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 倭人は航海技術に優れ、海上を縦横に駆け巡り、商業や植民に力を注いでいた。

 韓郷の中南部にある弁韓べんかんにも上陸して国を造り、伽耶かや狗邪韓国くやかんこくもその一つだった。

 倭人は韓郷に住んでいる韓人からびとや、その北方の粛慎国みしはせのくにからやってくる濊貊わいばくと通商したが、一方では海賊を働いてもいた。


 それゆえ、倭人は韓人や濊貊の諸国と同盟することもあれば、戦争することもあった。

 紀元後二〇九年、弁韓に十二ある国の内、八ヶ国から構成される浦上八国ほじょうはちこくに攻め込まれ、狗邪韓国は韓郷の東南部にある辰韓しんかんに救援を求めた。

 狗邪韓国も女王国に加わってはいたが、海の彼方にいる同族より陸続きの隣人に助けを乞う方が早く、また、邪馬台国などは韓郷の地理に明るくなかった。


 『三国史記さんごくしき』などによれば倭人と辰韓は昔から親密な関係にあった。

 辰韓は女王国のごとく斯蘆国しろこくを中心に十二ヶ国が連合しており、韓人の国ではあったが、その重臣には瓠公ここうのように倭人も登用された。

 丹波たには多婆那国たばなこくから来た昔脱解せきだっかい脱解だっかいのごとく王となった倭人もおり、逆に伊覩いと伊都国いとこくは辰韓の天日槍あめのひぼこ日槍ひぼこなる神を王族の始祖としていた。


 そうした繋がりに基づき、辰韓の太子たる昔于老せきうろう于老うろうが弟の昔利音せきりおん利音りおんと共に駆け付けた。

 ぼくせききんの三氏が辰韓の王族で、昔氏は倭人の脱解を始祖としていた。

 援軍を率いる于老と利音は、浦上八国の将軍を討って捕虜を得た。辰韓に救われた狗邪韓国は宴を催し、恩人である于老たちを招待した。



 宴は集会の館において大々的に催された。

 煮炊き屋から盛んに煙が上がり、沢山のご馳走が運ばれてきた。

 赤米の強飯や豚の焼き物、鮑と鯛の塩焼き、納豆、鹿の干し肉である干宍ほじし、焼き鮎、里芋の煮物などが卓の上に並べられた。


 いずれも倭人の料理だったが、酒は漢土のものが供された。

 韓郷の西北部は楽浪郡らくろうぐんおよび帯方郡たいほうぐんという漢土の郡が置かれ、そこから漢人たちが移り住んできてもいた。

 狗邪韓国の少年たる難斗米なとめもそのような漢人の子孫で、国際共通語である漢語を話せた。


 真っ直ぐな褐色の髪をした難斗米は、涼やかな瞳と均整の取れた肉体を持ち、爽やかな印象の美少年だったので、宴に出席することを許された。

 辰韓の貴族には花郎かろうなる美少年を奉戴して団結する習俗があった。

 難斗米は透き通って香りの強い酒を甕から于老の盃に注いだ。


 于老が盃に口を付けた。

 紅を引いたかのように赤い唇をした于老は、明るい茶髪をしており、すらりとした体躯に韓風の衣をまとわせ、優美な雰囲気からは育ちの良さが感じられた。

 彼は酒を飲み干すと、茶色い瞳を難斗米に向けて満足げに頷いた。


「漢土の美酒を漢人の美童に注いでもらえるとはこの蛮地で唯一の慰めだよ」


「……殿下のお疲れを幾らかでも癒やすことが出来て良かったです」


 流暢な漢語で于老が難斗米に話し掛け、難斗米は于老の言葉に作り笑いで応じた。

 韓郷の方が漢土に近い分、八洲よりも文明が進んでいたが、流石に友好の場で正面から相手を野蛮と評するのは問題だった。

 もっとも、皆に酔いが回り、宴会の部屋は人々の賑やかな話し声と笑い声で一杯になっていたので、于老と難斗米の漢語による遣り取りを聞き咎める者はいなかった。


「泥中に咲く花は、見る者を楽しませる。花にとっては不幸なことだがね。泥の中で咲き続けねばならないのだから」


 美しい音楽が流れ、若い男女の踊り手が舞い、皆が盛大に拍手する中、難斗米には于老の声しか聞こえなかった。



 難斗米の先祖が韓郷に移住してきたのは、なん氏の一族である彼が五斗米道ごとべいどうの信者だったからだ。

 五斗米道は徐福の教えと同じく鬼道の一つで、秦に代わって漢土を統一したかんに反乱を起こし、国家として独立を果たした。

 しかし、漢が衰えて漢土がしょくの三国に分かれると、魏の曹操そうそうに討伐された。


 そうして難斗米の先祖は難民となり、韓郷に逃れてきたのだ。

 難斗米の氏名は難氏と五斗米道を組み合わせた命名で、彼の一族は漢人の知識を狗邪韓国の倭人に提供することで糊口を凌いだ。

 しかし、漢人の知識は狗邪韓国の倭人から重宝されたが、難斗米の一族は珍獣か便利な道具のように扱われた。


 そのような狗邪韓国での生き辛さを于老から指摘され、難斗米は彼の言葉から耳が離せなくなった。


「君ももっと別なところで咲き誇りたかったろう」


 于老の声には実感が籠もっており、難斗米は彼にまつわる噂を思い出した。

 辰韓の太子に生まれた于老は、幼少の頃から努力せずとも何でも出来てしまう天才だった。

 だが、そうであるがゆえに周りから妬まれ、宮中で孤立してしまい、軍隊に入っても将帥より寧ろ兵卒と親しく交わった。


 それは初めから地位が隔絶しているからだった。

 同等たることを初めから期待しもされもしていないために気楽に接せられた。

 兵士たちは于老を神のごとく崇められた。


 しかしながら、その崇拝は人としての尊敬ではなかった。

 そして、戦場から宮廷に帰れば、待っているのは人を人とも思わぬ陰謀の渦だった。

 そのせいか于老の態度にはどこか投げ遣りなところがあった。


「泥の中で咲くのが嫌なら、選べる道は二つ。一つは泥水を啜って漉し、泥中を浄める。もう一つは余所に根を伸ばし、種を飛ばす」


 難斗米が于老の盃に酒を注ぎ、于老は顔を隠すように盃を傾けた。


「私はどちらも出来なかったが……」


 その後、于老は従伯父の昔助賁せきじょふん助賁じょふんに王位を譲り、自身は王にならなかった。

 難斗米の方は女王国の中心たる邪馬台国に渡り、女王となった卑弥呼に仕えた。


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