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鐘楼の警備に当たらせていた兵達は、全て殺されていた。すぐに追っ手を差し向けたが、フレーリヒは姿を消した後だった。
塔から舞い降りてきた銃を持った男を目撃者した者は何人かいたが、逃走した方向は入り組んだ下町で、そこからの足取りは不明だった。
「……任務、失敗……ですね……」
エミールは沈痛な面持ちでアルトマイヤーを見上げた。
まさに一瞬の隙を突かれた。ヨアヒムに飛びかかるのがもう一秒早ければ、いやそれよりも青年があのような行為に出ることを予測してもっとしっかり見張っていれば。何もかもが後手に回ってしまった。後悔の種は尽きない。
しかしアルトマイヤーは表情を変えぬまま教え子を叱咤した。
「まだ任務は終わっていない。我々の目的はフレーリヒの逮捕あるいは射殺だ。彼の行方を掴むまで落ち込んでいる暇など無い」
「あ、はいっ教官!」
二人はフレーリヒの後を追うべく、彼が姿を消した下町へと向かっていった。
「メルダース君、君はフレーリヒの今後の行動についてどう考える?」
教官が、正面を向いたまま早足で歩きながら教え子に問うてくる。
歩幅の小さいエミールは小走りになってなんとか教官の隣に付いていた。こちらも教官の方を見ずに答える。
「このまま逃走するのではないかと考えます」
「クレンゲル家の人間はまだ何名も生き残っている。それらはもう狙わないということか」
「今までの犠牲になった家族も、何人かの生き残りがいます。彼の目的は学友たち本人の命であって、家族はその巻き添えに近い形ではないかと」
そうでなくてもクレンゲル家の警備はさらに強化されている。息子が殺されたことで、ようやくあの尊大な態度の侯爵殿も事の重大さが認識できたらしい。大人しく警護されるままになっているそうだ。これではさすがのフレーリヒも手が出まい。
アルトマイヤーも同じ考えであった。万が一いつか生き残りの家族を狙ってくるとしても、一度はこの街を離れるに違いない。
追っ手の掛かった状態で、しかも情報通りならかなり負傷しているという。これで一度犯行に及んだ場所を再度狙うのは自殺行為だ。
フレーリヒが最後に目撃された辺りから再度聞き込みを始める。
銃さえ布に包んで隠してしまえば、どこにでもいる粗末な身なりの労働者の風体だ。印象に残っている者はほとんどいなかった。
これからの探索の困難さを考えて、少しだけ空を仰いだアルトマイヤーである。
その視界の片隅に、ちらりと光るものがあった。
「メルダース君っっ!」
瞬間、アルトマイヤーはエミールを突き飛ばして自らも地面に伏せた。
二人のいた辺りに銃弾が撃ち込まれる。銃声は一発。
アルトマイヤーはすぐに射手の方を見やったが、狙われた遠くの町屋の二階の窓から犯人の姿は消えていた。
「ありがとうございました」
「いや、たまたま日に反射した銃身が視界に入った」
町屋の土の壁に、銃弾がめり込んでいる。アルトマイヤーがそれを手にとって丹念に調べた。
ヨアヒムに撃ち込まれた銃弾と同種のものであった。射手はフレーリヒと断定してよいだろう。
しかしその銃弾の軌跡に、アルトマイヤーは眉をひそめた。
ほんの僅かだが、明らかに自分達の体から狙いを外して打ち込んできている。
「威嚇だな」
「威嚇……ですか?」
銃弾を見据えている教官に、エミールは尋ねた。
「ということは、まだフレーリヒさんは目的を達していない。それでこれ以上邪魔するなって言ってきた訳ですか」
「ああ、それも相手が私だからこそ、わざわざ警告してきたのだろう」
危険を顧みず今まで犯行現場の近くに留まり、知人に自らの意図を発してみせる。
フレーリヒの固い決意が読み取れるようであった。
これだけ入り組んだ狭い路地だらけの下町である。諜報員としても働いてきた男だ。逃走経路は確保しているはずだ。いまさら探索したところでもう追っ手に引っかかる可能性は少ないであろう。すると次の目的地を推測し、網を張るしかない。
「『学園』……ですね。当時あそこで何かが起きた。その出来事を知れば次の標的が判るかも知れません」
「『学園』を管轄する情報部の出先機関はブルクハルト王国の小都市ノイエンドルフにある。偶然か、それとも関連があるのか、彼はノイエンドルフの出身だ」
「じゃ、次はノイエンドルフですね」
思い立ったら即行動が信条の教え子は、また旅支度に駅へと走ろうとした。
その背中を、教官の抑揚のない中にも切なる願いの込められた一言が追いかけてくる。
「私の分の携帯食に甘味は不要だ……」
先日首都を出発した日にエミールが自宅から用意してきた弁当は、食事と菓子が同量詰め込まれたメルダース家特製のものだった。いくら好き嫌いのないアルトマイヤーでも、バスケット一杯の甘ったるい焼き菓子の匂いには辟易したらしい。
エミールはちょっと吹き出すと、笑顔で了解の敬礼を教官に送った。




