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4-5

 エミールのあまりの剣幕に、毒気を抜かれたヴォルフである。

「夕べだって行軍が終わってもうへろへろで座り込んでたら、あ~んな高いトコから見下すみたいに『明日の集合は八時だ。これ以上の訓練に耐えられないようなら今のうちに申告するように』、だよ?だ~れが申告するもんかってっっ!」

 アルトマイヤーの長身を、右手をいっぱい頭上に伸ばして表現する。ともかく息子の闘争心に派手に油をぶちまけてくれたことは間違いなさそうだった。

「うっわ、もうこんな時間。遅刻する~っ、お弁当お願い~っ」

 林檎を一切れくわえたまま、着替えにどたどたと階上へ消えていく。そして瞬く間に着替え、大きな鞄を提げて駆け下りてきた。替えの服がはみ出るほどに詰め込んである。

 昨日帰りに着て帰ってきた服は、コートを除いて第一軍の詰所で借りてきたものだった。この寒空を汗まみれのまま放り出しては凍死すると、親切な兵士が貸してくれたそうだ(道理で兵士用の野戦服を着て帰ってきた訳だ。かなり寸法(サイズ)には無理があったが)。

 演習場まで送ろうかと気を遣う使用人に、エミールは苦笑して断りを入れていた。訓練生の分際でお車でご到着という訳にもいくまい。

 息子が出かける間際、ヴォルフは穏やかな声で問いかけた。

「エミール、本当に大丈夫かい?その、あまり無茶な要求には無理して答えなくてもいいと僕は思うよ」

 遠回しに訓練を降りてもいいと、そう告げられたエミールは、燃えさかる炎そのままに父親へびしり、と指さして反撃した。

「ひっどい父さま、父さままでぼくが訓練やめて逃げ出せばいいって、そう思ってるんだ」

「いや、そういうワケじゃあないんだけどねえ…」

「とにかく! あの教官が納得して合格点つけるまで、ぼくはやめるつもりないからっ」

 高らかに宣言して、くるりと背中を向ける。

 不安げに自分を見送る父親の視線を感じながら、エミールは玄関の扉を閉めた。

 そして、誰にも聞こえない小さな声で(つぶや)く。

「これくらいで負けてなんかいられないんだから……」

 二月の低い曇り空を(にら)むように見上げる。深呼吸をひとつすると、エミールは演習場へ向かって走り出した。



 その後もアルトマイヤー教官は、小さな教え子に対して全く手加減しなかった。

 初日の課題は全て日課となり、それに加えて縄登りや跳躍など、予定通り基礎体力を嫌というほど確認された。

 初めの半日でもボロボロに疲れ果てたエミールだ。それが一日中、さらに過酷な課題を三日連続で与えられて、訓練四日目の終了時には疲労も頂点に達していた。

 恒例となった雪中行軍を終え、立っているのもやっとのエミールに、アルトマイヤーは言葉だけは教え子を気遣うように聞こえなくもない台詞を投げかける。

「相当疲れているようだな」

 これで素直にはい、などと答えようものなら、明日から来なくていいと言われるのが関の山だ。この教官に対して初日に抱いていた感傷的な親近感は、ここ数日の地獄のシゴキと機械相手のような会話(……会話と呼べるかどうかも怪しいが)で、すっかり頭から消え去っていた。

「いえ、問題ありません」

 気を抜いたら、今にも崩れそうな足を叱りとばして、エミールは答えた。

 アルトマイヤーは相変わらず、エミールと同じ量の運動の後も全く疲れた様子も見せない。いつも通りの無表情で、翌日の予定を淡々と告げた。

疲弊(ひへい)した状態では訓練の成果も半減する。明日は第三室の私の執務室前に集合するように。君の知識の確認をさせてもらう」

 そう言って去っていく教官に敬礼をする。倉庫の影に姿が消えた瞬間、エミールはどさりと大の字になって寝ころんだ。

 とりあえず明日は足場の悪い中での反復横飛びも三階の屋上までの縄登りも、背骨が折れそうな重い装備をしょって膝まである雪を()ぐこともしなくて済むらしい。

 自ら進んで(のぞ)んだ訓練ではあったが、エミールの口から少しだけ安堵の息が漏れた。

 しかし、すぐに思い直して飛び起きた。自然と眉間にしわが寄ってくる。あの教官が求める知識の確認がどのようなものか。体力の確認がこの四日間のアレである。

 それを考えると、エミールの全身からざぁ~っと血の気が引いた。

「……登校拒否ってこんなカンジかなあ……」

 さらに疲れが増したように感じる体を引きずって、エミールは家路へついた。



 悪い予感ほど見事に的中するものである。

 訓練開始から五日目の夜、いつにもまして憔悴(しょうすい)しきった様子で家へ文字通り転がり込んできた息子に、ヴォルフはしゃがみ込んで問いかけた。

「……確か今日は座学の課題だって聞いてたような気がするんだけど……行軍より疲れてるように見えるのは僕の気のせいかい……?」

「あ~っっっ今ぼくに話しかけないでっっ! のーみそ使いすぎで溶けてるんだから、これ以上コトバが入ってきたら反対の耳から出ちゃうよっ」

「はあ?」

 思わず玄関ホールに寝転がったままのエミールの耳元を調べてしまったヴォルフである。とりあえず溶け出した脳とやらはまだはみ出していない。

 こんな所に愛する息子を転がしてはおけず、父親はエミールをひょいと背に負うと、食堂まで運んでいった。

 

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