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9-1

 フレーリヒは改めてアルトマイヤーの方に向き直ると、苦いものが混じった笑みを浮かべた。

「僕は君と同じく家族を()くした。だが君のように正しい方向へ向かうことは出来なかった。でも僕は間違っていないと思っている。愛する家族を惨たらしく奪われたなら、復讐を望むのは人間として当然の感情ではないか?」

 毅然としたフレーリヒの言葉に、アルトマイヤーは何も答えなかった。

 長い独白が終わると、フレーリヒは力尽きたかのように眠りに就いた。


 ロウソクの揺れる炎を見つめたまま、アルトマイヤーも、そしてエミールも毛布を被って、長い間黙っていた。


 アルトマイヤーが彼の一族を滅亡に追い込んだ者達に復讐するという道をあえて選ばず、一族の再興を賭けて出世の鬼と呼ばれるようになったことを、エミールは知っていた。 

 復讐へと走れば、一族の名はそこで途絶えてしまう。アルトマイヤーにとっては(はらわた)の引き裂かれるような辛い選択だったのだろう。

 ふと視線に気付いてアルトマイヤーが教え子に目をやると、エミールはまたその大きな水色の瞳一杯に悲しみの色を(たた)えていた。教官と目が合うと、慌てて目を逸らし(うつむ)く。

 その悲しみが、今聞かされたフレーリヒの悲劇ではなく、彼の発言に対する教官の複雑な心境を(おもんぱか)ったものと知れて、アルトマイヤーは軽く息をついた。

 あえて教え子の方は向かず、ロウソクの炎を見つめながら独り言のように問いかける。

「……君は聡すぎる。そしてまた気付いてしまったことに気を遣う。それも一族の教えか……?」

 エミールも俯いたまま答えた。

「こんなときどういう態度を取るかは、何度も失敗して自分で学びなさい、って父からは言われました。でもまだ何度失敗してもうまく出来なくて……」

 少しだけ口の端に笑みを浮かべて、小さな教え子は言った。

「今までで一番の失敗は、教官と初めてお会いした日のことです。何とでも理由を付けて、あなたから離れるべきだったのに……」

「いや、そうでもない」

「え……?」


 あのときにこの優しい子どもが傍にいてくれたことが、どれだけ自分の痛みを癒したことだろう。


 しかしアルトマイヤーはその想いを言葉に替えることなく、黙って目を閉じた。




 翌朝、未だ夜も明けきらぬうちにアルトマイヤーは車を調達しに街へと出掛けた。

 駅はすでに県令の手の者が張っているだろう。負傷したフレーリヒを連れて無事にノイエンドルフの街を脱出するには、車が不可欠だった。

 何とか交渉に成功し、車を路地の入り口へ止めて隠れ家に戻ると、すでにフレーリヒは起き出していた。

 エミールは殺人犯を見張っていると言うよりは、衛生兵よろしくせっせとフレーリヒに朝食の世話を焼いていた。いかにものんびりと、二人して談笑さえしてみせている。

 置かれているはずの状況に対して、何とも和やかな雰囲気に呑まれたか、アルトマイヤーも黙ってエミールの差し出すパンを口に運んだ。

 食事が一段落着いた頃、アルトマイヤーが低い声で厳かに宣言した。

「フレーリヒ元警護官、殺人の罪であなたを逮捕し、ライヒヴァイン本国へ連行します。メルダース君」

「あ、はい」

 エミールは固い表情でフレーリヒの側に寄り添った。

「フレーリヒさん、歩けますか?」

「ああ、大丈夫だ。それより僕なんかが寄りかかったら、君がつぶれてしまうよ」

「平気です。アルトマイヤー教官に鍛えていただいてますから」

 フレーリヒはちょっと笑って、エミールに語りかけた。

「随分彼を信頼しているんだね。彼も君を大切に育てているようだ。そこで頼みがあるんだが……」

 部屋の扉に差しかかったとき、フレーリヒはいきなりエミールを羽交い締めにすると、後ろにいたアルトマイヤーに向かって叫んだ。

「済まない、アルトマイヤー君。どうかこのまま見逃してくれないか?あとたった一人なんだ。たった一人で僕の家族の(かたき)は皆死の国へと送ってやれる」

 突然の行動にも、アルトマイヤーの表情は変わらなかった。エミールを盾にしたフレーリヒにぴたりと銃の照準を合わせ、身じろぎ一つせず抑揚のない口調で言い渡す。

「その盾は意味を成しません。必要とあれば私はメルダース君ごとあなたを射殺します」

「フレーリヒさん、無駄ですよ。この人やるっていったら本当にやりますし、僕も構いませんから」

 教え子の方もまるで先程の朝食のパンを勧めるような軽い口調だ。

 フレーリヒは一瞬たじろいだが、すぐに苦笑した。

「任務のためなら感情は二の次、か。いい師弟だよ、君たちは」

 僅かにフレーリヒの腕の力が緩んだ。その隙にエミールがフレーリヒの脇腹に肘を打った。

 一瞬怯んだフレーリヒだったが、すぐにエミールに反撃してくる。フレーリヒの蹴りを間一髪でかわし、エミールは懐に入り込んで鳩尾のあたりに肘を叩き込む。

「ぐふっっ」

 ひざまずいたフレーリヒの苦悶の表情に、エミールは彼が怪我人であったことを思い出し、つい攻撃の手を緩めた。その一瞬を見逃さず、フレーリヒはアルトマイヤーの方へ向かってエミールを突き飛ばすと、扉の外へと駆けだしていった。

 アルトマイヤーは、視界をエミールの身体に遮られ、銃を使うことも出来なかった。

 飛ばされてきたエミールを受け止めると、すぐさま扉を開けて階下に目をやる。すでにフレーリヒは階段を飛び降り、建物の外へと逃走していた。遠くでエンジンの掛かる音がする。自分の用意した車を使って県令の所へ乗り込むつもりだろう。

 後ろに立っていたエミールから、溜息の混じった小さな声がした。

「任務中に感情を殺せなかった。訓練が足りませんでしたね」

「今の君の失敗は、一撃で彼を仕留められなかったことだ」

 そして一呼吸置いて、アルトマイヤーも僅かに力なく響く声で自分の失敗を認めた。

「……そして私も、彼の逃亡を止められなかった」

「ぼくごと撃てば止められたのに……ですか……?」

 アルトマイヤーは黙って銃を懐にしまった。

「……すみません。また失敗したみたいです……」

「追うぞ」

「はいっ」

 エミールも予備の弾倉を鞄から取り出すと、それをポケットに詰めながら、部屋を出て行く教官の後を追った。


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