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4-4

 酒杯を投げ捨てると、ヴォルフは玄関へ飛んでいった。そこで彼が見たものは、気を失って倒れていた息子の姿だった。

 大声で名前を呼んで頬を叩いても、全くエミールは反応しない。完全に失神している。とりあえず部屋へ運んで夜着に着替えさせたが、靴は泥だらけで、持ち帰ってきた袋の中の、先方で着替えてきたのだろう冬用の厚手の訓練着は汗でぐっしょりと濡れていた。

 半日足らずで、いったいどれだけの運動量をこなせばこんな状態になるのか。丸一日息子に付き合って、格闘や射撃の訓練をしたときでも、エミールは疲れはしていたが夜には元気にカードをして遊んでいた。

 額に手を当ててみる。熱はないようだ。

 その手にエミールがぴくりと反応した。薄く目を開ける。ヴォルフは大声で息子の名を呼んだ。

「エミール? 僕だよ、判るかい? 大丈夫か?」

 その言葉が理解できたのかどうか、エミールはうわごとのように、

「……ろくじ……には……おこして……」

とだけ言って、再び気を失うように眠りについた。


 もうすぐその六時になる。本当に息子を起こすべきなのか、それより本当に目を覚ましてくれるのか。天才軍師の知略もこんな時には全く役に立たない。

 時計を見ていた使用人頭の女が、踏ん切りの付きそうにない主人を置いて、階上へとエミールを起こしに行った。

 果たして、一晩中ヴォルフを死ぬほど心配させてくれた最愛の息子は、どんどんといつもの倍足音を響かせながら階段を降りてくると、父親への挨拶もそこそこに、食卓の自分の席に座って、

「ご~は~ん~っっ! いつもの三倍ねっ。遅れちゃうから早く早くっ」

と、テーブルの上の食器を叩き始めた。

 夕べのぐったりした様子とのあまりの差にあっけにとられたヴォルフだったが、一応心配しておそるおそる息子に尋ねてみる。

「……エミール、その…体はもう大丈夫なのかい?」

「大丈夫なワケないじゃんっっ。もう体中ギシギシいってるし、筋肉痛も足のマメも痛いしダルいしサイッテーだよもうっっっ!」

 運ばれてきたスープの中の野菜を、苛立ちまぎれにフォークでぐっさりと刺してかき込んでいる。激しい運動をした翌日にしては、よくまあそんな食欲があるものだと感心していたら、

「気持ち悪いし吐き気するけど、食べとかないと今日一日絶っ対もたないもん。あ、お弁当も二人分にしておいてね」

だそうだ。

 とりあえずは元気そうに見える息子に一安心の父親だったが、昨夜の様子はやはり気にかかる。いったいどんな訓練内容だったのか、朝食を共にしながらエミールの話を聞いていたヴォルフの顔色が、次第に青ざめていった。

 一時間以上の長距離走のあと、同じ路程(コース)を同じ速度(ペース)で、こんどは小銃を両手で真上に(かか)げ持って走らされた。兵士に対する体力強化訓練の定番ではあるが、それだけ体に対する負荷も大きいということだ。持たされた銃は軽めのものではあったらしいが、それでも普通の神経の持ち主なら、決して子どもに要求する内容ではない。

「ぼく走りながら吐いたのなんて初めてだよぉっ。もう死ぬかと思ったぁーっっっ」

 苦しげに、横を向いて吐きながら走ってくるエミールを見ても、アルトマイヤーは表情を変えることはしなかった。ただ一言、「どうする? ここで中止するか」と足踏みを止めないまま尋ねただけだ。

 エミールは肩先で胃液を(ぬぐ)うと、「大丈夫です!」と半ばヤケになって答え、アルトマイヤーを追い越すように走り出した。教官は何も言わず、再び教え子の前へ出ると、終点の倉庫前まで速度を落とすことなく走り続けた。

 その後短い休憩を経て、今度は装備と銃を背負って三時間の雪中行軍をさせられた。

 はじめ、通常の装備をエミールに背負わせたアルトマイヤーだった。しかし、なんといっても年齢以上に小柄なエミールである。装備に背負われているような外見には、さすがの彼も溜息をつき、エミールの装備の中身の一部を自分のものに移し替えて、雪の中へと踏み入っていったという。


 エミールが朝食を(むさぼ)りながら昨日の訓練初日の内容を語り終える頃には、ヴォルフの顔にははっきりと怒気が浮かんでいた。いくらなんでもやり過ぎである。

 確かに息子は運動能力にかけてはその辺の士官学校生にも負けないものを持っている。しかし体はまだ十一歳の子どもなのだ。筋力や心肺機能は、体格に応じて自ずから限界がある。限界以上の負荷を掛ければ、怪我だけで済まないかも知れない。

 それにたとえエミールが現役の大人の兵士だったとしても、半日でこなす訓練の量としては多すぎだ。特殊部隊の入隊試験でもあるまいに、まるで振り落とすことが目的であるかとさえ感じられる。

 もう親馬鹿などという次元の問題ではないと判断したヴォルフは、今日エミールと共にアルトマイヤーの所へ行ってその真意を(ただ)そうと決意を固めた。

 ところが紅茶でパンを流し込むように食べ終えた息子は、父親以上に(いか)っていた。その理由をデザートの林檎に勢いよくフォークを突き刺して叫ぶ。

「でっ、あのひと、ぼくとおんなじことやっといて、汗一つかかず息も乱さずにけろっとしてんだよぉ~っっ! 絶対化け物だよ化け物っっっ!」


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