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「もう自尊心なんてゆってられないのっ、課題が後から後から降ってくるんだからっっ。明日訓練お休みだから一人で回って予行演習しようと思ってたけど、先生がいてくれて助かったあ~! カンペキにしとかないと『即、訓練中止』なんだもん」
また先程のモノマネを繰り返す。アルトマイヤー教官どのがあの無表情で言ってのける様が目に浮かぶようで、マルセルはつい少し吹き出してしまった。が、笑われたことにも構っていられないようで、目の前のエミールは必死の形相を崩していない。
「……判ったよ」
お手上げといった感じで、マルセルは肩をすくめてみせた。
「ありがと先生っ! 愛してるっっ! じゃ明日ねっ」
エミールはマルセルに抱きついて頬にキスすると、すぐに離して扉の方へ走り去った。その背中をヴォルフの声が追いかける。
「おーいエミール、マルセルが持ってきてくれたお菓子があるんだ。食べていかないのかい?」
「欲しいっ」
慌ただしく回れ右して走ってくる生徒で、先生は再び遊ぶ。
「欲しけりゃでんぐりがえってニャアって言って……」
またもエミールは速攻で、床の上を一回転して鳴いてみせた。そして机の上に広げられた菓子を五つ、六つかっさらうと、つむじ風のように部屋を出て行こうとする。
あきれた顔のマルセルの前で、ヴォルフが息子を呼び止めた。
「エミール、ここで食べていけばいいだろう?」
扉を閉めかけていたエミールは、首だけ覗かせ、説明の時間すら惜しむかのように早口でまくしたてた。
「あさっての課題、狙撃ポイントめぐりだけじゃないんだよ、リース語で会話ってオマケ付きなのっ。いっこでも多く単語アタマに入れとかないと。今日明日徹夜かもなんだから、呑気にお茶してる暇なんてないのっっ!」
ばたんと扉が閉められ、階上へ足音が駆け上がっていった。
半ば呆然と見送ったマルセルは、扉の方を親指でくいっと差す。
「……ほら見ろ。どっかの出世の鬼さんに似て、人生にゆとりってものが無くなってきたじゃねえか」
「まあそう言わないでやってくれよ。僕も構って貰えなくなって寂しいんだから」
「で、何だあの決め台詞は」
「『即、訓練中止』かい?」
父親までそっくりに真似てみせる。余程頻繁に聞かされているようだ。
「彼、地獄の鬼教官らしくてねえ。あのエミールでも結構無理があるんじゃないかって課題を次々繰り出してきては、達成できなきゃその時点で訓練は中止、警護官になるのは諦めろって宣言してるそうだ」
しかもその要求は日を追ってますます厳しくなっているらしい。これまでヴォルフを含め親類たちが与えてきた要求にいとも簡単に答えてきた息子をここまで苦労させてくれるとは、正直ヴォルフも予想していなかった。
アルトマイヤーの教官ぶりを聞かされたマルセルは、どっかりとソファーに座り直すと目を閉じて天を仰いだ。
「……ったくあの野郎、やっぱり心理戦は反則気味に超一流だぜ……」
「どういうことだい?」
「お前も父親なら知ってただろう? 坊主の馬鹿みたいな劣等心」
「僕の可愛い息子に向かって、馬鹿とはなんだい馬鹿とはっ」
ヴォルフの親馬鹿な突っ込みを無視して、マルセルは続けた。
「いままであいつは俺たちを基準に技を磨いてた。だからガキのくせして俺たちに敵わないからってえ馬鹿な理由で技に自信が持てずにいた」
時がたてば解決するであろう、絶対的な経験年数の差。ひとたび戦場に出ればそんなことに遠慮してくれる優しい敵はいない、それも事実だ。しかし、その道の達人と呼ばれる親類の大人たちと比較しての、今の自分の実力がエミールに劣等心を持たせてきた。その劣等心が自信のなさに繋がり、その自信のなさが未だ幼い天才が本来遂げる筈の成長を妨げていた。
しかしアルトマイヤーは際限なく厳しい要求をし続けることによって、親類の大人たちという到達点を忘れさせ、その向こうを目指せるようにエミールを誘導している。理不尽な台詞を繰り返すことで心理的にエミールを追い立て、次々と課せられる課題の達成そのものが目的であると見せかけておいて、少しずつ着実にその能力を伸ばしている。
エミールという人間の性格を知り尽くした上での、エミールにしか当てはまらない最上の訓練方法だ。
「生まれたときから坊主を見てきた俺たちならともかく、たかがひと月やそこらの付き合いで坊主って奴をそこまで理解できるもんじゃねえ。しかもこれ以上ないって利用法までしてのけやがる……とんでもねぇ野郎だ…」
「やっぱり君もそう読んだかい?」
嬉しそうに笑って尋ねるヴォルフに、マルセルはげっそりした表情を向けた。この従弟はアルトマイヤーの思惑をすべて理解した上で、素知らぬ顔をして従兄の分析を聞いていたわけだ。
「……忘れてたよ……心理戦ならお前の十八番だってな…」
酒杯を呷る。と、一瞬、挑むような視線を従弟へくれた。
「いいのかよ。ただでさえ一族始まって以来のとんでもねえ鬼子が、誰にも手の付けられねえ鬼になるぜ?」
「先生としては本望じゃないのかい?」
意にも介さぬ様子で、菓子の残りを頬張るヴォルフを前に、先生はぼそりと呟いてみせた。
「……『弟子に追い越される師こそよき師』、か……父親もまた然りって、ね……」
やはり本家には、分家の小せがれが余計な心配をしなくてはならないほど可愛いげのあ
る人間は一人もいないようだった。




