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6-2

 アルトマイヤーの言葉は、エミールを愕然(がくぜん)とさせた。

 今日までエミールの目標は、いつだって身内の誰かであった。射撃であれば父の従兄、格闘であれば叔父と、恒に追いかけるべき対象があって、彼らを追い越すことがすなわちエミールにとっての終着点(ゴール)であった。

 しかしそんな、自分にとって当然であった固定概念を、教官の言葉は根本から覆してくれた。天が崩れ落ちてきて、その隙間から空がひらけていた。天だと思っていたものはただの作り物の天井に過ぎず、砕け散ったその先には知らなかった世界が広がっていた。そんな感覚が脳天から突き抜けるように襲ってきた。


 あまりの衝撃に、エミールはしばらくの間、夕闇の訓練場に立ち尽くしたまま動けなかった。



 翌日からの訓練は、再び過酷なものとなっていった。

 体術も座学も、毎日息をつく間もないほど大量の課題を与えられる。実戦的な訓練が始まってからしばらくは、課題も様子を見るようなものだったが、今度ははっきりと具体的な達成を条件とされる課題を、小刻みに設定されエミールに投げかけてくるようになった。

 今日の午前中は、昨日からの宿題だった大陸北部地域の地理等の試験であった。情報部員として働くなら、詳細な地形図をはじめ、各国の風土や歴史背景、現在の政治形態や支配者層の権力構図、主要産業や人々の国民性など様々な知識が要求される。

 一昨日、昨日と午前中にアルトマイヤー教官に講義を受け、参考文献を持ちきれないくらい土産にもらって、結局エミールは二晩ほとんど徹夜で試験勉強だった。

 なにしろこのところ教官からは、二言目には必ずあの台詞が出てくるからたまらない。

「この程度の知識も持たないようでは、到底警護官としても情報部員としても通用しない。時間の浪費は無駄だ。合格点に達しなかった段階で、即、訓練は中止する」

 この教官の訓練中止宣言を、ここ十日間ほどでいったい何回聞かされたであろう。そのたびにエミールは、しゃにむになって課題に取り組むはめになった。

 延々と続いた口述試問もどうやら無事終わったらしい。あいかわらず自身は参考文献も見ず問題を出していたアルトマイヤーが一息つく。朝から一問の失問も許されない緊張の中にいたエミールも、大きく息を吐き出した。教官が前にいなければ、椅子の背もたれに仰向けになって「終わったぁ~っっっ!」と叫びたいところだ。

「午前の課題はこれで終了する。午後は一時に演習場に集合。市街地を想定した狙撃を練習後、格闘の試験を行う。予告通り、十本中五本以上取れなかったら、即、訓練は中止だ。以上」

「はい、了解しました。教官」

 部屋から出ていくアルトマイヤーを敬礼で見送ったエミールは、今度こそ大きく伸びをした。寝不足もあって、特大のあくびがついて出てくる。

 だらしなく大口を開けていたところへ、ノックもせずに第三室所属の情報部員シュルツ少尉が顔を(のぞ)かせた。

「エ~ミ~君、お疲れーっ。お菓子があるわよ……って、ものすごいあくびねえ。夕べちゃんと寝た?」

「うわっ、シュルツ少尉っっ!……見ちゃいました?」

「ふふっ、大丈夫。厳しい教官にはナイショにしておいてあげるから。さ、こっちへいらっしゃい」


 情報部第三室では、もうこの可愛い訓練生を知らぬ人間はいない。初めはこのような子どもに訓練などさせて大丈夫かと眉をひそめる者も多かったが(それも教官がよりによってあのお方だ)、座学の講義や試験に何度か第三室に通ううち、すっかり顔馴染みとなっていた。

 もともと人見知りせず、元気いっぱいの明るい少年だ。すぐに皆に可愛がられるようになり、会えば声を掛けてくれたり、この女性士官のようにお菓子をくれたりする。

 シュルツ少尉の机のある執務室へ招かれると、早い昼食をとっていた中年の男性部員が手を挙げて笑顔を見せる。笑顔で会釈を返したエミールは、彼女の席の隣に用意された椅子に腰掛けた。

「どうせお弁当食べてすぐ演習場行きでしょう?今日は何の課題なの」

 お茶を出してくれた少尉に元気に礼を言うと、エミールは貰った菓子をおかずに弁当を食べ始める。口の中を一旦きれいにしてから、彼女の質問に答えた。

「狙撃の練習の後、格闘の試験です。教官相手に二本に一本取らないといけないんで」

「まあ大変。あいかわらず期待されているのねえ、エミ君」

「あはは……そうだといいんですけど…」

 この少尉、分析班員としてアルトマイヤーと組んで仕事をした経験がある。おかげでこの課題のように、他の者ならそんな無茶なというところでも、あの方のすることなら間違いはない、と絶大な信頼を寄せている。

 自分の周りの人間からの評判があまり良くないため、情報部内でも煙たがられるばかりと思っていた教官にも、こうした理解者がいると判って、エミールは少しほっとした。あれだけの人物が、ただ少しばかり(?)無愛想なだけで、その仕事においても正当な評価をされていないのだとしたら、それは理不尽なことだ。


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