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夕暮れの茜の空が次第にその明るさを失いかける頃、エミールはアルトマイヤーに居残りを希望し、射撃の練習を続けていた。人影も無くなった演習場に、いつまでも銃声が響いている。
先程からエミールが休むことなく続けているのは、室内戦を想定し、建てられた屋敷内の各所に、敵を模した標的が据えてある、その標的を全て倒す時間の速さと正確さを向上させるための訓練だ。
警護という職務上、その訓練は本来敵に攻められた場合の防御法が中心となるが、この教官はそういった枠に囚われることなく、軍人としてあらゆる技能を教え子に求めてくる。 今日の午後の課題もこちらから攻めて屋敷を制圧するものだった。
その課題を、エミールは本職の戦闘員もかくやという速度と正確さでこなして見せた。もちろん教官としては一応の合格点を与えはしたが、教え子は不満げな様子を隠さなかった。
この教え子は、実戦訓練が始まってから、このように充分な成績を上げながらそのことに満足していない、むしろ不満で一杯という表情をよく見せるようになった。
教官の自分が話しかけづらい人間であることもあってか、まだそれほど会話を多くした訳ではない。しかし少年は、訓練開始の頃よりずっと表情が豊かになり、こんな風にある意味子どもらしく、思ったことを素直に顔に出すようになっていた。おそらくはこれが、この少年の本来の姿なのだろう。
アルトマイヤーが見守る中、エミールは飽くことなく、何度も何度も同じ課題を繰り返す。屋外に立つ教官の存在も、もうすっかり忘れるほど没頭していた。
遮蔽物から飛び出すタイミング。仮想の敵の攻撃から身をかわし、そして銃を発射する姿勢。その定めた狙い。銃弾の行方。
どれもこれもまだまだ全然足りない。
エミールには、はっきりと見えていた。市街戦の専門家である親類が、この課題を完璧に達成するその姿が。
なんとかその姿に自分を重ねようと、いくら繰り返してもどこかが必ず外れてしまう。その不甲斐なさが悔しくて、また最初からやり直す。
階下へ降りてきては、肩で息をつき、再び顔を上げて挑む者の目で邸内に突入していく。教え子のそんな姿を、アルトマイヤーは黙ってじっと見つめていた。
アルトマイヤーの目にも、エミールの追う者の姿がはっきりと見えていた。窓から垣間見える教え子に重なるように。そしてその姿が教え子を導きもするが、時には押しつぶそうと重くのしかかる様さえ見える気がした。
銃声が止み、エミールがまた屋外へと姿を現した。無言のまま唇を噛みしめ、空になった弾倉に手慣れた様子で弾丸を込める。予備の弾丸をポケットに押し込んでまた扉へ手を掛けた。
その背中に、アルトマイヤーの低い声が放たれた。
「……誰の影を見ている?」
はっとなってエミールは振り返った。
水色の大きな瞳を一杯に見張って、それまで黙って自分の訓練に付き合ってくれていた教官の顔を凝視している。アルトマイヤーも、教え子にしっかりと向き合って言葉を続けた。
「誰かの影を追うことも、ひとつの上達の方法だ。しかし、君はもし、その影と自分の行動が完全に一致したら、それで満足なのか。それ以上技術を磨こうとも思わず、終わらせてしまうのか」
淡々と、事実のみを述べるような口調だった。しかしその言葉は、エミールの中に少しずつ染みこんでくる。
「戦場で生き残るために必要なのは、今自分がどれだけの技倆を持っているか。それを客観的に知ることだ。誰かに勝ったという事実は、所詮比較としての結論しかもたらさない。それ以上の敵に遭遇すればすぐに崩れ去るものだろう」
すでに陽は半ば以上落ち、柔らかな暗闇が師弟を包み始める。無表情な筈の教官の眼鏡の奥の黒い瞳が、何故だかエミールを落ち着かせ、言葉以上のものを語りかけているようであった。
アルトマイヤーはすっとエミールの側に歩み寄ると、エミールの肩に手を置いた。ほんの一瞬、手袋越しに、冷徹と呼ばれた人間の体温が伝わってくる。
「疲労して筋力が低下した状態で訓練を続けても、精度が落ちるだけだ。今日はもう止めるといい」
言い残して立ち去ろうとしたアルトマイヤーを、エミールは慌てて呼び止めた。
「あのっ」
振り返ったアルトマイヤーの表情は、暗くてもう判らない。ただ聞き慣れた低く響く声が、また厳しく教え子に投げかけられた。
「明日また同じ課題をやってもらう。今日より速く正確に、だ。出来なければ成長の見込みなしと見なして、即、訓練を中止する」
去っていく長い影に向かってエミールは頭を下げた。
「……ありがとうございましたっ!」




