7-1
ひと月程前から、首都に大貴族ばかりを狙う凄腕の暗殺者が出没していた。
すでに三つの家の人間が犠牲となっている。うち一つは厳重に警備を固めていたにも関わらず、たった一人でその兵士達を全て倒し、一家を皆殺しにして去っていた。
まだ息のあった兵士の証言から、暗殺者の正体はあっさりと割れた。
元近衛兵だったその男を、情報部別室の腕利きの暗殺要員に追わせたところ、これもまた返り討ちに遭ってしまった。しかしその際、暗殺者も多少なりとも手傷を負ったという。
訓練に明け暮れていたエミール達の耳には届かなかったが、首都の貴族達は皆屋敷の警備を固めたり、外出を控えたりと戦々恐々らしい。何せ犠牲となった貴族達の関連がいまだに不明なのだ。無差別に大貴族を襲い続けているのなら、いつ自分の家が標的となるか判らない。
アルトマイヤーがヒラー室長に呼び出されたのは、第三の事件が起こった日から五日後のこと
であった。
「ではその暗殺者の捜索をメルダース訓練生の次の課題にせよと、そうおっしゃるのですか?」
この部下が本気でその鋭い視線を向けてくると、慣れているはずのヒラー室長もうっかりたじろいでしまいそうになる。
「そういうこと、らしいねえ。捜索してできれば逮捕、または射殺も可、だそうだ」
「私は承諾できません。警護官として求められる訓練の内容とはかけ離れたものではありませんか。第一、軍関係の犯罪者なら軍警察か、たとえ射殺が目的でも別室の担当でしょう」
珍しく憤りの表情を隠さないアルトマイヤーをなだめるように、室長は同意の言葉を口にした。
「全くもって君の言うとおり、なんだけどねえ……」
どうやらこの指令、情報部に影響力を持つとある軍高官が絡んでいるらしい。軍内にはいくつもの派閥がある。そのしがらみでどうしても断ることが出来ない類の命令とのことだ。
「たぶん話の出所は、メルダース君のおかげで息子が候補取消になっちゃった侯爵様なんだろうけど。まさかこういう手を使ってくるとはねえ……」
ヒラー室長にとっても納得のいく命令のはずがない。が、所詮軍隊において上の決定した事項を覆すことなど不可能に近いのだ。
目の前で上官を睨みつけるように見据えている部下には、さらに納得しがたい命令だろう。今まで苦労して仕上げてきた教え子を、いきなり死地に放り出すようなものである。
それでもアルトマイヤーには断れない事情もある。エミールを警護官として任官させなければ自分の昇進に関わるのだ。たとえ無茶な命令でも、任官のため必要だと上が言うなら、エミールにその通り実行してもらわなくてはならない。
差し出された暗殺者の資料をおもむろに手に取ると、アルトマイヤーは無言のまま部屋を出て行った。
一応の承諾と見るべきか、残されたヒラー室長は苦笑を浮かべて独りごちた。
「……あれ、絶対納得してないねえ。珍しくあの子には入れ込んでいるじゃあない……?」
翌日の早朝、首都の市街地に使用人風の衣服をまとったアルトマイヤーの姿があった。
メルダース宅には昨夜の内に「所用により訓練はしばらく中止。次の指示があるまで自宅にて待機せよ」との伝言を送ってある。
アルトマイヤーは、この任務を自ら行うつもりだった。エミールは確かに優秀な教え子だが、暗殺者の資料を見て、まだあの少年に一人で追わせるには荷が重すぎると判断した。
明らかな命令違反である。昇進はもうないものと考えざるをえない。一日でも早い出世を望んでいるはずなのに、自ら大変な回り道を選ぶことになる。
しかし、エミールが任務に失敗したとしても結果は同じなのだ。一度は教官の職を引き受けた以上、未熟な教え子を犬死にさせる訳にはいかない。
そう自分を納得させて、アルトマイヤーは一人街へと探索に出たのであった。
首都の朝は早い。すでに物売りや、立ち食いの朝食屋が店を開き、人々が忙しく行き交う姿がどの通りにも見られる。
朝食を未だ済ませていなかったアルトマイヤーは、手近な屋台に近づこうと足を向けた。
まさにその時、聞き慣れた甲高い声がいきなりアルトマイヤーの背後から聞こえてきた。
「よろしかったらこれ、どうぞ。この辺では一番美味しいって評判の屋台のなんですよ」
驚いて振り返ると、彼の教え子がパンに肉や野菜などを挟み込んだものを二包み抱えて立っていた。その一つをにっこり笑って差し出してくる。この距離まで近づかれたのに、全く気配を感じさせなかった。
何から言えばよいのか、戸惑いの表情を僅かに浮かべたアルトマイヤーは、とりあえず以前から疑問に思っていたことを口にした。
「……君は、足音を殺すときとそうでないときに大変な差があるな……」
この少年、訓練中はそれこそ暗殺者もかくやとばかり徹底して足音を消して動いているが、一旦訓練を離れると、いつもぱたぱたと騒がしく走り回っていた。第三室でも、廊下を走ってくる音で皆エミールの来訪を知ったものだ。
「ああ、すみません。ウチの身内では、人に近づくときに足音を立てないのはケンカ売ってる証拠だってことなので」
けろりとしてとんでもない家訓を言ってのける。さすがは変わり者の多い一族らしい。
そうすると自分は喧嘩を売られたのかなどと言うこともなく、アルトマイヤーはいつもの抑揚のない口調で教え子の行動に注意を促した。




