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6-4

手袋を外したアルトマイヤーの指先が、エミールの足に触れる。腫れて痛む足に、ひんやりとした湿布と彼の手の感覚が心地よかった。冷たいはずの手のひらが、何故だかとても暖かく思えた。

 手当を終えたアルトマイヤーが尋ねる。

「歩けるか?」 

「あっ、ありがとうございましたっ。全然平気ですっ」

 エミールは跳ねるように立ち上がった。事実しっかりと固定された足首にはほとんど痛みを感じなかった。

「明日と明後日は第三室に八時に集合だ。大陸西部に関する講義と西域語二つの会話の練習を行う。その翌日には試験だ。判っていると思うが、合格点に達しなかったら、即、訓練は中止する」

 自分の怪我が治るまで、座学を中心に組んでくれたのであろう。そんな心遣いが嬉しかった。そして、教え子の怪我を自ら手当てしてくれた教官の手のひらから、ただ冷徹なだけではない、包み込むような優しさが伝わってきたようだった。

 怪我の状態が大したことはないと確認すると、アルトマイヤーはそっけなくエミールをその場に残して去っていく。エミールは教官の背中を改めて敬礼で見送った。


 自宅へ帰っても、今日の出来事はなかなか頭を離れなかった。

 教官の言葉を何度も反芻(はんすう)してみる。

 そういえば自分を気遣う言葉の他に、何か重要なことを言っていたような……。エミールはふと我に返って、替わりに言い渡された座学課題の多さを思い出し、怪我をした足首よりも頭が痛くなってきた。

「もしかしてイタイのガマンして格闘訓練続けてもらった方がマシだったかも……」

 エミールは足を引きずって、翌日からの課題の参考になりそうな書物を探しに父親の書斎へと向かった。 



「う~ん、やっぱり君の奥さんの作る菓子は美味いねえ~。これならもう修業先独立して店を持ってもいいんじゃないかい?」

 目の前に積まれた大量の土産の菓子を、ヴォルフはせっせと口に運んでいる。

 向かいに腰掛けた従弟をあきれ顔で見やると、マルセルは手酌で麦酒を(あお)った。

「……ったく……三十過ぎても甘いモン好きは変わらず、か」

 任務をひとつ終わらせて首都に帰ってきたマルセルが、夕刻になってヴォルフの家を訪ねてきた。マルセルは無精髭とその飄々とした様子から、年齢不詳に見えるが、従兄弟であるヴォルフより二歳年長だ。情報部別室所属、つまりは暗殺専門の狙撃手で、「これ以上()がっちまったら現場(ソト)に出れねえ、老化(ボケ)が始まっても困るしな」と、頑として少佐以上の昇進を拒んでいる(それでも結構、左官が直接暗殺の任務につくことには無理があるのだが)。

 ヴォルフの甘味好きを馬鹿にしてはいるが、この従弟の家を訪ねるときは、必ず菓子工房につとめる妻から預かった土産を持参していた。

 しばらく菓子に夢中になっているこの家の当主の前に腰掛けて、黙って酒を飲んでいたが、思い出したように話を切り出す。

「……で、あのユカイな人事を、お前あっさり認めたのかよ?」

「ん? ああ、エミールの教官かい?」

 そういえば従兄は、アルトマイヤーの功績はともかく、性格の方はあまり快く思っていなかった。

「あの無口無表情が坊主にまで伝染(うつ)ったらどうする気だよ」

「まあうちのエミールに限って、それだけは絶対ありえないけどねえ」

 息子ほどよく喋り、ころころとよく表情の変わる人間もそうはいまい。あの教官どのがいくら丁寧に叩き込んでも、そう簡単に染みこんではくれないだろう。

「…気にくわねえトコは、それだけじゃねえんだがな…」

 マルセルの言葉に(かぶ)さるように、ばたばたと(せわ)しい足音が廊下から聞こえてくると、ばん、と勢いよく扉が開いた。それと同時に話題の主《(ぬし)が部屋に飛び込んでくる。

「あれえ?マルちゃん先生だぁ~! 嘘々っ、いつ帰ってきたの?」

「……相変わらず騒がしい坊主だな……。おとといだ」

「うっわ偶然、超ラッキー! やっぱぼく、日頃の行いいいから」

「誰の話だ……?」

 マルセルは任務で国を離れることも多いが、根っからの放浪癖の持ち主で、休暇が取れればすぐにふらりとどこかへ旅に出てしまう。首都にいるところを捕まえられたのは、まさに天恵だった。ツッコミにも答えず、久々に会う親類に挨拶も吹っ飛ばして、両手を合わせて頼み込んだ。

「お願い先生! 明日一日ぼくとデートしてっっ!」

「……悪ぃが、俺にそっちの趣味はねえ」

 心底イヤそうな顔で答えたマルセルだったが、当のエミールは真剣そのものだ。ソファーに腰掛けたマルセルを押し倒さんばかりににじり寄って来る。

「あさってアルトマイヤー教官と二人で首都市街一周デートして、狙撃ポイント全部指摘できなかったら『即、訓練中止』なんだよぉっ! ね?お願いっ! 助けると思って明日一日特訓してっ!」

 切迫した様子でも、台詞の部分をしっかり教官の顔と声音を真似てみせるあたり、さすがこのメルダース本家の人間である。妙なところに感心した分家の人間は、お約束で生徒をからかった。

「三回回ってワン、って言ってみな。そうすりゃ教えてやらなくもねえ…」

 先生が喋り終えないうちに、エミールは器用に片足を軸にくるくる回ってみせると、マルセルの膝に両手をついて、

「わんっっ」

と、甲高い声で鳴いた。

「早っっ……てかお前、自尊心(プライド)無さ過ぎ…」

 さすがにこの息子のリアクションには、隣で父親が頭を抱えている。


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