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6-6

 訓練も二ヶ月目半ばとなり、エミールは相変わらずアルトマイヤーの出し続ける課題をこなすのに精一杯の日々を送っていた。


 例の毎度の訓練中止宣言も健在である。それどころかこのところさらに課題の難度が上がってきて、いつ宣言通り訓練中止(クビ)を言い渡されるか現実味を帯びてきている。さすがの明るく前向き元気印が売りのエミールも、少し息切れしそうになってきていた。

 訓練が始まってから十日に一日程度の休みしかもらえず、それもたいてい体力の回復と予習に終わってしまっている。甘いもののまとめ食いでしのいではいたが、座学の試験勉強のあまりの範囲の多さに、父親相手にグチを吐きながら漫才をやる時間すらなくなってきていて、かなりストレスが溜まっているのが自分でも判る。

 今日は午前中に爆発物処理の試験を行い、午後から第一軍の小隊に応援を頼んで、複数の敵に襲撃されたときの警護の実践を学んでいた。

 繰り返し襲ってくる敵は、一度として同じ行動を取ってこない。実戦ならば当たり前のことであるが、その度に最良の行動を取らねばならない。体力も使うが、それ以上に神経のすり減る訓練だ。

 エミールといえどこの課題には相当手こずっていた。殿下役の兵士が危険に(さら)されるたび、アルトマイヤーの冷静な、それがかえって心に突き刺さる容赦ない言葉が飛んでくる。

「それでは殿下をお守りするどころか死に追いやるようなものだ。もう一度最初から」

「はいっ、教官」

 周りの兵士たちにも「お願いしますっ」と声を掛け、エミールは位置に着く。

 再度の挑戦は、何とか殿下役の人間を怪我させることなく、全員を制圧した。しかし、教官の言葉はまだ満足とは程遠いようであった。

「一応制圧はしたがそれだけだ。今のままでは二回に一回は襲撃を成功させる。実戦では二度目はない。もう一度」

「はいっ」

 吹き出る汗を袖口で拭いながら、エミールはまた位置に着いた。と、その時第一軍の小隊長が、おずおずとアルトマイヤーに声を掛けた。

「中佐殿、大変申し上げにくいのですが……その……我々小隊員に小休止を許可いただけませんでしょうか……?」

 エミールはこの教官の訓練に慣れていたので、ぶっ続けの訓練にも何の違和感も感じていなかったが、付き合わされた小隊員たちはたまったものではない。

 こんな小さな子が文句一つ言わずに訓練を続けているというのに、休ませてくれとはなかなか言い出せなかった。しかしさすがに隊員たちの疲れも頂点に達していたので、小隊長が決死の覚悟で鬼教官に直訴したのである。

 鋭い視線を向けられ背筋の凍った小隊長だったが、アルトマイヤーは特に怒っているわけでもなかった。抑揚のない口調で、

「では十五分の小休止とする」

とだけ言い残して、兵士用の休息所の方へ去っていった。

 春めいてきた日差しに汗を流しているエミールも、水を飲もうと教官の後を追った。その際に小隊員達に声を掛ける。

「何度も相手していただいて申し訳ありません。休憩後またよろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げて、小さな訓練生が姿を消した。小隊員達が今まで心の中に疲れ以上にため込んでいた言葉を口にする。

「あれだけやってまだ動けるってか? 鬼教官の教え子はやっぱり化けモンだ……」


 エミールは水飲み場で顔を洗って汗を拭き取り、注意深く水をゆっくりと口に含んだ。のどはカラカラに渇いていたが、一気に多量の水を飲んでは、すぐに動きに現れてしまう。

 加減して飲み終わると、エミールは休憩所の壁にもたれて、訓練服の胸ポケットを探った。出てきたのはエミールに抱かれた可愛らしい赤ん坊の写真だ。

 父の部下の子であるその赤ん坊は、エミールの婚約者である。しかし彼女の存在は、それ以上にエミールにとって大きな意味を持っていた。


 エミールは昨年の秋、初めて人を殺した。


 たまたま軍高官の暗殺現場に居合わせ、暗殺者達を返り討ちにしたのだ。

 まだ十歳の自分だったが、初めて人を殺したというわりに、意外と平静でいた。そんなものかとも納得していた。軍人としてこれからも人を殺し続けるであろう自分に、いつかは訪れる当たり前の通過儀礼に過ぎないと思っていた。

 しかしやはり、今までと何かが違ってしまっていたのであろう。

 生まれたばかりの赤ん坊に、引き金を引いた指を強く握られたとき、エミールは泣いた。涙があふれて止まらなかった。

 無くしてしまった何かが、彼女に触れるたびに優しく自分の中に戻ってきてくれるような、そんな幻想すら見える気がした。

 写真の中の赤ん坊は、無邪気にその若草色の瞳をエミールに向かって見開いている。その笑顔を見るだけで疲れも吹き飛ぶようだ。

「メルダース君、先程の内容だが……」


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