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 晩春の演習場に、銃声が響き続けている。


 銃を構え、きびきびと障害物に隠れながら標的を狙うのは、ほんの子どもと言っていい年齢の少年だ。未だあどけない顔立ちの中で、大きな水色の瞳が真剣な光を放っている。

遮蔽(しゃへい)物から飛び出すタイミングが早い。もう一度」

「はい、アルトマイヤー教官っ」

 教官と呼ばれた長身の男は、少し離れた場所に立ち、彼の小さな教え子に鋭い視線を向けている。

「まだだ、メルダース君。もう一度」

「はいっ」

 何度も同じ動作を繰り返す。少年の顔には玉の汗が浮かび、その素早い動きにつれて(しずく)となって飛び散っている。

 しばらくして男が訓練時間の終了を告げた。

「今日はこれまでとする。警護官としての訓練もあと三日だ。だがそれまでに一つでも課題を落としたらその時点で即、訓練は中止。警護官就任は諦めてもらう」

「はい、承知しています。教官」

 少年は、男を見上げて敬礼した。

 男も、無言で返礼する。去って行く男に、少年は元気な声をかけた。

「ありがとうございました!」

 敬礼したまま男を見送る少年の額には、厳しい訓練に耐えてきた誇らしげな汗が、春の陽光に反射して輝いていた。


 話は、四ヶ月前の真冬の午後に遡る。



   一



「いやぁ、さすが国一番の菓子職人! この焼き菓子は絶品でございますね」

 いかにも幸せそうに、口いっぱいに菓子を頬張る青年を満足げに見届けると、ライヒヴァイン国王エアハルトは、自らも程よく焼き色の付いた菓子を一つ口にした。

 このところ貴族の間でも評判だった職人を、王家専属として城の厨房に雇い入れたのはつい先日のことだ。甘味をこよなく愛する年若い友人がどのような評価をつけるのか、非常に楽しみにしていたところだが、想像以上に受けたらしい。まるで(かたき)のように、嬉々として皿に盛った各種の菓子を片付けていく。

「これ、ヴォルフ。そのように()かずともまだ代わりはいくらでもあるぞ」

 国王にファーストネームを呼ばれた淡い茶の髪の青年は、苦笑混じりの忠告に、紅茶で口を潤すと満面の笑みを見せた。

「これは陛下の御前(おんまえ)で失礼を致しました。あまりの美味につい我を忘れてしまいまして、お恥ずかしい限りでございます」

 優雅な仕草で軽く頭を下げる、と、今度はおどけた様子で空になった皿を指さす。

「……ではお言葉に甘えまして、あの焼き菓子をもうひとつ」

 相変わらずの青年の茶目っ気に、国王は愉快そうに笑った。

 


 ライヒヴァインの王宮は、王国の首都ヘルツォーゲンベルグのほぼ中央に位置する小高い丘の上に、堂々とそびえ立ち、見るものを圧倒する。幾重もの城壁に囲まれた広さ、本宮の大きさもさることながら、その全貌の華麗な造形や、種々の装飾の細緻な美しさは、大陸一と豪語してもけして大袈裟ではない。

 城壁の中に、本宮とは別に数々の離宮が点在している。そのひとつの中のこぢんまりとした部屋に、国王と青年の姿があった。

 花の季節になれば、離宮を囲む丹誠込めて手入れされた庭園が、(あるじ)と客人を楽しませるのであろうが、今、窓の外は一面の雪景色だ。一年で一番外気温の下がる時期。大きな暖炉が午後のお茶の時間を楽しむことができるまでに部屋を暖めてくれている。

 国王が菓子のお代わりを女官に申しつけた。女官が出ていくと、部屋の中は国王と青年の二人きりになる。国王は茶器をテーブルに置くと、目の前で菓子をつまむ青年を見据えた。

 すこしくせのある淡い茶の髪と、若く精悍な風貌。それほど大柄ではないが、鍛えられ引き締まったその体を上級将校の制服に包んでいる。女子供のように甘味に目を輝かせ、道化た仕草をみせるその振る舞いからは想像もつかないが 最年少で王国軍幕僚本部参謀府入りし、現在の肩書きは参謀長付き参謀、階級は准将である。国の内外を問わず知らぬもののない、代々続く名門軍人一族であるメルダース家、その現当主がこの青年、ヴォルフであった。

 国王の視線に気付いたヴォルフは、自らも飲み干した茶器を置いた。そして悪戯(いたずら)を相談する子供のように片手を口の横に当て、声をひそめて主君に尋ねる。

「……愚考いたしますところ、陛下におかれましては、本日この私めにお振る舞いくださるのは、どうやら評判の菓子のみではありませぬようで……」

 どう話を切り出そうかと思案していたところをいきなり突かれ、国王は一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐにふう、と大きく一息つくと、青年に苦笑してみせた。

「……全く、お前には敵軍の将のみならず、自国の王の心の内も手のひらで転がすがごとく読めておるようだな」

「ご無礼をお許し下さい。けしてそのような不遜(ふそん)な真似を致すつもりはございません、ですが……」

 青年は、人懐こい笑顔を長年の『甘味好きの茶飲み友達』に向ける。が、その水色の瞳は笑ってはいない。

「今日の陛下のご様子が、いつものようにただの『茶飲み話』をご所望とは思えませんでしたのでね」

「……それほど態度に出ておったか?」

 国王も素直に答える。臣下で、しかも二十近く年下ではあるが、青年は国王の気の置けない数少ない友人の一人だった。

 そして、真剣な顔を見せたのも束の間、青年は両手を広げ肩をすくめて言った。

「それはもう。今日は陛下がいまだ菓子をひと皿も空にしておられませんゆえ」

 国王は深刻な胸の内をひととき忘れ、声を上げて笑った。

「それは抜かった。せめてこの皿を片付けるべきであったかな」



 やがて菓子とお茶のお代わりを運んできた女官に、国王は下がるよう命じた。

 部屋はふたたび国王と青年の二人きりとなった。それでも国王は、なかなか口を開こうとはしない。今にも雪の落ちてきそうな、低く暗い曇り空を見つめながら、沈黙を保っている。ヴォルフはといえば、重苦しい静けさを意に介する様子もなく、新しく運ばれてきた紅茶に口を付けた。かちゃりとカップが皿に戻される、僅かな音に意を決したように、国王は、今日彼を呼び出した本来の目的を話し始めた。

「息子の……、キーファの事なのだが……」

「キーファ殿下、でございますか。そういえば王宮に入られてそろそろひと月になられますが、お(すこ)やかにお過ごしでございましょうか?」

「健やかも何も、あの元気の固まりはまるで嵐のようだわ」

 国王の表情が自然と(ゆる)む。新しく王宮の住人となった息子のやんちゃぶりに困りつつも、可愛くてしようがない、といった風情だ。

「何と言っても、生まれてこの方、片田舎の、家柄は貴族とはいえ下々の民に近い暮らしをさせてきたのだからな。いきなり王宮(ここ)の暮らしに馴染(なじ)めと言うても、無理だということは重々承知してはおるが……」

 王子キーファの母は、ライヒヴァインの属国で大陸の南の山間にある小さな国アンゼルムの王女である。国王と正式な結婚はしていないため、キーファは庶子として長らく世間にその存在を知られることもなく、アンゼルムの地方貴族の養親の元で、伸びやかに育てられていた。

 国王は現在までに三人の王妃を持ち、多くの子をもうけていたが、何故か男子に恵まれなかった。二番目の王妃との間に生まれた長男は幼くして病死し、三番目に迎えた王妃との間に生まれた次男は、二年前に留学先の地で十六歳の若さで事故に遭い、命を落としていた。

 本来なら男子であっても庶出のキーファを、王子として正式に王宮へ迎え入れることなど先例もなく、許されないことでもある。黒髪に白いものが多く混じりだしたとはいえ、国王はまだ五十を過ぎたばかり。けして次の王子の誕生を望めない年齢ではない。

 だがあえて国王は周囲の反対を押し切り、我が子を王子として、それも第一王位継承権者として迎え入れたのだった。それがちょうどひと月前のことである。

「……確か、御年(おんとし)十一になられましたか。まだまだ遊びたい盛りでございますれば」

 いきなり養親の元から引き離され、王家のしきたりや作法のみでなく、ゆくゆくは王となる者として政治・経済をはじめ、帝王学なども学ばされることとなってしまった。それまで身分の上下もそれほど気にすることもないような田舎で、友達と暗くなるまで遊び回っていた少年には、大変な苦痛であろう。ヴォルフは微笑で、王子への同情を示した。

 ふと彼は、自らの台詞に気付くところがあり、国王に問うた。

「十一といえば、やはり今年の九月には『学園』へご入学、ということになりましょうか」

「……それよ……」

 国王は深く溜息をついた。


 今を遡ること三百余年前、大陸全土に圧政を敷いていた大マイスベルグ帝国に人々は反旗を(ひるがえ)し、長い戦いの末自由と平和を勝ち取った。反帝国の戦の中心となり、これから新しい国々を築いていく指導者たちは、大陸北部の山間(やまあい)にあったゲルトルーデ修道院に集い、大陸の平和と国々の友好が永遠に続くことを誓った。修道院の名にちなみ、後に『ゲルトルーデの盟約』と呼ばれるものである。

 そして、盟約の理念を学び、また実践する場として、各国の指導者たちの子弟のための学校をその修道院を元に設立した。現在では小さな都市にも匹敵する規模の広大な敷地に、学舎や寮などの様々な施設が備わり、すべての国の王族や一定以上の地位を持つ貴族の男子は、十二歳から十八歳までの七年間をこの学校に集い、共に学び過ごすことで友誼を深めるのが慣例となっている。単に『学園』といえば、このゲルトルーデの全寮制の男子校を指す。


 当のキーファ王子も慣例に従い、夏の終わりには『学園』へ留学することになるが、このことが国王の心痛の原因であるという。

 ヴォルフは苦悩の表情を浮かべる主君に、ことさら明るく語ってみせた。

「確かに、いきなり王族や貴族の子弟ばかりの集団に囲まれることになりますれば、堅苦しいことのお好きでない殿下には、いささか気(うつ)でございましょう。しかし、臣の身には出過ぎたことと承知で申し上げれば、殿下のご気性は明朗快活。堅苦しいことが苦手とおっしゃりながらも、場をわきまえ振る舞うことのお出来になる、賢きお方とお見受けいたしました。『学園』にお入りになっても、すぐに馴染まれ人付き合いも上手くこなされるのではありませんか?」

 友人としての奇譚(きたん)のない愛息の評価に、国王は少しだけ頬を緩めた。が、すぐに暗い影に包まれる。王子の留学に心配の種は尽きないが、この信頼できる相談相手にしか頼めない、最も重要な懸案があった。

「実はな、ヴォルフよ。お前に王子の警護官の推薦を頼みたいのだ」

「……警護官の、推薦……でございますか?」

 国王の突然の依頼に、ヴォルフは正直驚いた。


 建学の精神にのっとり、『学園』内では王族、貴族など身分の上下の差はなく、学生は皆平等に取り扱われることとなっている。当然、寮付きの使用人はいるが、身の回りの最低限のことは自分でやらなければならない。しかし、暗黙の慣例として、ライヒヴァイン王国、そしてライヒヴァインと大陸で支配力を二分するクールマルク王国の王太子のみには、侍従を兼ねた警護官を寮の同室に配置できるようになっていた。大国の特権という奴だ。

 しかし、キーファ王子の警護官は、もうすでに内定したはずだ。とある侯爵家の次男で、現在士官学校の二年生だと聞いている。それをいまさら何故国王が自分に新たに人選を求めるのか。ヴォルフの率直な問いに、国王もまた、その候補の少年を警護官とすることに対しての、複雑な心情を包み隠さず吐露した。



 国王の告白が終わり、また重苦しい沈黙がしばらく部屋を支配する。

 目の前で深く苦悩する、主君であり、また大切な友である国王をしばらくじっと見つめていたヴォルフは、ある決断をした。

 国王に向き直り、多少芝居がかった口調でその名を呼ぶ。

「陛下」

 そして額に手を当てて眉間にしわを寄せ、わざとらしく苦しげに台詞を絞り出す。

「……このヴォルフ、これだけは申し上げたくはございませんでした。ですが……」

「何だ、言うてみよ」

 国王の方も、青年が何か妙案を思いついた、と気付いたらしい。体を乗り出して話の続きを(うなが)した。

 国王と息のかかる距離で顔をつきあわせた青年は、一瞬ににこりと笑う、と椅子から立ち上がり、国王の(かたわ)らにひざまずくと、深く一礼して言った。

「はなはだ僭越(せんえつ)ではございますが、殿下の警護のお役目、我が愚息エミールにお任せいただけませんでしょうか?」


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