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 帯方郡の役人たちと兵士たちに案内され、難斗米たちは洛陽に到着した。

 百万の民を抱える魏の都は、難斗米たちの想像を遙かに超えて大きかった。

 街の通りは八洲では考えられないほど広くて真っ直ぐだった。行く者を遮るような城塔には黄色の流旗が連なっていた。


 城門を潜った難斗米たちは、見上げるような宮城を進み、朝堂の中に入った。

 左右の壁には黄の絹布が垂れ、黄金の装飾が陽の光を受けて輝き、青みがかった石畳が敷かれていた。

 大きな銅鑼の音が二つ響き、居並ぶ朝堂の群臣がしんとした。


 曹叡が現れて龍椅に座った。

 難斗米たちを出迎えた曹叡は、女王国に毛織物や百枚の銅鏡、錦、絹、刀などを授与するばかりではなく、魏と親しい倭人の王として親魏倭王しんぎわおうの位を卑弥呼にやり、その印として金印紫綬を授けた。

 難斗米と牛利もそれぞれ率善中郎将そつぜんちゅうろうじょう率善校尉そつぜんこういなる高い官職に任命され、共に銀印青綬を与えられた。


 幾ら筑紫島の南部、延いては呉への抑えを期待されたとしても破格の待遇だったが、それには裏があった。

 親魏倭王の称号は卑弥呼の他に大月氏国だいげっしこくの王である波調はちょうにも授けられていた。

 大月氏国の調波とは大秦国たいしんこくのローマ帝国や安息国あんそくこくのアルサケス朝と並ぶクシャーナ朝の皇帝ヴァースデーヴァのことだった。


 そのような西北の帝国と同盟していた魏は、東南にも同等の存在を求め、女王国をそれと見なした。

 卑弥呼に親魏倭王の地位を与えれば、当時の地理において曹叡は四方の大国を従える超大国の主となる。

 そうした政治的な事情から女王国の使節は分不相応に歓迎され、難斗米たちは舞い上がってしまった。



 帯方郡や洛陽で難斗米は多くの漢人たちと知り合い、その一人が張政ちょうせいだった。

 張政は帯方郡の武官で、難斗米が洛陽を訪問するのに同行していた。

 彼は長身痩躯の美男子で、髪はくすんだ金色をしており、茶色の瞳は優しげだった。


「これがお前たちに関する魏の記録だ」


 彫刻のある勾欄の上で難斗米と卓を囲み、張政は彼に木簡を渡した。

 それは『魏書ぎしょ』という魏の歴史書のために書かれた文書で、後に『魏略ぎりゃく』や『三国志さんごくし』なる史書が倭人のことを記述する上で参考にされた。

 難斗米は張政から渡された木簡に目を通したが、やがて卓の上に投げ出した。


「まるで女王国が儋耳たんじ朱崖しゅがいみたいじゃないですか」


 儋耳と朱崖は漢土の南方にあり、そこにいる人々は、海中に潜って魚や貝を捕るのが上手かった。

 彼らは鮫や鯱から身を守るため、顔や体に威嚇の刺青をしていた。

 そうした風俗が倭人にも見られると木簡には記されていた。


「確かに海人あまはそんな感じですが、彼らは会稽の東治とうやなどからやってきた呉人ごひと越人えつひとです」


 海人は難斗米が言うように漢土の南方から来た人々で、体中に刺青があり、漁撈だけではなく操船にも長けていた。

 彼らは大海祇神おおわたつみのかみ大海祇おおわたつみの末裔を族長とし、操船の腕を買われ、倭人の船に雇われていた。

 大海祇は海の神々である海祇わたつみの王で、呉人や越人らが崇拝する龍と重ねられていた。


「そう書いた方が辺境の蛮夷らしいということなんだろ。俺もそのやり方には賛成しかねるがね。蛮族の文明化は中華たる漢土の使命だが、それには教化の対象である夷狄を正確に把握しなくちゃならない」


 張政は戎服を着ていたが、その容姿は知性と教養を感じさせ、どちらかと言えば文人のようだった。


「『論衡ろんこう』によれば倭人はしゅうに薬草を献上している。そんな昔から漢土の徳化に浴してきたのだし、漢人とそう懸け離れていることもないだろう。『論語ろんご』で文明人に靡きやすいとされた九夷きゅういの一つかも知れない」


 広げられた木簡を巻き直しながら、彼は難斗米に微笑んだ。


「だから、俺は帯方郡への赴任を志願した。蛮族を開化させるために。そして、まさか倭人の国に俺と同じ志の漢人をいたなんて嬉しいよ」


「…そんな……身に余る評価です」


 魏の文明に圧倒されていた難斗米は、それを築いた漢土から認められ、嬉しさの余り冷静さを失って涙した。



 難斗米も帯方郡や洛陽で見聞きしたことを記録していた。

 その記録は漢字で書かれた漢文もあれば、神字かんなで記された日文ひふみもあった。

 女王国では牡鹿の肩甲骨を焼き、生じた割れ目の形などによって占う太占ふとまにが行われ、そうした骨の割れ目から作られた文字が神字だった。


 その神字で倭人の言語を書き記した文章が日文で、邪馬台国の巫女など限られた者しか読み書きできず、奥義の継承や秘密の通信に用いられていた。

 表沙汰には出来ない報告を神字による日文で作成しながら、難斗米は漢字と漢文の偉大さを改めて認識させられた。

 洗練された漢字で綴られる漢文の奥深さに比べ、神字は野暮ったくて日文も稚拙だった。


(邪馬台国の学問そのものが神字と日文みたいなものじゃないか?)


 漢土の学問を八洲の実情に合わせたと言えば聞こえは良いが、それは蛮習によって劣化させられただけではなかろうか。

 蛮風に染まった学問で啓蒙しようとしても野蛮人が文明化するわけなかろう。

 幾ら王化に染まりやすくても方法を誤れば、上手く行かないのは自明の理だ。


(卑弥呼さまに仕えたのは間違いだったかも知れない)


 確かに卑弥呼は不世出の女傑だ。

 しかし、所詮は倭人の女子おなごだ。

 漢人の君子ではなく、臣民にとって蛮人の名君に治められるのは、漢人の暴君に治められるよりも不幸なことだろう。


 難斗米は古の韓郷が羨ましかった。

 『史記しき』によれば漢土のいんから来た箕子きしが韓郷に箕子朝鮮きしちょうせんを建国し、続いて燕の衛満えいまん衛氏朝鮮えいしちょうせんを建てた。

 箕子朝鮮と衛氏朝鮮は善政を敷き、漢土の文明を持ち込んだと云う。



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