十二
二四三年、卑弥呼は伊聲耆や掖邪狗ら八人の使者たちを帯方郡に遣わし、魏に奴隷や布、辰砂、弓矢などの貢ぎ物を献上した。
女王国は魏との絆を深めるに連れ、その威を借り、いよいよ狗奴国の領土を蚕食していった。
筑紫島の南部に入植した倭人たちは、なし崩し的に隼人たちから土地を奪っていき、現地を治める狗奴国に従うのを拒んだ。
これでは諍いの起きない方が無理というものだった。
漁場どころか田畑まで奪われた隼人たちは、倭人たちを襲って皆殺しにした。
卑弥呼はこれに酷く怒り、即刻、隼人たちを討ち果たすよう命令した。
「あの者たちには厳しく臨まねばならん!」
拝殿の床に平伏する重臣たちに対し、卑弥呼が奥の座から告げた。
そこには白い帷が張り巡らされており、卑弥呼の姿は見えなかった。
難斗米が彼女の決定に抵抗を示した。
「しかし、隼人たちを討とうとすれば、狗奴国と戦うことになります!」
「構わん! そうなれば狗奴国も滅ぼすまでだ!! 隼人の奴ばらを付け上がらせてはならん!!!」
そう卑弥呼が反撥した後、暫し誰も言葉を発さず、やがて帷の奥から押し殺したような女の嬌声が聞こえた。
卑弥呼は帷で姿を隠しながら、男弟の膝の上に抱え込まれ、彼に愛撫されていた。
ますます情緒が不安定になっている彼女は、最早、欲情を鎮められないで日中でも男弟と爛れるような淫欲に耽り、憂さを晴らしていた。
最近では男弟も卑弥呼と同じくらい変若水を服用していた。
「帷を開けてください、陛下!」
無理と分かっていながらも難斗米は姿を見せるよう卑弥呼に訴えた。
「国の大事をこのような形で論じ合うなど話にならないではないですか!」
難斗米の言葉は欲情に狂う卑弥呼を暗に批判していた。
「お前は私に指図するのか!? いつ誰がそんな口の利き方を許したのだ!!? 功のあるお前でも私への無礼は許さんぞ!」
いきり立つ卑弥呼は声を荒げて叫んだ。
顔を上げていた難斗米は、再び額を床に擦り付けた。
だが、不服の印として返事はしなかった。
「隼人など土雲や出雲族のごとく我らの馬蹄に掛けて蹴散らせ!」
土雲は南方の侏儒国や黒歯国、裸国などから来た人々で、山中に穴を掘り、そこで暮らしていた。
その首長たちは黄泉神の末裔とされており、山が訛った黄泉は山中異界を意味した。
天孫族たちは騎馬軍団を率い、馬を知らぬ土雲たちを従えた。
元々、八洲に馬はいなかった。
粛慎国からやってきた天孫族たちは、馬を持ち込んで繁殖させることに成功した。
天孫族の騎馬軍団は粛慎国の騎馬民族ほどではなかったが、出雲族の本国ともいうべき出雲をも平定した。
◆
楼閣の外に出た難斗米は、階段を降りながら心の中で毒突いた。
(あれでは夷狄どころか畜生だ)
漢人は兄弟姉妹での結婚どころか、いとこ婚さえ禁忌とされていた。
そうした倫理観に照らせば、卑弥呼と男弟の媾合など禽獣にも劣る行為だった。
漢土にも伏羲および女媧という兄妹にして夫婦である帝王がいたとされている。
難斗米は卑弥呼と男弟もそのような存在と思い込むことで自身を納得させていた。
しかし、洛陽で漢土の文明を直に見聞きした彼は、もう卑弥呼を特別な存在と見なせなくなっていた。
そうなれば卑弥呼と男弟の関係も穢らわしいものとしか映らなくなった。
そのようなことを難斗米が考えていると、彼に声が掛かった。
振り返れば台与と老いた侍女の姿があった。
難斗米は地上に跪いて叩頭した。
「母様は狗奴国と戦うおつもりなのですか?」
台与は直答を許し、難斗米に顔を上げさせた。
「隼人たちを討てとのご命令ですから、結果的にそうなってしまいましょう」
「難斗米、貴方が女王国と狗奴国を仲直りさせられませんか?」
彼女は難斗米の前にしゃがんで頼み込んだ。
卑弥呼に似て好奇心の旺盛な台与は難斗米にも懐いていた。
難斗米もかつては台与に期待し、彼女に自身の見聞を教えることに喜びを見出してもいた。
「卑弥弓呼さまは話の通じぬ人ではありませんし、私たちが態度を改めれば、戦わずに済むはずです」
「女王がそれを望まないでしょう」
だが、最早、難斗米にとって禽獣にも劣る行為で産まれた台与も、穢らわしい畜生でしかなかった。
表面上は丁重な態度を取りつつ、台与に答える難斗米の声は固かった。
それを台与は緊張によるものと誤解した。
◆
卑弥呼が隼人たちを討伐させるために出兵すると、懸念されていた通り卑弥弓呼も応戦した。
ただ、卑弥呼の予想外であったのは狗古智卑狗が中立を破棄して卑弥弓呼に味方しただけではなく、土雲の諸族も方々で決起し、狗奴国の側に付いたことだった。
山中で暮らす土雲たちは、木の間を飛び交い、山道を進む女王国の軍勢を急襲した。
これには天孫族の騎馬も難儀させられた。
八洲の馬は粗食に耐え、頑健な上に坂道を苦とせず、温和な性格から容易に扱えた。
それ故に山勝ちな八洲でも活躍でき、土雲たちに勝利を収めたのだが、流石に山奥へ退いた彼らを完全には一掃できなかった。
また、既に騎馬は天孫族の専売特許ではなくなっていた。
纒向においても馬具が流通しており、女王国だけではなく各地で騎馬が取り入れられた。
狗奴国もその流れに遅れを取っていなかった。
それに、女王国は以前よりも制度を整えたが、その結果として卑弥呼への権力の集中が生じ、彼女の下に集う諸国の絆を却って弱くしていた。
卑弥呼個人の手腕によって長く保たれた平和は、女王国を堕落させてしまい、軍兵の質も低下していた。
もっとも、卑弥呼もそれは察していたので、難斗米を帯方郡へと派遣し、魏に力添えを願うように命じていた。




