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3-2

「今度、キーファ殿下が『学園』へ留学されるだろう? 教官としてその警護官候補の子に訓練を(ほどこ)してやってもらいたいんだよ」

 予想もしていなかった内容に、さすがのアルトマイヤーも驚きの表情をみせた。が、それはほんの一瞬のことで、すぐにいつもの無表情を取り戻す。

 僅かでも彼の顔色に変化があったことに、ヒラー室長は内心でほくそ笑んだ。それほどこの部下の表情が変わることは珍しいのだ。満足げに話を先に進める。

「君も知っての通り、『学園』はある意味では非常に高度な情報戦の場だ。各陣営の王族、貴族の子弟から得られる情報には、ときに我々情報部員が苦労して潜入工作を行った末に得られるものより、よほど価値の高いものも少なくはない。その逆もしかり、でね。うちの王子様やら貴族のお坊ちゃん方にあまりまずい言動をしてもらっては困る事だってあるわけだしねえ」

 『学園』は設立の理念どおり、それ自体が自治権を持ち、どの国の支配下にも置かれておらず、またそれを拒んでもいる。なので、子どもたちを送り出す国々は、自国と同じ派に属する国で『学園』の近郊にある都市に、本国との連絡拠点を置いているのが普通である。ライヒヴァインは、『学園』から車で小一時間ほどの距離にある属国ブルクハルト王国の小都市ノイエンドルフに情報部第三室の支部を置いており、そこが王子の警護官の支援(サポート)や各種情報の中継点としての役目を果たしていた。

 『十三騎士派』と『教主国派』の両陣営の争いが、次第に激しくなってきている近年では、以前にも増して、警護官の「情報部員」としての役割が求められるようになってきている。

 そういった事情から、警護官候補の少年の教官に、情報部の人間を用いることになったという。

「ああ、もちろん近衛兵としての作法やら、『学園』(あそこ)にいる間は侍従も兼ねるわけだからその心得やらは、後から別の人間がやってくれることになると思うから。君に指導を頼みたいのは警護の基本と、情報部員としてのイロハ、だね」

 ヒラー室長はのそりと立ち上がって、机の上にあったファイルを手に取ると、ぽんとアルトマイヤーに手渡した。候補の少年の資料だよ、と付け足す。

「訓練期間は予定としては三ヶ月程度。その子の仕上がり具合では多少延長しても構わないそうだ。ああ、それから」

 思い出したように室長は続ける。

「その子、殿下と同じ歳だっていうから、場合によっては体力造りから始めなければならないかもしれないね」

 この言葉には、さすがのアルトマイヤーも眉をひそめた。キーファ殿下と同年といえば、十一歳。まだ本当に子どもではないか。

 今日はこの部下の表情が、何と二度も動いた。雨でも、いや、今の季節では大雪でも降らねばよいが、などと呑気なことに感心しつつ、

「という訳で、少々やっかいな任務になるかもしれないけれどねえ、頼めるかな?」

と、ヒラー室長は返答を促した。もっとも、軍隊において上からの命令を拒むことなど事実上不可能なのだから、わざわざ彼に教官着任の意志の確認を求めるあたりは、この人物の人柄である。

 ところが、アルトマイヤーの口から出たのは、短い否定の言葉だった。

「お断りします」

「……それは困ったねえ……。で、君が引き受けかねる理由は何かね?」

 苦笑しつつも、間延びした口調が、あまり困ったように聞こえない室長である。それどころか、この部下がどんな理由を付けて今回の任務を拒むのか、興味深々といった風だ。

 当のアルトマイヤーは、一呼吸置くと、手渡されたファイルを上官に返すように机の上に差し出して答えた。

「……自分はものを教える仕事には向きません」

 だろうねえ。と、室長はつい相槌を打ちそうになった。


 アルトマイヤーは、『凍氷の刃』と称されるその卓抜した頭脳と情報分析能力をもって、情報部員として早くから頭角を現していた。支部長として多数の部下を使う立場になった現在では、部下一人一人の能力や個性をしっかり把握し、的確な采配と助言を行える、指揮官としての能力もまた高く評価されるところとなっている。

 前線に配置される士官としての能力には文句の付けようはない。が、「指揮」と「指導」はまた別のものである。いまある人間が持っている能力を「使う」のと、それを「伸ばす」のは全く違う資質を要求されるのだ。

 また、よく格闘なり銃撃なり、その分野では一流と呼ばれる腕前の人間が、いざ他人にその技術を教えるとなると、教官としては二流以下ということがある。戦闘員としても諜報員としても一流の彼だが、それが即、一流の教官に繋がるとは限らない。

 彼がこれまでに教官としてものを教える立場になったことはないので、アルトマイヤーの「指導」する能力がどれほどのものかは、実のところヒラー室長にも未知数といったところだ。が、致命的に先生向きでないのが、あの徹底した無口無表情と、任務に関する事以外では、他人に全く関心を向けない性格だ。取っつきにくいことこの上ない。まして子ども相手では尚更である。

(けして悪い奴じゃあないと思うんだけどねえ……)

 茶菓子を三つほどまとめて口に放りこんで、ぽりぽりとかみ砕く。そしてゆっくりとお茶を飲み干してから、ヒラー室長は口を開いた。

「確かに君にとっては、得意な分野ではないのかもしれない。でもねえ、部下を指導する……能力を伸ばしてやる勉強もしてもらわなければならないからねえ……」

 ひと呼吸置いて、部下に視線を合わせると、アルトマイヤーには殺し文句であるはずの台詞を放つ。

「この任務が無事終了すれば、君は私の後任。第三室長だ。階級も大佐に昇進と言うことになるからね」

 地方の一支部長からいきなりの首都本部の室長就任とは異例の大出世である。が、内心はともかく、アルトマイヤーの表情はぴくりとも動かなかった。

(素直じゃないねえ)

と、自分の仕掛けた爆弾に、部下が反応しなかったことに微苦笑する。だが、この条件は彼にとってかなり効いているはずだ。


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