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倭事記~小説 古代日本~(未完)  作者: flat face
第一章 神武天皇
19/22

十九

 吉備は王の支配する領域がそのまま一つの国家を形成する領域国家だった。

 邪馬台国のような都市国家と異なり、都市の内外が環濠で隔てられていなかった。

 邪馬台国は先進的であるがゆえに都市国家の段階で完成し、領域国家に発展しなかったのかも知れない。


 五瀬は吉備の都を歩いてまわりながら、市内をつぶさに調査した。

 都は立派な柱を持つ高床住居が並び、繁栄のほどが窺われた。

 邪馬台国とは異なり、郊外の農村や他の都市との明確な壁がなく、人やものの流れがより活発だった。


 旅立つ準備は既に整っており、五瀬は残された時間を吉備の視察に費やした。

 それは今後を見据えてのもので、仮に大和の土地を得ても、そこをしっかり治められなければ意味がないという考えによるものだった。

 それゆえ、五瀬は各地で国の在り方も学んでおり、吉備では都に宿を借りた。


 ところが、で五瀬の見学は唐突に妨げられた。

 通りを行く五瀬の眼前に大勢の人間が立ちはだかっていたからだ。

 見るからにごろつきらしい男たちだった。


「げっ!?」


 頭上から聞こえてきた声に五瀬は振り返った。


「また何かやらかしたとは言うまいな、大久米おおくめ?」


 五瀬の背後には二人のお供がいた。

 一方は鬼のごとき黒髭の大男で、黒色の布を頭に巻いていた。

 下は奴袴を穿いていたが、上半身の方は裸で、日焼けして分厚い胸には傷が幾つも刻まれており、ぎょろりとした目は、海人の入れ墨で殊更に鋭く縁取られていた。


 大久米命おおくめのみこと大久米おおくめというこの大男は天孫族で、日向の貴族の出身だったが、若い頃からの放蕩の末に出奔し、海人たちを率いる賊となった。

 そのような大久米が五瀬にお供しているのは、彼の評判を聞いた五瀬がを口説き落としたからだ。

 五瀬にも山っ気があるため、大久米とは気が合った。


 末子相続を取る日向の者として長男たる五瀬は必ず家を出なければならない。

 独立の日を見据え、彼は早くから独自の人脈作りに努め、ならず者たちとも付き合いがあった。

 大久米は日向が荒廃しつつあるのに気付いてもおり、清濁を併せ呑む五瀬なら、生き残るために仕えても良いと思えた。

 ただ、部下たちともども五瀬へ仕えて以後も、大久米の素行は賊であった頃と大して変わらなかったので、揉め事を起こすことも少なくなかった。


「いや、まぁ、昨日の晩にここの娘たちと懇ろになってよ~」


「大方、やくざ者の情婦か何かだったんだろうな」


 男たちが棒を手に突進してきた。



 その瞬間、何者かが五瀬と大久米の頭上を鮮やかに飛び越え、二人に襲い掛かろうとする男たちの前に着地した。

 その者は漆黒の髪を結い上げた女で、すらりと背が高く、きつい眉に切れ長の目をし、凜として美しくも気の強さを窺わせた。

 男の衣装をまとい、黒い帯に剣を吊り下げていたが、浅緑の上衣は巨大な乳房に押し上げられていた。


 女は日臣ひのおみたる厳媛いつひめだった。

 日向における天孫族の王は彦火々火出見尊(ひこほほでみのみこと)火々出見(ほほでみ)の名を世襲し、天神御子あまつかみみこと呼ばれてもいた。

 そのような日向の王を護衛する直臣が日臣で、最も武芸に秀でた者が襲名した。


 厳媛は迫ってくる男たちの肩に思い切り杖を叩き付け、杖先で彼らの鳩尾を突いた。

 先程、五瀬と大久米の頭上を飛び越えたのも、その杖を勢い良く突き立てて大地を蹴ったのだ。

 彼女は更に変幻自在に杖を操って威嚇し、残りの男たちを後退させた。


「大久米、貴様が何をしようと知ったことではないが、それに我が君を巻き込むな」


「すまんすまん、娘たちが離してくれんでなぁ~」


 大久米は厳媛に睨まれ、頭を掻きながら笑うと、荷物を持っていた手を振り上げた。

 後方の物陰から飛び掛かってきた男たちが大久米の荷物に弾かれた。

 大久米は倒れた男を踏み付け、立ち上がろうとする者の顔面を派手に殴った。


 戦意が萎えた男たちに五瀬が言い放った。


「さっさと立ち去れば許してやろう。大久米を持て成してくれた礼に命までは取らん」


 さも自分が戦ったと言わんばかりの五瀬に大久米が呆れた。


「アンタは何もしてねぇだろ、大将。女に守られといてふんぞり返んのは、ちぃっと恥ずかしかぁねえか?」


「日臣に護られるはこの五瀬が王者たる証だ。王たる者がそれで何を恥じるのだ」


 戦意が萎えて逃げる男たちを五瀬たちは追わせなかった。



 出発も間近となった夜、五瀬と若御毛沼は共に酒を酌み交わした。


「ようやく大和に入れるな。これでやっとお前に地位を譲る目処が付いたというものよ」


 そう言って五瀬は盃を傾け、白く濁った酒を嘗めた。

 五瀬たちが日向を離れた時、若御毛沼は王となるにはまだまだ経験が不足していた。

 それゆえ、世慣れた五瀬が儀式などを除き、王の代行として大和への東遷を率い、厳媛も彼を護った。


「でも、兄さん、このまま王でいようとは思わないのかい? 兵らの内には僕がいきなり王となって戸惑う者もいるかも知れないし」


 若御毛沼が塩漬けした鹿の干し肉を食べながらそう尋ねた。

 無論、若御毛沼も跡継ぎの地位に恥じぬ働きはしていた。

 それでも、東遷の中心はやはり五瀬だった。


「ならば、これから王に相応しいところを示してみせろ」


「簡単に言ってくれるなあ」


 言葉とは裏腹に若御毛沼は楽しげに笑っていた。

 五瀬は昔から立派な跡継ぎになるための修練と称し、自分の無茶に若御毛沼を付き合わせてきた。

 そのせいで若御毛沼も五瀬の無茶振りには慣れっこになっていた。


「それに、仮に大和で国を再興できたとしても、その王で満足するほどこの五瀬は慎ましくない。大和に新たな日向が建国されれば、私は同志たちと共にそこを離れるつもりだ。新たに建国されるのが『再興された日向』では肩身の狭い者たちも少なくなかろう」


 五瀬の一行は各地で難民を受け入れた。

 その結果として一行を構成する民草は多様になった。

 日向も倭人や隼人、海人らが混住していたが、現状は最早その比ではなかった。


「何にも属さぬからこそ全てを共存せしめる王に私はなりたいのだよ」


 五瀬も末子相続では居場所がなかった。



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― 新着の感想 ―
[良い点] かの津田左右吉は、『記紀』の神武天皇の日向つまり南九州からの東遷について、潤・脚色以上にその東遷自体の事実を、確かに否定している(一方で神武天皇以降の歴代の実在は肯定)。その内容は、戦後の…
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