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 二三八年、難斗米たち魏への使節が邪馬台国を出発した。

 正使は難斗米に任せられ、副使は都市つしという官職にある牛利ごりが務めた。

 使節は松浦まつうら末盧国まつろこくで船に乗り、壱岐いき一支国いきこく対馬つしま対馬国つしまこくを経て韓郷に渡った。


 狗邪韓国に到った彼らは、馬韓ばかんの岸に沿って北上した。

 韓郷の西南部にある馬韓は、五十四の国が伯済国はくさいこくを中心に連合していた。

 伯済国は濊貊と同じ粛慎人みしはせびとたる扶余ふよの王族が韓人たちを支配しており、倭人とも関わりがあった。


 帯方郡の港に着くと、難斗米たちは郡の庁舎に向かった。

 公孫氏は既に滅ぼされ、帯方郡は魏の郡になっていた。

 しかし、未だ公孫氏の残党と魏の間で戦闘が続いており、難斗米たちは戦場を横断しなければならず、帯方郡を治める太守の劉夏りゅうかに謁見した時、貢ぎ物は織物と十人の奴隷だけになっていた。


 それでも、難斗米たちは帯方郡で歓迎された。

 卑弥呼が予想した通り魏は公孫氏に味方しなかった女王国を評価していた。

 また、女王国が呉と繋がりのある筑紫島の南部を牽制していることも、魏としては有り難かった。


 そこで、劉夏は難斗米たちを帯方郡で持て成したばかりか、早馬を都である洛陽らくようへ遣り、彼らが魏の皇帝たる曹叡そうえいに拝謁できるよう取り次いだ。

 都へ行く船も帯方郡が用意し、準備が整うまでの間、連日のように宴会が開かれた。

 そうした社交をこなしながら、難斗米たちは使者しか入手できないような情報の収集に当たった。


 帯方郡の立派な港やそこにある巨船、見たこともないほど沢山の人家、異様なくらい活気に漲った市街、途方もなく大きな庁舎の城郭など何もかもが珍しかった。

 難斗米は彼我の差を改めて痛感させられ、倭人を文明化させられるのか疑問に思わざるを得なかった。

 そのように悩んでいると、とある宴席で彼は旧知と出会った。



 難斗米たちは使節の宿に宛てられる堂宇にも圧倒された。

 細竹を植えたその中庭で難斗米は旧知の于老と再会を祝した。

 于老も難斗米たちと同じく使節として帯方郡に来ていたのだ。


 二人は中庭の木陰に椅子を並べ、果実汁で盃を交わした。


「都で皇帝に拝謁できるとは凄いじゃないか」


「帰国が延びてしまいますが、狗奴国が直ぐ攻めてくるわけではありませんし、皇帝と直に拝謁した方が魏の後ろ盾もより権威あるものとなるでしょう」


「魏も女王国に南の抑えを念押ししたいのだろう。まあ、辰韓としては女王国には倭人の海賊どもを抑えていてほしいがね。あの時も君とこうして膝を付き合わせたものだ」


 于老が話題に挙げたのは、倭人による辰韓への襲撃だった。

 一九三年、八洲は異常気象に見舞われ、飢えた倭人の一部が食を求めて辰韓に渡った。

 しかし、韓郷や漢土も飢饉になっており、行き場を無くした倭人は海賊行為を働いた。


 二三二年、倭人の海賊たちは辰韓に侵入して王都を包囲し、王の助賁が自ら出陣しなければならないほどの危機に陥った。

 助賁は倭人の海賊たちを敗走させたが、倭賊たちは二三三年にも東方から辰韓に攻め入った。

 これには于老が派遣され、火計を以て倭賊たちの船を焼き、倭人の海賊たちは溺れて全滅した。


 なお、于老の弟である利音も二〇九年に倭賊の襲来を防いでいた。

 このように倭人の海賊たちが韓郷を跋扈していたので、韓郷における倭人の評判は地に落ちた。

 女王国も関係の修復に使者を派遣しなければならなくなった。


 辰韓への使者には難斗米が選ばれ、于老と交渉に行った。


「その際にも申しましたが、海賊たちは越国こしのくにからも来ています。女王国の支配もそこにまでは及んでいません。於投馬国えつもこくは越国と一衣帯水の間柄でしたが、それでも、影響力には限界があります」


 出雲いずもの於投馬国は女王国において邪馬台国に次ぐ大国で、五万余戸の人口を誇っていた。

 宇美うみ不弥国ふみこくから穴門あなとを越え、筑紫島から秋津島へと渡ったところに位置し、北ツ海を介して越海や韓郷と交易していた。

 天照の次男たる天穂日命あめのほひのみこと穂日ほひの末裔が治めていたが、崇拝する神々は君臣で異なった。


 倭人は八洲に土着した粛慎人や韓人だったが、粛慎人の倭人である天孫族てんそんぞくと韓人の倭人たる出雲族いずもぞくに分かれていた。

 天孫族は天津神を崇め、出雲族は国津神を拝み、於投馬国の王は天津神を、民は国津神を崇敬した。

 また、女王国は天津神を敬ったが、越国は国津神を信じ、信仰でも女王国と越国には隔たりがあった。



 于老は難斗米の返答に溜め息を吐いたが、その嘆息には同情の響きがあった。


「漢人の子孫である君が倭人の尻拭いに悩まされるとはやるせない話だ」


「……僕は女王国の人間ですから」


 文明化させてやっている倭人に足を引っ張られている気持ちもなくもなかったが、難斗米はそれが表に出ぬよう押さえ込んでいた。


「別にそうでもないと思うがね」


 それゆえ、于老の意外な言葉に驚いて顔を上げた。


「遠い昔に言った喩えだが、泥中を浄めるか種を飛ばすか。君は泥中を浄めることを選んだ。それは種を飛ばしたくても半ば倭人の漢人たる自身は半端者で、余所に行っても居場所がないと考えたからだろう?」


 胸中を言い当てられて難斗米ははっとさせられた。


「しかし、私から見て君は立派な漢人だ。きっと漢土でも通用する。皇帝への拝謁も君が蛮族と見なされたなら許されなかったに違いない」


「僕が漢土で漢人と認められる……」


「女王国の半端者としてではなく、漢土の漢人として倭人を教化したまえ」


 自嘲するように笑って于老は果実の汁を啜った。


「私は泥水を啜ることも、根を伸ばす努力もしなかったのだから、少なくとも諦めなかった点で君は立派だ」


 難斗米は于老に持ち上げられ、逆に戸惑って何も言えなかった。



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