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狙われている状況がさっぱり理解できていないようである。いや、理解してはいても誰かに八つ当たりしたいだけかも知れない。どちらにしろあまり守って差し上げたくはならない人種のようだ。軍の中隊長相手に延々と文句を並べている。
「たかが警護官風情が何を逆恨みしたかは知れぬが、さっさと捕まえて撃ち殺してしまえばよかろう」
エミールがさすがにむっとして大きな瞳で主人を睨みつける。と、主人と中隊長のやりとりを黙って聞いていたアルトマイヤーがすいと歩み出た。
「相手は一流の軍人です。何を仕掛けてくるか判りません。軽はずみな行動は慎むように願います」
「……この……!」
敬語ではあるが完全な命令口調に、主人がかっとなって抗議しようとした。それをアルトマイヤーは視線一つで黙らせる。
顔を怒気で赤くしたまま独り言のように文句を繰り返す主人を、エミールはいっそ気の毒そうに見送った。この教官相手では、あまりにも役者の格が違いすぎた。
重苦しい時間がゆっくりと流れていく。
警備を始めてすでに二日が過ぎていた。定時の見回りももう何度行ったことだろう。
朝焼けの光が、カーテン越しに微かに部屋に差し込み始めていた。エミール達も仮眠を少し取っただけでほとんど眠っていなかったが、狙われた当の本人はこの二日間、全く眠れなかったらしい。
標的であるヨアヒム・クレンゲルは故ゲオルク王子と同年で現在十八歳とのことだが、いかにも運動不足の感がある恰幅の良い外見は、まるで中年のようだ。
恐怖のあまり血の気の引いた顔色が、睡眠不足でさらに歪んでいる。
この青年、ただの小心者ならまだ可愛げもあったが、性格はしっかり父親の複製だった。
「いつまでこんなことしてればいいんだよぉぉっ! お前らこんなところで遊んでないで、はやくあいつ捕まえてこいよぉっ!」
もちろん街への探索はずっと続けられているが、そんな当たり前の下々の苦労を想像できるほど賢くはないようだ。
一昨日から愚図り続ける青年相手に、アルトマイヤーはフレーリヒから狙われる理由を根気よく尋ね続けた。しかし返ってくる答えは知らぬ存ぜぬの一点張りだ。嘘を言っているようにも見えない。どうやら本当に心当たりはないらしい。
ヨアヒムは一番安全だと言われた、南側にしか窓のない一室にずっとこもっていた。
部屋を暗くして窓に近づかない。それは口を酸っぱくして言い聞かせてある。青年もずっと教えを守っていたが、エミール達はそれでも彼の行動を見張り続けていた。
ノックの音と共に、使用人が主の息子と警護の者達に食事を運んできた。
蝋燭の薄明かりの中で食事が始まる。この部屋に詰めた兵士達も、交代で朝食を取り始めた。エミールとアルトマイヤーも、青年から少し離れてスープを口にする。
ヨアヒムは当然のことながら食欲も無いようだった。スープ皿を見据えて、ぶつぶつと何か繰り言を吐き続けている。
「何で俺がこんな……畜生……こんな……」
いきなりテーブルにがしゃんと両手を叩きつけて立ち上がると、ヨアヒムは雄叫びを上げながら窓の方へ走っていった。
「畜生っ、息がつまるんだよぉぅっっっ!」
「いかん、メルダース君、止めろ!」
彼に近い側に座っていたエミールが慌ててヨアヒムに駆け寄ったが、ヨアヒムはカーテンをざあっと全開にして高笑いをした。
「何だぁっ? 何でもないじゃないか、何も……!」
エミールがヨアヒムの足に抱きついて地面に引き倒そうとしたまさにその瞬間、ガラスの割れる音と共にヨアヒムの額に穴が空いた。
使用人の悲鳴と、兵士達の怒号が飛び交う。
すでにこと切れた青年を置いて、エミールは窓枠の下に伏せ、懐から手鏡を出して外の様子を探った。隣にはアルトマイヤーがすでに張り付いている。
遠くの鐘楼の中程に、ちらりと人影が見えた。どうやら銃を抱えて鐘楼の壁にロープでぶら下がり、そこから狙撃の瞬間を狙っていたらしい。
狙う相手がこもるだろう部屋も、密室の息苦しさに負けて外の景色を求めるだろう時間帯も、全ての行動を読み切られていた。
完全な敗北だった。




