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二章 バイト先にて

「はぁ⋯⋯。昨日のEDELSTEINのライブ、良かったな⋯⋯。大也くんすき⋯⋯」


 遙香は呟いた。


「ボケっとしてないで、次のお客さんの対応して〜」


 注意してくるのはここ、喫茶「オフスート」の店長。


 喫茶「オフスート」はEDELSTEINが拠点としている地下ライブ会場「String Threadストリング・スレッド」から徒歩一分という距離にある喫茶店で、喫茶店から徒歩十分で遙香が通っている大学に着く。


 大学から近いという利点と、もしかしたら推しに会えるかもしれない一縷の望みにかけてここでバイトを始めた遙香。


 そしてここの店長はちょっとだけ小太りなおじさんで、ただ運動神経は謎に良いこの店長は近所の人からも評判がいい。


 ただ遙香は少しくらい余韻に浸らせても良いじゃないかと思いつつ、次のお客さんの対応に入る。


「いらっしゃいませ!」


 遙香が口にして顔を見上げた瞬間。遙香は目を疑うかのような出来事が起きた。


「今俺しかいないんですが、後で二人来るんで、三名で。お願いします」


 見間違うはずがない。遙香が昨日ライブで見た人物だった。澄んだ藍色に染めた髪がとても綺麗で、スマホの壁紙にするほど。


 そう、言葉を放ったのは遙香の推しであるEDELSTEINの高道大也だった。


 目の前に推しがいるという事実に遙香はフリーズしかけるも今はバイト中。推しをテーブルに案内する。


「店員さん、ここのおすすめってなんですか?」


 遙香は昨日の人だと気付いてくれないかなと思いつつも、なんとか理性で持ち堪える。


「店長がブレンドしたオリジナルブレンド、です」


 大也は頷きつつメニューをめくっていく。そして少し経ってから。


「オリジナルブレンドと、このカレースパゲティください」

「かしこまりました」


 店長にオーダーを通しつつ、遙香は深呼吸をして皿洗いの業務に取り掛かる。


 ただ皿洗いをしていても、今この店に推しである高道大也がいることを考えては心臓が高鳴ってしまう。


「おーい、関口、さっきのお客さんにカレースパゲティ届けてきて〜」

「わかりました!」


 遙香は緊張しつつも推しに料理を届けにいく。


「カレースパゲティです」

「あ、ありがとうございます」


 推しに無事に料理を届けることに成功した遙香。また持ち場の皿洗いに帰るも束の間。


「新しくお客さん来たからそっち行って〜」

「はい! いらっしゃいませ!」


 そうして来店したのはEDELSTEINの髙田柘榴と遙香の知らない男性。遙香は後に来た二人だろうと判断した。


「すみません、合流です」


 と、知らない男性は言う。遙香はこの男性が誰だろうと疑問に持ちつつ、業務をこなしていく。


「オーダーはいかがいたしましょうか?」

「オリジナルブレンドひとつと、コーヒーフロートひとつで」

「かしこまりました」


 推しのグループのメンバーのオーダーを聞き、店長にオーダーを通す。

 そしてこのテーブルに来るだけで自分の推しに会えるという幸せな気持ちで遙香は自然と口角が上がっていた。


「関口〜。オリジナルブレンドできたからさっきのテーブルに届けて来て〜」


 そう店長から言われて、推しのテーブルにオリジナルブレンドを持っていく。幸せな気分に浸りつつ持っていった遙香は、いつもなら注意していた段差に躓いて転んでしまった。


 しかもその段差は運が良いのか悪いのか。大也がいる席の真隣だった。コーヒーは溢れ、推しの真隣でやらかしてしまった遙香はさらに大変な事に気付く。


 そう、溢してしまったコーヒーの一部が大也のシャツについてしまっていた。


「お客様、大変申し訳ありません! クリーニング代はお出しします!」

「いや、大丈夫ですよ」


 とても優しい目で微笑んでくれたのも束の間だった。


「もしかしてそのシャツ五日後のライブ衣装じゃないか?」

「あ⋯⋯。そうだった」


 遙香は絶句した。ライブ衣装を汚してしまった。その事実に遙香はショックでごめんなさいを何回連呼したか覚えてないほどに謝った。


「石屋敷マネージャー、しかもこれ社長が結構奮発して買ったやつだった気がするんだが」

「あ、確かに」

「⋯⋯。クリーニング代は払ってくれるって言ってるし許してあげない?」


 遙香は自分の推しがなんて優しいんだろうと思っていると


「ライブ明後日だよな? しかもこれ一週間かかるウェットクリーニングしか出来ないって書いてたんだが⋯⋯。間に合わないと思うぞ」


 柘榴の言葉が遙香の心に突き刺さる。


「間に合わないな⋯⋯。新しいの買うしかないか」

「でしたらそのお金も私が払います!」


 推しのライブが台無しになることは避けたい、その一心から遙香はつい口走ってしまった。

 すると⋯⋯。


「確かこれ六万円はしたので、それを払えるというのなら」


 六万円。今の遙香にはとてもじゃないけど払える金額ではなかった。どうしようと思っていると。


「⋯⋯。あっ、お金払えないのなら身体で払って欲しいのですが、いかがいたしましょうか?」


 身体で払うという言葉に、遙香は絶望して、人生が終わったとさえ思う。やってはいけないことをしてしまった、変なことを口走ってしまった。そんな気持ちでいっぱいになった。今まで我慢していた涙が、一雫、一雫と落ちていく。


「石屋敷マネージャー、その言い方じゃ勘違いさせちゃうのでは?」


 柘榴が少し笑いながら石屋敷に言った。


「⋯⋯。確かにそうだな。そういうことを言いたかったんじゃなくて、ウチの事務所のマネージャーが足りないんだ。一ヶ月でいいからバイトとして入ってくれないか? それで今回の件はチャラにするから」

「私がマネージャー、ですか? やります。私にできるのならなんだってします!」


 遙香は推しと仕事ができるかもしれないというまたとない機会を無駄にしたくない一心で後先考えず答えてしまう。


「分かった。君がいつ上がるかだけ教えてくれ。人事担当に掛け合いたい」


 時計を見たらあと十分でバイトが終わるのに気がつく。


「あと十分です」

「分かった。事務所近いし来てもらうから準備しておいてくれ」

「はい!」


 そう言って遙香はバックヤードに戻る。


 そして、騒ぎをひっそりと聞いていた店長が遙香の元にやってくる。


「さっきのお客さん、後からやって来た二人には僕がオーダー運んでおいたよ〜。お代は貰わないことにもしておいたから」

「ありがとうございます。ご迷惑かけてしまって本当にごめんなさい。あとバイト掛け持ちになっちゃいました⋯⋯」


 遙香は下を俯き、エプロンの裾を強く握りしめながら、か細い声で謝罪する。


「推しと一緒に仕事ができるなんてよかったじゃん? 一ヶ月ここのバイト辞めていいから、頑張って来なさい。成果残せたら一ヶ月以上ってなるかもしれないし、もし成果残せなくてもここに戻って来てくれていいから」


「私が空けてしまった枠の確保はどうするんですか?」

「そこは大丈夫。来月から僕の娘が働く予定になってたし〜」


 店長の言葉に遙香はすごい安心して今まで我慢していた感情を爆発させたかのように泣き腫らす。

 その遙香を見る店長の目は優しいものだった。


「ほら、上がる時間だよ。行ってらっしゃい。今までありがとうね〜。お店にはまた来てくれて構わないからさ〜」

「はい! ありがとうございました!」

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