二十
吉備を出発した五瀬たちは、播磨にて速吸門という海峡に差し掛かると、速い潮流に悩まされた。
そこで、彼らは水先案内人である漁人の椎根津彦に頼った。
椎根津彦は珍彦なる国津神の末裔とされ、その神は亀に乗り、潮流の道に詳しいとされていた。
彼は海女の姉妹たる黒砂と真砂ともども良く働いた。
椎根津彦が潮の流れを読んでくれたので、五瀬たちの船は見る見る内に難波碕を通過し、河内潟を抜けて白肩津に着いた。
そこで五瀬たちは長髄彦たちと合流した。
五瀬が使者を遣わしていたため、既に長髄彦と話は付いていた。
内憂外患に苦しんでいた長髄彦は、予想もしていなかった同族の助太刀に喜び、ひとまず五瀬たちを河内の草香邑に住まわせた。
彼は大和のみならず河内や摂津にも勢力を張っていた。
しかし、摂津はアシアトウアン/トウアンという播磨の族長に脅かされていた。
『カタカムナ文献』によればトウアンは芦屋に住むアシア族を率いており、彼らは大陸の進んだ製鉄技術を有した。
播磨でも製鉄が行われており、そこには辰韓から渡来した人々が移り住んでいた。
その一派がアシア族で、トウアンは大和への侵出を画策していた。
彼としては木国への通り道である大和を抑えておきたかったのだ。
長髄彦はもし五瀬たちがアシア族の侵攻を退けたなら、肥沃な田畑のある土地を分けると約束し、五瀬もその条件を受け入れた。
「伯父上、お弁当を作ってきました」
兵を率いて草香邑を出る五瀬に研耳が竹皮の包みを差し出した。
竹の皮には炒り胡麻を混ぜた焼き団子、干した川魚を炙ったもの、瓜の塩漬けが包まれていた。
弁当には川の水を汲んだ竹筒も付いていた。
「お前の料理を味わえるのは楽しみだが、そんな顔で渡されては食事も喉を通らんぞ?」
五瀬は研耳から弁当を受け取り、草香邑に残る甥っ子が心配そうにしているのを鼻で笑った。
「アシア族が使っている武器や防具は、こちらより良い鉄を用いているそうなんだから、研耳に心配するなと言うのも無理な話だよ、伯父さん」
研耳の肩に手を置き、自分は五瀬と共に従軍する手研耳が弟を擁護した。
「研耳、戦ってのは武具だけがものを言うんじゃねえ。オマエが作ってくれた弁当みてえな飯をどう用意するかってのも大切で、要は頭の使いようが戦の決め手なんだよ。そうだよな、義兄貴?」
吾平津媛が研耳を安心させようと五瀬に話を振った。
「ああ、攻めてきたトウアンは、我々に勝たなければならないが、守る我々はトウアンに負けなければ良い。いや、負けても生きて後に繋げられれば完敗ではない。だから、研耳、この五瀬の後を繋ぐお前は生きろ」
五瀬が研耳の頭を撫でて言った。
若御毛沼の末子たる研耳は再興される日向の後継者だった。
そして、それ以上に未来の象徴だった。
◆
トウアンが軍を動かした。
アシア族の軍勢は川に沿い、播磨と摂津の境界となっている山道を進んだ。
川に沿うため、陣列は縦に長くなって兵力が分散された。
五瀬たちは崖の上に伏せ、アシア族の軍勢が半ばまで通り過ぎるのを待った。
そして、その機会が訪れると、隼人の兵士たちが崖を転がり落ちるようにアシア族の横を衝いた。
急襲を受けたアシア族は、散り散りに逃げていき、隼人ほど身軽でない倭人たちも敵軍が混乱している間に崖を降りて攻勢に加わった。
アシア族は剣を交えようともせず、ただひたすら麓に向かって駆けた。
その先には谷が開けていた。
逃げる敵を追った五瀬たちは、谷に出たところで弓矢の雨を浴びた。
五瀬たちが怯むと、アシア族の伏兵たちが馬を駆けて突っ込んだ。
地形を予め調べた上での巧妙な伏せ方だった。
元から武具の差も大きいので、戦術においても上回れれば、五瀬たちがアシア族に対抗できる余地などなかった。
そのままではアシア族が五瀬たちを負かしただろう。
しかし、そうはならなかった。
上流から思いも寄らぬ舟の波が押し寄せたのだ。
海人たちの小舟が次から次へと川を下ってきた。
流れの勢いに乗った小舟は余りに速かったが、海人たちはそれをものともせず、蝗の群れのごとく一挙にアシア族へと襲い掛かった。
自慢にしてきた武具や戦術が通じず、崖の隼人および倭人と川の海人に挟まれ、アシア族は戦意を喪失した。
五瀬たちは降伏すれば赦すとアシア族に叫び掛けた。
文明人を自負するがゆえ、蛮族への降伏を恐れていたアシア族は、命が助かると知り、剣を捨てて地に膝を突いた。
それら一連の流れは五瀬の練った策だった。
◆
五瀬はアシア族に対し、自分と手を組むならば、大和に口利きすると告げた。
アシア族にしてみれば、木国への通り道たる大和を通過できれば良かったので、五瀬からの提案に応じる者も少なくなかった。
彼らは五瀬の提案に反対するトウアンを追放した。
「いつものこととは言え、兄さんの人誑しには感心させられる」
「そんな大将だから俺も惚れたのさ!」
感嘆する若御毛沼に大久米が哄笑した。
「日臣を妃にしたのは、伊達じゃないといったところか、厳」
若御毛沼がそう厳媛に話を振った。
厳媛が五瀬を護るのは、彼が王を代行しているのに加え、二人が内縁の関係にあることも関係していた。
それゆえ、彼女は妃命とも呼ばれた。
「もし君が望むなら、兄が王の代行を辞めた後も、引き続き仕えて構わないよ。君は僕の義姉だ。孝行の一つでもしないとね」
日臣を襲名した厳媛は、いずれ日向の王たる若御毛沼に仕えなければならなかったが、若御毛沼も彼女を五瀬から引き離すことは望んでいなかった。
「私が望むかどうかで決められることではありません」
厳媛はそっぽを向いたが、その耳は赤かった。




