業意識を萌えさせた聖騎士とはかなり温度差がある。しずしずと侍従クローリブル(侯爵家三男で子爵家当主)が進み出てきた。恭しい仕草の中、こそりと――殿下の命である、中をご覧あれ――との命令を加えてくる。
上意下達の徹底は騎士業の基本である。リユユは恭しく宝箱の中を見た。
宝箱のふたは開いており、その中にあるものを見たリユユは驚愕した。
――騎士学校で習った特徴を備えた、これは。
「え、ええー」
プロ意識を驚愕が剥ぎ取ったのを見て取った殿下がぬるりと笑う。
「我が溺愛の証である」
リユユの顔はさっと赤くなった。
「しかし! 当職はご存知のとおり、さる咎ゆえ、婚約破棄と共にフランサイエ伯爵家を放逐され平民の身分に」
殿下も大概だが、支離滅裂な問答にしたのはリユユだ。最後まで言う前に、殿下は再びぬるりと微笑み、プラチナブロンドの髪をひるがえして立ち去っていく。リユユは聖騎士として、殿下のこの笑みを忌み嫌っている。
――男の色気と包容力を連想させる笑みを個人に向けるのは、いけない。よろしくない。
「そのための鍵だ。では、詳細はクローリブルが説明する」
声だけが、こちらに響き、姿は遠ざかっていく。
少しほっとしたリユユはクローリブルの訳知り顔を見て気づいた。
――しくじった、殿下に直接きっぱり断る機会を逃してしまった。
***
さて、リユユが悪役令嬢と断罪され、平民となった6年前のいきさつは次のようなものであった。
王国学園中等部卒業の祝賀昼食会の行われていた講堂の広間。
フランサイエ伯爵家長女リユユ(15)は、敵意に満ちた眼差しで睨みつけられていた。遠巻きにする学友や教師・職員からは、事勿れ主義の乾いた空気が漂っている。
「リユユリーナ・ド・フランサイエ! わたくし、フォーゲル侯爵嫡男ギュキシム・ド・フォーゲルは! ここにそなたの許しがたいいじめとききょぎのおこないをだだんざいし! そなたとの婚約を破棄する」
リユユは面食らいつつ、生真面目な表情を保って微動だにしなかった。
ギュキシムの銀色の緩やかに波打つ髪は王国社交界男子に流行のかたちに一分の隙も無くまとめられている。細く高い形の良い鼻梁が目立つ容貌は高位貴族ならではだ。しかし、その顔を紅潮させて論う断罪の切り出しは、ところどころたどたどしかった。
――操る人形使いの予行演習不足かしら。
ギュキシムの腕に捕まっている「矯正下着美人」パーミリア・ド・フランサイエが人形使いなのだろう。チラッとリユユを見て、怯えた表情を巧みに作る。
「矯正下着美人」というのは、リユユ自身が義妹につけた別名というわけではないし、面と向かって呼ぶこともない。
リユユは貴婦人必須の礼装のたしなみである矯正下着が苦手だ。ある舞踏会の後、締め付けに耐えかねて、医務室に担ぎ込まれたことがある。そのとき医師に説明された。リユユは「矯正下着美人ではない」、臓器の位置が悪いから、締め付けに耐えられない、と。
パーミリアは涼しい顔で矯正下着の恩恵に浴し、美しい肢体は羨望の的だった。父は同じ、年齢は数か月違い。しかし矯正下着美人の座は義妹(1年前から伯爵家の一員)のものである。
いま矯正下着なしでやや子どもっぽいドレスをまとうリユユは知っている。パーミリア・ド・フランサイエは強かだ。彼女の見せる表情のほとんどは巧みに演出された策略に基づいている。
さて、会は、和やかな卒業舞踏の生演奏を控えた楽団が調律を終えようとする直前、唐突に始まった断罪で、妙な雰囲気になっていた。6月の終わり。夏休みの直前。帝国でその頃から流行の希少な特定猛獣素材を使った弦の楽器の欠点は、素晴らしい音色を活かす演奏直前の調律が重要なことだ。6月の暑い日は特にそうらしい。
楽団員たちの落胆に思いをはせることなく、若き侯爵嫡男ギュキシムは高らかに、かつ、引き続きたどたどしく断罪を続けた。
「醜悪なそなたに似合わぬ愛らしきいもうと、パーミリアへのいじめ、バレないと思っていたのだろう。てんどうかいがいそにっくもらさず、という言葉を知っているか?」
――知りません。
場内の心の声はひとつになった、のではないか。
「どんな小さな悪事でもててんばつをまぬかれることは出来ない、という意味だ」
無表情なリユユを嘲り諭すようにギュキシムは付け加えた。
「ノートを破る、教科書を焼却炉に投げ込む、宿題の論文作成を押しつけ徹夜させる、階段から突き落とす。すべて証拠がある」
――え、嫌! パーミリアの丸っこい筆跡の誤字だらけの論文を私が提出?
多くの言いがかりの中で、特に論文が衝撃的で、呆然としたリユユだった。この1年、論文を提出する科目はどれも不本意な成績だったが、すりかえがあったのなら、納得がいく。
初めて動揺したリユユを見たギュキシムは満足したようだった。
「そなたによるいじめの証拠の多くは、我が尊敬する父上、国王へへへいかの友人であり、現在の正統なフランサイエ伯爵令夫人、アーリーシャ様が提供してくださった」
義母は一代男爵家の令嬢だった。学生時代に国王陛下、フランサイエ伯爵、その他と「青春」を満喫したとのことだ。
せいしゅん。
意味深長に陰口をきく者は多い。15歳の学生が知っているくらいだから、相当だ。
そんなわけで、中等部を卒業したばかりのリユユは、かなりツッコミどころが多いずさんな理由で伯爵家を追い出され、婚約破棄された。そもそも婚約は侯爵家からの懇願で、幼少期から身仕舞いを整えること以外全てが拙いギュキシムを支えるために決まった取り決めだった。それを断ち切る闇の力。
有能な法律家と権力がある後ろ盾さえあれば、覆すのは簡単そうなあらだらけの放逐劇。しかし、「せいしゅん」の深い闇に、ヤバい匂いを感じたリユユは早々に撤退した。
「『せいしゅん』の愛し子に次期侯爵夫人の座、さらに女伯爵。使えない次期侯爵は適宜処分といったところかな」
約2年後、平民として孤児院に入り、公立高校3年に進級した優等生としてがんばるリユユ・モチシャー(17)のところに、「後ろ盾」になりうる人物がやって来た。中等部2年のとき、儀式学の特別講義を担当した、フェリクス・グラウベンスタイテン=ミリラーグーミイ王弟殿下だ。
「煩わしい地方での業務の長期指揮を突然押し付けられたのは変だと思っていたが、まさか教え子の放逐劇の邪魔にならないように兄上が計らったとは。知るのが遅れて、助けられず、すまないことをした」
儀式学とは、神器に代表されるざまな政治を司る仕組みを学ぶ学問だ。
王弟殿下であるフェリクス先生(当時22歳)の専門は地方自治関連の儀式学。リユユ(当時14歳)は特別講義に目を輝かせて聞き入り、優秀な成績をおさめた。このときは自分が書いた(丸っこい稚拙な字ではなく)論文がフェリクス先生に直接届いていて、よかったと思うリユユだった。
現国王陛下は凡庸な知性の持ち主だが、卓越した社交力で今の地位を保っていた。前王の長子であること、ちょうど良い年回りだったことが幸いして、揺るぎない治世を続けている。前王正妃の生んだ弟の第二王子は早い時期に身体の弱さを理由に継承権を放棄して、正妃の母国の療養所に入っている。現国王と正妃との間には3人の王子がいて、諸々安泰である。
現王と同じ側妃腹の年の離れた弟(フェリクス先生)は、帝王学というより、臣下として兄を盛り立てる地方自治が専門の学者だ。
「ずっと兄上を盛り立てるために生きてきた。でもさ、『愛し子』のために、私の大事な教え子の地位を奪うなんて許せない」
リユユは思った。
――先生があのとき居合わせたら、大変な騒ぎが起きていたかも。
「大丈夫ですよ、フ……殿下」
「いいよ、フェリクスで」
「他人の前で出てしまいますと、大変なことになります」
「そうだね、いまは殿下でいいか」
深みのある紫の目が意味ありげに輝いた。その目にリユユは初めて「ぬるり」としたものを感じた。それが「嫌ではない」自分が畏れ多いことだと思った17歳。
そのとき熱く語った公立大学で地方自治を学ぶ夢が、「じゃあまず聖騎士になる勉強をしたら? 平民枠の給費制奨学金がある」と乗せられ、かなわなかったのが運のつきだったかもしれない。しかし、矯正下着不美人のリユユは頭脳のみならず身体能力も優れていて、厳しい教育を耐え抜き、良い聖騎士になった。
不本意だったが、公立大学を出て文官になるより良かったのかもしれない。
フェリクス先生が喜んでくれるなら……いや、庶民がそのようなことを思うのは、不敬である。
***
さて、話はリユユ21歳の頃に戻る。
詳細は侍従が説明する、そういって、緑色のマントを翻して、殿下は立ち去った。聖騎士リユユに溺愛――いや、それは冗談だ! とリユユは脳内で動揺した――神器の鍵にまつわる業務を断る隙を与えずに。
殿下の侍従クローリブル・ド・ゾンマーエンデンが話しかけてきた。
「モチシャー様」
平民リユユだが、聖騎士になったことで、敬称は「様」となっている。
「はい」
「私のことはクローリブル卿とお呼びいただければと。神器の扱いなど、注意を要することもございます。長い名字は差し障りがあろうと、殿下のお許しが出ております」
なぜそこで殿下? と思いつつ、リユユは呼称を確認した。
「諸々ご説明したいことがございます。まず、寮からこれからご案内する場所に移って頂きたく」
「かしこまりました」
私物を収納魔法にまとめておくのも聖騎士のたしなみのひとつだ。女子寮の入り口前に駐車した移動器具内で待機したクローリブルのところに着替えと挨拶込みで30分後リユユは戻った。
移動器具はいかにも貴族の邸宅らしい塀に囲まれた建物の前庭に止まる。
ささっと降り立つクローリブルのあとをついて出ようとしたリユユの耳に軽やかな声と足音、そして目にその持ち主の小柄な姿が入った。
「クー、おかえりなさい」
「カティ、ただいま。リユユ・モチシャー様をお連れしたよ」
クローリブルとはここ数年、折々に顔を合わせたが、こんなとろみのある表情をリユユが見たのは初めてだ。それは少し殿下がリユユに見せる表情に似ていたが、もっと安心感に満ち、あたたかい。妻と相互に通いあうような気持ちが心地良く感じられた。
通された部屋をリユユは一瞬で大好きになった。応接間というより、家族が過ごす場所のようだった。広い机に、飲み物と軽食が配置される。もてなしのあたたかい気持ちとともに、これからの資料確認の邪魔にならないよう配慮されたのを感じる。
小柄でふっくら、あっさり風味の素朴な容貌のカティは、内面から気品が湧き出すような生真面目な表情でリユユを見て、話しはじめた。
「殿下が先日入手した神器の鍵を聖騎士リユユ・モチシャー様に託したこと、夫から聞いております。このことを知るのは私たちふたりのみでございます。全力でお守りしますので、どうぞよろしくお願いいたします」
向かいあったソファに座った夫婦へリユユは微笑んだ。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。私はこれからこちらで暮らすことになりますか?」
「はい、お部屋に後ほどご案内いたします。まずはクーから諸々ご説明します」
カティが部屋を出て行き、元の無表情に戻ったクローリブルが資料をひろげはじめ、長い打ち合わせが始まった。
なお、その後、子爵家の子どもたちも交えて楽しく暮らすようになったリユユとカティは、姉妹のように親しく敬称なしで呼び合うようになったが、クローリブル卿はずっとモチシャー様とリユユを呼んだ。
「クーは信頼されてはいるけれど、許されてはいないのよ」
カティはそう言って笑った。
***
それから5年。
リユユは自室で書類仕事をしていた。扉を叩く音がする。リユユはうれしくなって微笑み、すぐに落ち着いた声で呼びかけた。
「どうぞ、入ってください」
満面に笑みを浮かべた新婚1ヶ月目の夫が入ってきた。リユユを抱きしめ、顔を近づける。フェリクスの目に映ったリユユはとろんとした表情を浮かべている。柔らかな夜着姿のフェリクスも、安心しきった色気のある表情をリユユに向けている。
王国は昨年、共和国に生まれ変わった。共和制主義者の集団が議会を創設し、武力革命などではなく、平和に政治体制が変わった。
とはいえ、公正な国際裁判により多数の政治犯は裁かれている最中だ。多くの既得権益をずるく私物化していた者たちにとって、王国がなくなること自体が打撃だった。それに加え、ふさわしい対応がなされているという。
義家族(生物学上の父を含む)は没落していた。王国崩壊前、贅沢ができなくなりそうということをいち早く感じ取ったパーミリアは、夫を捨て娼館に就職した。矯正下着から自由になった贅肉多めの熟れた体は一部に人気を博すかも、と娼館の主人は期待した。しかし、口頭でのワガママに激怒した娼婦仲間に撲殺された、ものわかりのよい義姉を嘲ることに慣れてしまったのが死因に繋がった、という皮肉な末路だった。
なお、残されたリユユの元婚約者は、「ぜったいもおかる新き授業のな立ち待ちにたちたちる」という意味不明な汚い直筆書き置きを残し、全財産を換金した後、消息不明だ。
共和制への移行を率いた者たちのひとりに、フェリクスの次兄がいた。いまは王国で不正をしていた者を取り締まる部署で実務を担当している。廃位王の弟、先代王の第二王子だった次兄は、療養所にいるふりをして、教養と見聞を広め、新しい政治体制を学び、ひとびとをつないだ。
長兄の「せいしゅん」仲間の腐敗と専横に憤る弟フェリクスに神器を用いる策を授けたのも次兄だ。
さまざまな神器の中で、フェリクスが苦労して入手し、リユユが戸惑いながら複雑な工程を経て鍵を開けた神器は、国の行政機関が連絡を取り合うことを容易にする機能を持っていた。使いこなせるようになるまで、3年ほど大変な苦労をしたが、確実で有用な神器技術を使いこなす共和国に国民は厚い信頼を寄せている。
「打ち合わせはうまくいきましたか?」
平民同士、夫婦なのだから、敬語は要らない。そうたびたび言われても、直るものではない。
「うん、この間リユユが新しい魔法適用方式を提案してくれただろ、あれを教えたら、納期が早まるって」
神器は、ひとがつくるものではない。いまリユユたちが使わせていただいている神器は、フェリクスが条件を満たし、試練を経て、授かったものだ。しかし、その鍵を開け、運用するための魔法を学び、適用して試行錯誤するのはひとだ。
それをこの国では儀式と呼ぶ。
「フェリクス先生」
「何ですかリユユさん」
悪戯っぽい、ぬるっとした表情をわざとしたようだ。
「子どもで無知な私に、儀式学を教えてくれてありがとうございます」
「こちらこそ、リユユを幸せにしたいと思った、そのことがこの国を幸せにした。愛してるよ」
「私も」
フェリクスとリユユは手をつなぎ、リユユの部屋を出て、ふたりの部屋に入っていった。
読んでくださいまして、ありがとうございました。この話は「わきまえかぼちゃ」シリーズ https://ncode.syosetu.com/s4817h/ のウルデンゴーリン王国と同じ大陸にある国を舞台にしています。長編予定でしたが、短編にまとめることが出来ました。いつかまとめたときにはしょった部分を書きたいです。
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