六
狗奴国より邪馬台国に帰ってきた難斗米ら使節は、卑弥呼に報告するため、輿に載せられて王宮にやってきた。
王宮の区域には巨大な高床式の建物が何十棟と並んでおり、その全てが白木造りだった。
他に竪穴式の住居もあった。輿を降りた難斗米たちは、高殿の一つの前で皮の沓を脱ぎ、その階を上がっていった。
回廊まで昇った難斗米たちが跪き、自分たちの来訪を報せると、扉が内部から開かれ、麻の長衣をまとった男弟が現れた。
邪馬台国の王であった卑弥呼と男弟の父は既に死んでいた。
今や男弟が邪馬台国の王で、女王国の頂点に立つ卑弥呼を補佐していた。
「あの獰猛な卑弥弓呼の下から君たちが無事に帰国できて何よりだよ。女王がお待ちかねだ。狗奴国のことを聞きたくてうずうずしてる」
室内は白木の板敷きで、真新しい木の香りが清々しかった。
卑弥呼の即位に当たり、新築されたその建物は清浄かつ質素で、虚飾を省いていたが、飾りは毛織りの敷物に座っている麗人だけで事足りた。
その若くも臈長けた女性は、上等な漆黒の衣服を着ており、ちらっと眺めただけで血の騒ぎを覚えるほど美しく、生まれながらの気品があった。
彼女は敷物の上に座ったまま鏡と長頸壺の土器を手持ち無沙汰に弄んでいた。
難斗米たちが青い薄縁の上で麗人にひれ伏した。
麗人が頭を上げるよう難斗米たちに告げた。
「さあ、早く話せ」
そう命じる麗人の口が山犬のように大きく裂けた。
それは人を畏れさせもしたが、同時に威厳を湛えた美しさも感じさせた。
麗人は女王となった卑弥呼だった。
◆
難斗米たちの報告を聞き終えると、卑弥呼は知識を増やせたことに対し、満足そうに息を吐いた。
「女王国が下の立場となるならば、同盟を受け入れるのだな、卑弥弓呼は」
更に彼女は状況を冷静に分析し、難斗米と同じ結論に達していた。
「まあ、そう易々と手を結べるはずもないか。しかし、相手の要求に従っては搾り取られるだけだ。ここはこちらが格上だと、はっきりと認めさせねばならん」
「ですが、そのために雌雄を決しようと戦争しては本末転倒です」
難斗米の反論に卑弥呼は立ち上がって応えた。
「韓郷に渡って魏と接触しろ」
「……帯方郡ではなくて魏ですか」
帯方郡は漢によって設立された。
その漢が滅びると、公孫氏という地方の軍閥がこの帯方郡をほぼ私領と化した。
女王国は韓人や漢人と交易するため、韓郷と漢土の間を押さえる公孫氏に朝貢していた。
「巫覡たちによれば北の魏と対立する南の呉は、東の公孫氏と同盟し、魏を挟み撃ちにしようと計画したそうだ」
知ることに貪欲な卑弥呼は諸国に巫覡たちを放ち、情報を収集させていた。
「そこで、魏の将軍である司馬懿は陸と海から公孫氏を攻め立てた。窮地に陥った公孫氏は、女王国にも援軍を送れと言ってきている。ここで魏に味方したなら、公孫氏が滅びた暁には女王国の株は大いに上がるだろう」
「しかしながら、仮に公孫氏が勝てば、女王国は権威が地に落ちるだけではなく、最悪、彼らに滅ぼされてしまうでしょう」
懸念する難斗米に卑弥呼は牙を剥いて笑った。
「徐福の末裔にして天照の子孫たる女王の予言を信じろ」
女王国の女王は女神である天照だった。
けれども、卑弥呼は天孫の姫巫女として自身を天照の生きた依り代と宣言し、徐福の教団が残した叡智を十二分に活用することでその地位を認めさせた。
そうして彼女は徐福の教えに基づき、八洲の文明化に乗り出した。
それは正しく難斗米の夢見た理想だった。
ならば、理想の体現者たる卑弥呼の命令に従わぬ道理はなかった。
卑弥呼がこの泥沼のような世界も浄めてくれるはずだった。
◆
卑弥呼が難斗米たちに新たな指令を下した。
「魏に貢ぎ物を届けろ。一刻も早く」
帰順が速やかであるほど女王国の存在は強く印象付けられる。
たとえ貢ぎ物が貧相であっても魏の覚えはめでたいはずだった。
それに、八洲には魏から遠く離れた地に位置するという強みがあった。
漢土には遠いところから貢ぎ物が届けられることは、王朝の威光がそれほどまでに広く及んでいると証左として誉れと考える習いがあった。
公孫氏の背後を突き、遠い極東から貢ぎ物を届ける女王国は、魏にとって自国の威光を示す素晴らしい存在だろう。
それをなしたのが女王であるということも、男性社会たる漢土からすれば、辺境の異国という演出に打って付けだろう。卑弥呼はそのような都合の良い女を演じるつもりでいた。
「卑弥弓呼も魏が女王国の後ろ盾になる意味を理解できるはずだ」
そう言って彼女は手中の鏡と長頸壺の土器を撫でた。
鏡は呉から狗奴国にもたらされたもので、隼人により金で鍍金が施されていた。
土器も熊襲で作られ、胴部に重弧文の文様が描かれており、端正であって品の良い品だった。
女王国が帯方郡と通じていたように狗奴国にも呉との行き来があった。
呉も初代皇帝の孫権が将軍の衛温と諸葛直に一万の兵を与え、夷洲と亶洲を探索させるなど東方に関心を有した。
兵員の補充を目的とした呉の探索は失敗に終わったが、筑紫島の南部では呉の商品が取り引きされ、商人たちが呉の会稽に航海してもいた。
「これほどの製品を作っているのなら、戦争で奪うだけではなく、交易の旨みも知っていよう。
海外と接触があれば、外国の権威が分からぬわけはあるまい。
難斗米、漢土を味方とするのに遅れを取るな」
倭人は昔から漢土と交流があり、そのことが『漢書』や『後漢書』などにも載っていた。
彼らは海を渡り、新の王莽に珍しい宝物を奉った。
儺の奴国の王は漢の光武帝から印綬を賜与され、怡土の回土国の王たる帥升は諸王と共同で漢に遣使した。