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受け持つことになった訓練生が、年齢と外見からは想像もつかない域の能力を備えていることは、最初の数日で充分すぎるほど認識した。警護官という進路からエミールを遠ざけようとするもう一人の自分が課した無茶な要求に、あの小さな体で死にものぐるいで食らい付いてきた。
単なる負けず嫌いだけでは到底あそこまで出来るものではない。あの賢い少年ならば、自分の限界が判っていそうなものだ。それなのに、限界を明らかに超える要求に、当然のように答えようとして向かってくる。アルトマイヤーの目にはエミールのその姿勢が、出来ないと言うことを知らない故のものに映った。
その後数日間目の当たりにした実戦技術もまた、信じられない水準の高さだった。
天賦の才能に加え、その才を持つ彼をまた一族の大人たちが愛情を持って教育したのであろう。誉められることで幼くして『鬼子』の名にふさわしいまでに伸びた。少年の現在の能力の高さは、そんな育ち方を想像させた。
ところが部下の少年評を聞いたヒラーは、悪戯の成功した悪童のように愉快げに笑った。
「さすがの君でも、読み違えることもあるんだねえ」
くつくつと、体を震わせている上司を前に、アルトマイヤーは僅かだが不審げな表情を浮かべた。
笑いの発作がまだ治まらない室長の口から、意外な発言が飛び出す。
「まったく逆だよ。あの子にとっては生まれてからこのかた、負けっぱなしの人生だったんじゃあないかな」
「ご冗談を」
ついそんな言葉を上官に対して発してしまう。それほどヒラーの言った内容ははあり得ないことだった。士官学校の卒業試験の座学問題を全問正答し、特注の銃とはいえ射撃の得点でトップクラスの卒業生のそれを完全に上回ってみせる。そんな十一歳が他にどこにいるというのか。同年代はもちろん、少しばかり年の離れた年長者でさえ敵う者など誰もいないはずだ。
今度は明らかに不審な顔となったアルトマイヤーに、ヒラー室長は軽く頭を下げてみせた。
「いや笑ってすまない。いくら君でも情報がなければ手は読めないだろうしねえ。実はあの軍人特産地出身者のひとりが私の友人でね、内情には少しばかり通じているんだよ。それくらいの反則をつかわなければ、私だって今の結論には達しないよ」
その後ヒラーが語ったのは、メルダースという軍人一族の特殊な哲学だった。
エミールは今現在、メルダースを名乗る者の中で最も年少である。また、最も年の近い叔父でもエミールより九歳年長だ。当たり前のことだが周りの親類はエミールより技に長けた者ばかりで、少年が大人たちを相手に回して勝つことは出来ない。射撃でも格闘でも、何をやっても誰かには負け続ける。そんな環境で育ってきたのだ。
しかし、年端もいかぬ子どもが、大人に勝てないのは自明の理だ。そんなことを気に掛ける必要など何もない筈である。
「そこがあの連中の怖いところでねえ、『戦場で年少や経験不足を考慮して手加減してくれる敵はいない』。この一言だよ。まあだからこそ超一流と呼ばれる人材を世に出し続けてるんだろうなあと、あの時はただ感心しただけだったけどね」
かくして運悪く最年少であり続けた少年は、正論ではあるが理不尽な家訓により、あれだけの能力を持ちながら今日までずっと、勝つという実感を覚えることなく、半人前以下の扱いを受けてきたのだった。
「おそらくあの子は、一族皆に愛され、大切に育てられているよ。多分だからこそ誰もまだ一人前と認めてやっていないんだよ。可愛い血縁の子がどんな戦場で、いかなる強敵と対峙しようとも生き残れるようになるまではね」
アルトマイヤーは上官の話をじっと聞いていた。
エミールが訓練を受けるにあたって、何かに挑んでいる。それは漠然と感じていた。上官の語る背景が、その正体を明らかにしてくれた。
(それならばあの少年はまだ伸びる)
教官として、自分の手で伸ばしてやることが出来る。アルトマイヤーは、そう確信した。
まだ決して迷いを振り切った訳ではない。だが、挑戦し続けている教え子に対して誠実でありたいと思った。
あの雨の日に傘を差し掛けてくれた、少年の気持ちへかけらほどでも報いることが出来れば。そんな思いが自分を動かしたような気がした。




