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10-1

 任務を達成しライヒヴァインへ帰還してから三日間、休暇を与えられたエミールは首都の別宅の自室にこもって過ごしていた。

 いつも元気一杯にはしゃぎ回っているエミールだったが、この三日程は、何もする気が起きなかった。ただ無為に寝ころんだり、読む気もないのに本のページをめくってみたりして時間が過ぎていく。


 考えることがあまりにもあり過ぎて、かえって何も考えることが出来なかった。

 フレーリヒのこと、アルトマイヤー教官のこと、そして数ヶ月後には警護官に就任するかも知れない自分のこと。

 それらの断片がぐるぐると頭の表面の辺りを巡ってはすぐに消え去っていく。

 奥底に溜まった重苦しく暗い塊が、エミールの思考を遮っているようであった。

 一刻でも早く会いたいと望んでいた小さな婚約者も、父親の都合で首都から離れており、その失望もエミールの鬱屈(うっくつ)した気持ちに拍車を掛けていた。


 そんな時、遠慮がちなノックの音がした。

 エミールが気のない返事を返すと、使用人頭の女が部屋に入ってきた。

 食事もろくに摂らない坊ちゃまを心配する声を掛け、そして一通の伝言をエミールに手渡した。

「アルトマイヤー教官から……?」

 伝言には、『私用で会いたい。時間があれば演習場に来て欲しい』とあった。

 


 エミールは急いで幼年学校の制服に着替え、演習場へと向かった。

 あの教官が、私用で、と断ってまで自分に会いたいとは、いったいどんな用事か想像もつかなかった。

 フレーリヒとの顛末(てんまつ)ならば口裏を合わせるまでもない。真相は永遠に二人だけの胸の内にしまっておくことだ。


 日の傾きかけた演習場の、いつもの集合場所にアルトマイヤーはいた。

 いつものように軍服ではなく、黒っぽい色でまとめた私服を着ている。エミールの制服を一瞥すると、

「私用と言っておいたが」

と、短く反応した。特に機嫌が悪いとかそういう感じではない。どちらかというと教え子の律儀さを一言評したかっただけのようだ。

 アルトマイヤーはすぐに背中を向けると歩き出した。いつものようにエミールがそれに続く。すると後ろからついてくるエミールに向かって、アルトマイヤーは前を向いたまま幾分穏やかな声で切り出した。

「……まず来てくれたことに礼を言わねばならない。これから話すことは本当に私事だ。もし君が訓練を離れてまで私の話を聞きたくないと思うなら、今すぐ帰ってもらってかまわないが……」

「いえっ……お話を……聞かせてください」

 礼まで言われてしまったことに一瞬驚いたエミールだったが、すぐに肯定の返事を返した。

 アルトマイヤーという人間が、仕事を離れて何を語ろうとしているのか、エミールは是非とも聞いてみたかった。


 しばらく歩いた後、アルトマイヤーは積み上げられた材木に腰を下ろした。エミールに横に座るよう手で示す。エミールは、話を聞くのに離れすぎず近づきすぎない距離に、ちょこんと腰掛けた。

 同じ段に腰掛けていても、隣にあるアルトマイヤーの横顔を見つめるには、視線を上に向けなければならない。しかしエミールには、この人との関係はこれで丁度いいと、そんな風に感じた。

 これという前置きもなく、アルトマイヤーは語り始めた。いつもの低い声が、先程と同じく、訓練の時よりも少し柔らかく響いてくる。

「お父上や他の人間からも聞いていると思うが、私は上に行くには手段を選ばない人間だ。君の教官を引き受けたときも、任務完了の暁には昇進という言葉に飛びついた」

 エミールが相槌を打つべきか迷っている間に、アルトマイヤーは話を進めていく。

「だが、担当する訓練生が君だと判った。……正直、私は最初、君が警護官になるのを諦めさせるつもりだった」

 意外な言葉に、エミールの目が大きく見開く。あの初めの十日間の無茶苦茶な課題にはそんな意味が込められていたのか。

 何も迷うべきことはない条件のいい任務だ。それなのに訓練生のあまりの年少さと、そしてその訓練生との記憶が自分の中で葛藤し続けた。

 しかしそのうち、エミールがこの訓練を、自ら乗り越えるべき壁として闘っていることに気付いた。小さな体で必死に課題に挑み続ける姿にアルトマイヤーは考えを変えざるを得なかった。

「それからは君に自分の持つ全てを授けようとした。君にとっては大変な日々だったかも知れないが、あの『学園』という戦場で生き延びていくための(すべ)を、出発の日までに君に身につけていって欲しかった。」

 教え子への想いを淡々と、しかし一気に語ったアルトマイヤーは、一つ息をつくと僅かに眉をひそめた。

「……しかし、私には未だ君を本当に警護官の道へと進ませてよいのか迷いがある……」

 現在までの例を見るまでもなく、警護官という職は大変な重圧を伴うものだ。

 『学園』にいる間は日中はもちろんのこと、夜も熟睡を許されず、始終王子と行動を共にする必要がある。

 外部からの暗殺者であれ『学園』の関係者であれ、『教主国派』の者達だけでなく味方陣営である『十三騎士派』の者相手であっても油断はならない。キーファ王子に関してはそれに加えてライヒヴァイン王位継承権を巡って命を狙ってくる輩もいるかもしれない。

 周り中が全て敵である環境の中、たった一人で王子の命を護り抜かねばならないのだ。

「そして、護るべき王子ですら味方であってくれるとは限らない。先輩も……フレーリヒ元警護官もそうだった……」

 フレーリヒの名前が上がると、まだエミールの胸にずきりと痛みが走る。最期に自分を気遣ってくれた。あんな死に方をしていい人ではなかった。


 ずっと前を向いて話し続けていたアルトマイヤーが、目線をエミールに合わせた。

 眼鏡の奥の黒い瞳が、真剣な光を宿してエミールに向けられている。

「君に覚悟はあるか……?」

「覚悟……ですか?」

「そうだ」

 エミールも同じだけの真摯さを、水色の瞳一杯にして答えようとした。

「自分の技倆に対する自信とか、客観的な実力とか、そんな事実ではない。

 ……上手く言えないが……それが王国に対する忠誠でも、王子個人に対するそれでも、また軍人としての誇りでも何でもいい。

 自分の中の一番奥底にあって、何が起ころうともそれを揺らがず持ち続けることのできる覚悟を、君は今持っているか?

 これから何年も『学園』でたった一人闘い続ける中で、すべてをなげうっても、最後まで君はそれを保っていられるか……?」


 エミールは前を向いて、顔の下を覆うように両手を組み、長い間言葉を探していた。


 今の自分に出来うる限りの真実だけを答えたかった。それが自分のこの人への精一杯の敬意の印であった。


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