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5-1

 エミールの訓練も二週目の後半に入っていた。


 初めの十日間は、二日の教養課題の日を除いて、まさしく基礎体力課題のみで明け暮れた。いったいどれだけの距離を走り、雪をかき分けて歩いたのか考えたくもない。

 一日の休みの後、アルトマイヤー教官は、実践的な訓練を開始すると宣言した。

 どうやら教官の言う基礎的な能力の確認は無事済んだらしい。しかし本番はこれからである。いくら体力や暗記力があっても、警護の任務に必要な射撃や格闘術、また情報部員としても働くのであるから、その情報収集法などの技術が求められる水準(レベル)に達しなければ何の意味もない。

 まずは拳銃の分解、組み立てを要求される。

 エミールは自分専用に特別にあつらえてもらった小型の拳銃を持参していた。通常軍で兵士に支給している拳銃では撃ったときの反動が大きく、エミールの小さな体には負担が掛かりすぎる。もちろん扱えないことはなかったが、長時間の訓練では肩を痛めることになるだろうと、アルトマイヤーも使用を認めてくれた。

 多少威力は落ちるが、同じ位の大きさで最近女性の護身用に出回り始めた拳銃よりは、射程距離も精度も格段によい優れものだ。

 この課題はエミールにとっては、目をつむっていても楽々こなせるものだった。それこそ物心付いた頃から日課のように銃をバラしては組み立てる作業をやらされている。

 瞬く間に終わらせた教え子に、教官は一瞬の間を置いて「合格だ」と短く告げた。

 この教官から自分に対する前向きな評価をもらったのは、これが初めてである。喜ぶべきなのだろうが、エミールとしてはあまりにも当然の作業をこなしただけだったので、アルトマイヤーの抑揚のない声もあいまって、何の感動も湧かなかった。

 続いて数メートル先の標的に向かって射撃の訓練に入る。

 弾倉の五発を間髪置かず連射して、標的から同心円が何重にか描いてある、その中心の円内にすべて的中した。それもほぼ円の真ん中付近に集中している。

 傍目からみれば素晴らしい腕前である。しかしその芸当を披露したエミールは、顔をしかめて大きく息を吐き出した。そんな教え子の後ろ姿を見て、教官は短く問うた。

「納得がいかないようだな」

 エミールは振り返って、斜め後ろに立つ教官に顔を向けた。大きな瞳が、不満の色を浮かべている。この教官相手にどこまで語ってよいか、少し戸惑いながら自分としての事実のみを話す。

「……この距離であれだけ散らしてしまったので……」

 この言葉に、アルトマイヤーは軽く溜息をつく。感想を述べるでもなく、次の少し長めの射程の標的へと教え子を移動させようとした。

 その背中に、エミールの高い声が掛けられる。

「あのっ」

 振り返ったアルトマイヤーに、エミールは意を決したように、一気に訴えた。

「もう一度やらせていただけませんか」

 アルトマイヤーは、無表情のまま、一呼吸置いて熱心な教え子をたしなめた。

「君にとって今の射撃は不本意な出来なのかも知れない。しかし、まずは君の現在持っている技術をひととおり見せてもらいたい。その後技術を向上させるための訓練になら、教官として納得がいくまで付き合おう。それでよいか」

「あ、はいっ。ありがとうございます、教官」

 すぐに背中を向けてしまったアルトマイヤーに、エミールは深く礼をした。

 上げた顔には、驚きがまだ残っている。なんと、この教官と初めて会話が成立したではないか。それも自分の不満を汲み取った上で、きちんと対処してくれようとする。

 他の人間から発せられたのなら特に何も思わないかも知れない発言を、エミールはとても新鮮に受け取った。それほど前の十日間は人間対人間の当たり前の交流が()されていなかったのだ。

 アルトマイヤーという人間が、噂通り他人に興味を示さない。その一言で片付けるにはあまりにも機械的な命令の繰り返しだった。それがふいに僅かだが機械に命が吹き込まれた。そんな風にも感じられた。

 顔の筋肉を緩ませながら後を付いてきた教え子に、教官は特に表情を変えることはなかったが、一言、

「何か?」

と尋ねてくれた。

「いえっ、何でもありませんっ」

 エミールはこんな些細な反応が何故だか嬉しくて、射撃の出来の悪さも一瞬忘れ、笑顔で元気に次の標的に向かった。

 


 それからエミールはアルトマイヤーに、五日間、様々な分野に渡って課題を与えられた。拳銃での射撃から始まって小銃での射撃、アルトマイヤー相手に素手で、またナイフでの近接戦闘といった体術から、爆発物の扱い、要人警護の基礎等々。また大陸の歴史や地理、各地の地方語の日常会話なども合間を縫って試問された。

 それなりに高い水準を要求されはしたが、教官は宣言通り、エミールの現在持つ技術を見るのが目的のようであった。最初の十日間のような無茶な課題はない。

 教官の人物像を眺める余裕すらできた。そのおかげか、この数日で、エミールのアルトマイヤーに対する認識は進化した。

 基礎課題の頃から化け物だとは思っていたが、彼が軍人として飛び抜けて優秀な人間だと改めて感心する。

 エミールは育ってきた環境のため、各分野を極めた達人の技倆(ぎりょう)がどのような水準かよく知っている。その親戚たちと比べてもアルトマイヤーは全く遜色がない。戦闘員としても文句なしに一流である。そして知識も豊富で、語学も堪能だった。

 唯一の泣き所は、やはりあの鉄壁の無口無表情だろう。だがそれも、最初の頃より気にはならなくなっていた。


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