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そしてアルトマイヤーの方も、エミールという教え子に対して、現時点では最高の評価を与えざるを得なかった。
評判の『メルダースの鬼子』という異名さえ、この少年を評するに足りないとまで感じる。体格は並み以下なのに、それを補う方法をちゃんと知っており、また小さい体を最大限生かした敏捷な動きは驚異的だった。ナイフでの戦闘では、技倆に自信のあったアルトマイヤーでさえ何度かひやりとさせられる場面があった。
初めて出会ったときの、感受性の高い優しいだけのか弱い子どもという認識はもうない。でもだからといって、アルトマイヤーの中の迷いが消えたわけではなかった。
この少年を警護官への道へと導くべきか否か。答えは決まっているはずなのに、どうしても何かが心の奥底でわだかまっている。
自分の与える課題にひたむきに向かってくるエミールの姿勢には、固い決意が読み取れた。
最初の十日間、アルトマイヤーはエミールに対し、与える課題もそして態度も、意識的に酷くした。にもかかわらず、この少年の姿勢には少しの揺らぎもなかった。
それが警護官就任に対する執着なのか、何か他に理由があるのかは判らない。
しかし、その熱意に答えないのは、教官として間違っているのだろう。
明日はヒラー室長に呼ばれている。訓練を休みとし、上司に経過の報告をしに行かねばならない。
夕陽に照らされた顔に惑う思いを映すこともなく、アルトマイヤーは実戦訓練五日目の終了を教え子に告げた。
この季節にしては珍しく良く晴れた朝、アルトマイヤーは情報部第三室へ向かった。
「ああ、アルトマイヤー君、ご苦労さん。せっかくの休日にすまないねえ」
ヒラー室長がにこやかに出迎える。合い向かいに座ると、この室長には珍しく、いきなり本題に入ってきた。
「毎日結構な量の訓練をこなしているそうじゃないか。訓練場で見かけたっていう第一軍の人間から聞いているよ」
情報部の有名人が、小さい子ども相手に、まるで虐待のように無茶苦茶な訓練をしている、と。あの内容では、下手をすれば子どもが死んでしまうかもしれない、とまで言われていた。ヒラー室長は情報元の第一軍の兵士たちにやんわりと口止めをしておいたが、噂が本当なら、アルトマイヤーに全てを任せた自分にも責任はある。
「何と言っても相手はまだ十一の子どもだからね、あまり酷な思いはなるべくさせたくはないんだけどねえ」
それでも率直に、「止めろ」とは言わない。この部下が理由もなく、ただ子どもを苛めたりする筈はない。そのあたりヒラー室長はアルトマイヤーを全面的に信用していた。
「士官学校最終学年程度の基礎体力と、卒業試験水準の基礎的な実戦能力及び教養を確認しているだけです。警護官に就任するには、最低限の要求かと思われますが」
(おいおい……)
部下のこの整然とした回答には、さすがの室長も頭を抱えそうになった。士官学校で卒業試験を受ける少年……いやもう青年と呼べる年代の生徒たちと、いったい何歳差があると思っているのか。
苦笑を全面に押し出した上官を気に留める様子もなく、アルトマイヤーは続ける。
「現在のところ、メルダース訓練生は与えたすべての課題を完了しています。よってこのまま訓練を継続する予定です」
一応の安心材料は提供された。しかし、やはり『メルダースの鬼子』の名は伊達ではなかった、ということか。部下の報告通りなら、あの可愛らしい外見で、ほとんど怪物だ。
ヒラー室長は、ちょうど副官が運んできてくれたお茶で口を湿らせた。気を取り直して、いつもののんびりした口調で問いを部下へと向ける。
「で、どうだいその子の印象は」
「警護官として通用するまでに成長する素質はあると思われます」
「いや、そんなカタいことじゃなくてね」
アルトマイヤーは無言のまま、ヒラー室長をじっと見詰めた。上官がどんな内容の返事を要求しているのか判らないといった風だ。
「まさに印象、だよ。君はあの子を見て、どんな感じを受けたかい?」
普段他人には興味を持つことのないこの男がどう答えるか、室長は悠然と椅子の背に片手を掛けて待った。
しばらくの沈黙の後、アルトマイヤーがゆっくりと口を開いた。
「……挫折を知らない……自分に出来ないことはないと、そう信じているように感じられます」




