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 漢土もろこしの東を極め、韓郷からくにから更に北ツ海(きたつうみ)を越えた世界の果て。

 そこには弓状に連なる島の群れがあった。

 その島々は八洲やしまと呼ばれた。


 八洲の島でも筑紫島つくしのしまは文明が進んだ漢土と韓郷に近く、その影響を被り、紀元前一世紀には北部に百以上の国家が形作られた。

 そこに暮らす人々は倭人わじんと呼ばれていた。

 やがてそれらの国々が結び付き、紀元後一七○年頃には三十ほどの国にまとまった。


 しかし、気候の変化により食糧危機が発生すると、大きな戦乱が起こった。

 この大乱を収めるため、一八〇年頃、諸国の王たちは互いに話し合い、神々を崇める祭の間、争乱は畏れ多いと休戦することにした。

 その一時的な休戦状態は恒常的な同盟体制に発展し、女王国じょおうこくという連邦が形成された。


 女王とは、女王国が崇める天照大御神あまてらすおおみかみ天照あまてらすを指した。

 天照は日を祀る巫女の女神だった。

 彼女は大日女貴神おおひるめのむちのかみ大日女おおひるめとも称され、訛って俾弥呼ひみかと言われてもいた。



 女王国が作られてから六十年ほどが過ぎた。

 都たる山門やまと邪馬台国やまたいこくでは平和が続くことを願って、王と貴族たちが宴が催された。

 宴席が設けられたのは円柱の立ち並ぶ回廊に囲まれた広間で、豪華な宮殿の二階に位置し、柱は木蔦きづたや花で飾られていた。

 その広間からは町の整備された道や深く広い二重の環濠、郊外の筑紫平野つくしへいやを貫く筑後川ちくごがわなどが見渡せた。


 その向こうには筑紫海つくしのうみが広がり、果てしなく広がる翡翠色の空が見下ろす港には大小様々な船が浮かんでいた。

 上座に座す主賓の左右には灯火が揺らめき、香炉からは芳しい香りが立ち昇っていた。


 天井からは絢爛たる倭錦の幕が張り巡らされ、それには幾何学的な紋様が織り出されていた。

 客たちは主賓席へ通じる路の左右に座し、筵の上で胡座を掻いていた。

 列をなす彼らは、その妻子らも同伴しており、夫や父と同じく酒食に与った。


 召使いたちが忙しそうに働き、幾つも膳が並べられ、その上に置かれた皿や高杯たかつきなどの器には筍と山菜の炊き込みご飯や鯨肉の焼き物、鯛・鮑・雲丹の刺身、鴨・蕪・里芋のあつもの、豚肉とぜんまいの煮物、きな粉をまぶした草餅などが並べられ、手掴みや木の匙で食べられていった。


 部屋の壁際には大きな美しい甕が幾つもあった。

 それらは筑紫島より西方に位置し、八洲で最も大きな秋津島あきつしま尾張おわりから運ばれてきたもので、白地に赤い直線文や波線文、斜行線文、列点文が描かれていた。

 召使いたちはそれらの甕から素焼きの壺に口噛み酒を並々と注いだ。

 酒の注がれた壺が客たちに配り終えられると、彼らはそれを掲げ、天照による平和を寿いだ。


 神々を讃えるため、語り部の翁が通路の真ん中に、巨大な銅鐸を置いて讃歌を歌った。

 翁は銅鐸に施された人物や動物、建物などの文様を絵解きして神話を語った。

 それは由緒ある語りの形式だったが、薄手でありながら巨大な銅鐸の成形は大変に難しく、廃れつつあるものだった。



 初め、世界は天御虚空あまつみそらという何もない虚空が広がるばかりだった。

 そこにものを生成する産霊むすびの働きが起こり、葦の芽のようなものを一つ生じさせた。

 その一物ひとつものは葦が芽を吹くかのごとく萌え上がり、天と地に分かれた。


 高天原たかまがはらと呼ばれる天のいと高いところには神々が次々と化成し、別天津神ことあまつかみと言われる彼らは、日月星辰や生者がいる顕世うつしよ、死者がいる幽世かくりよなどを創造した。

 地でも雲が湧き立ち、雨を降らせて泥海が出来た。

 泥海は生命を育み、鳥獣虫魚や人類が生まれ、神世七代かみのよななよという神々も誕生した。


 男神である伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那岐いざなぎと女神たる伊邪那美命いざなみのみこと伊邪那美いざなみは生命が繁栄できる環境を創るため、国土を整えようとした。

 伊邪那岐と伊邪那美は天浮橋あまのうきはしなる虹の橋を昇り、別天津神たちから天之瓊矛あめのぬぼこという矛を授けられた。

 彼らは天浮橋に立ち、天之瓊矛を泥海に指し下ろして掻き回した。


 泥海は自凝島おのころじまなど島々と海に分かれた。

 次に伊邪那岐と伊邪那美は山川草木や人間らが暮らすための文化などを創り、神々も産んでいった。

 それら島生みと神生みで地上は豊かになって生命も増殖したが、生きとし生けるものの内、鬼たちは余りにも強すぎたため、地上を荒らしてまわるようになった。


 これを憂えた伊邪那岐と伊邪那美は、この世を治めるに相応しい子を授かるよう祈り、天照および月読命つくよみのみこと月読つくよみの姉妹と弟の素戔嗚尊すさのおのみこと素戔嗚すさのおを得た。

 彼ら三貴子みはしらのうずのみこは天照が高天原で昼の天上を、月読が夜の夜食国よるおすのくにを、素戔嗚が地上を治めるよう伊邪那岐から命じられた。

 鬼たちは伊邪那美が山奥の黄泉よみに引き取った。


 ところが、素戔嗚は勇猛であるけれども気性が荒く、地上ばかりか天上も騒がせた。

 神々の中でも性質の乱暴な邪神あしきかみも彼に共鳴し、あらゆる災いが発生した。

 彼は償いのために天降ると、八岐大蛇やまたのおろちなる邪神の犠牲になろうとしていた女神の奇稲田姫くしなだひめ奇稲田くしなだを救って妻とした。

 それから、素戔嗚は地下の根国ねのくにに赴き、そこに邪神たちを引き取った。


 素戔嗚には須勢理毘売命すせりびめのみこと須勢理すせりという娘がおり、大己貴命おおなむぢのみこと己貴なむぢなる男神を婿にした。

 己貴は海外の常世とこよから渡来した他国神となりのくにのかみの神々からも協力を得て地上を開拓し、葦原中国あしはらのなかつくにという国土を造った。

 しかし、その秩序は不安定で、高天原の神々である天津神あまつかみたちは葦原中国の神々たる国津神くにつかみたちを説得し、葦原中国の統治権を譲らせた。


 天照の子孫である天孫あめみまらが統治のために葦原中国へ降臨した。

 己貴は国譲りの後、幽世の統治を委ねられた。

 天孫降臨の後も己貴の子らは引き続き葦原中国の統治に携わった。



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