卒業パーティで自白剤テロをしてしまった結果
今日はトルテ・リシャール伯爵令嬢が通う王立学園で開かれる卒業パーティの日。
この学園には貴族だけでなく一定の成績を修めた庶民も通えるため、パーティと銘打たれてはいるものの、参加者は制服だし細かいマナーにも特に言及されない。
伯爵令嬢であるトルテも例に漏れず、いつもの制服姿でパーティに参加している。
「まあ。ではトルテ様は卒業後も結婚相手を探すおつもりで?」
「私はあまりその気はないのだけれど……。でも未婚のままというのも変だし、領地に戻ればお父様が何かしらの話を進めていてもおかしくはないわ。」
友人たちと雑談に興じるトルテは、憂鬱さをにじませた表情でため息をつく。
トルテが学園に入学したのは、はっきり言ってしまえば結婚相手探しのためである。……が、結果は芳しくなかった。
リシャール伯爵家は田舎にある、なんてことはない普通の家だ。
能力を買われて役職についているとか特殊な産業で儲けているとかそういったこともなく、家を興して以来浮きも沈みもしない。
そんな地味な家と縁を結んでもメリットは少なく、トルテ自身もあまり真剣に結婚のために動かなかったため、こんな歳まで売れ残ってしまった。
学園に入学しても目ぼしい者はすでに婚約者がいるし、どこまでも普通の容姿と特に積極的でもない性格では恋愛方面から相手を捕まえることもできなかった。
鬱屈とした思いを抱えながらもころころ変わる友人たちの話に耳を傾けていたトルテ。
しかし、途中であることに気づいた彼女は友人らの輪から離れ、制服のポケットから小さめの瓶を取り出した。
「いやだわ、これ入れたままだったのなんで気づかなかったのかしら……。」
瓶いっぱいに入っているのは乳白色の液体。
これは、つい今朝方トルテが完成させた自白剤だ。
幼いころ、薬師の真似をして適当な材料を煮詰めていたら偶然できてしまった自白剤。
何も考えずに飲んでしまった当時のトルテはその後しばらく、質問されたことはすべて正直に答えてしまった。
母の口紅を使ってドレッサーに落書きをしたことまで喋ってしまい、こってり絞られたことは今でも苦い思い出になっている。
このように散々な目に遭ったトルテだったが、数年たってからレシピを再現することを思い立つ。
よく考えれば自白剤は誰も作ったことがないようだったし、開発に成功すればお金が入ってきそうだと考えたのだ。
はじめは屋敷の片隅で細々と。学園に入学してからは個人用研究室(成績優秀で素行に問題がない学生が申請すれば使える)に籠って研究に励んでいた。
努力の甲斐あって見事にレシピの再現に成功したトルテだったが、おかげでここ数日はほとんど寝ていない。
あくびを連発しながら簡単に身なりを整え、目の下のクマを隠すために化粧を念入りにしてもらい……。とやっているうちに、ポケットに突っ込んだ自白剤のことをすっかり忘れていたようだ。
この自白剤、飲ませるだけでなく気化したものを吸うだけでも効果が発揮される。
万が一瓶が割れでもしたら……。
よし、さっさと置いてこよう。
そう考えて出口へ向かうトルテだったが、その途中で足早に歩いてくる集団とすれ違った。
その時に集団の誰かと接触したトルテはバランスを崩した。
「きゃっ……!」
持っていた瓶が手から離れる。
まずい、と思う暇もなく瓶は床に向かって一直線、そしてあっけなく割れた。
「あ……。」
床に広がる液体、立ち上る甘い香り。
床に膝をついた姿勢のまま、青ざめて呆然と割れた瓶を眺めるトルテ。
そんな彼女の目の前に手が差し出された。
「トルテ嬢、大丈夫かい? 怪我はない?」
「ロラン様……。ありがとうございます。」
トルテに人の好さそうな笑みを向けているのはロラン・ハリエット伯爵令息。
派手な容姿ときらきらしい雰囲気をまとっていることが多い高位貴族の中において、彼は良くも悪くも普通だ。
明るい茶色の髪も灰色の瞳もこの国ではよくある色だし、顔も整ってはいるけど人目を引くようなものでもない。
親しみやすくて下位貴族や平民とも関係を築いている一方、地味だの華がないだのと裏で言われることもある。
ロランとは研究のために立ち寄った図書室で何度も偶然に会い、それが縁で友人と呼べるような関係になっていた。
彼の何気ない一言や勧めてくれた本のおかげで研究が進んだことも何度かあり、トルテはひそかに感謝している。
そんな彼の手を半ば無意識で取って立ち上がったトルテはふと我に返った。
「って、それどころじゃないんです! 早くあれを掃除しないと……。」
「エルミーナ・ティリアス侯爵令嬢! お前はここにいるアリス・クラーガ男爵令嬢を妬んでいじめに走り、最終的に暴漢に襲わせて亡き者にしようと企んだな! よって婚約を破棄し、アリスと婚約しなおすことを宣言する!」
「……え?」
直後、真後ろから発せられた言葉の衝撃に、トルテの焦りはすべて吹き飛ばされてしまった。
どうやら先ほどぶつかった集団は王太子御一行だったらしい。
そんな集団の真ん中では先ほど言葉を発したこの国の王太子デュロスが、婚約者であるはずのエルミーナを睨みつけている。
そんな彼の背後には不安そうな顔をした少女が佇んでいる。たぶん彼女がアリスなのだろう。
そのほかにも宰相の子息や騎士団長の子息といった王太子の側近候補が周りを取り囲んで、同じようにエルミーナに厳しい視線を送っていた。
エルミーナは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに持ち直して彼らに向き直った。
「殿下。私はそのようなことをしておりません。どなたかとお間違えではないですか?」
「ふん、あくまでしらばっくれるというのだな。往生際の悪い女だ。」
「そこまで仰るということは、証拠がおありなのですか?」
「アリスが事あるごとに私に訴えてきたのだ。」
エルミーナが呆れた様子で首を振る。
「一人の証言だけでは証拠とは呼べません。証言も物的証拠も、もっとたくさん集めなくては信用に値するものではないのですよ。」
「屁理屈を言うな! 当事者のアリスの訴えだぞ!」
トルテは目の前で起きたことが信じられないでいた。
確かに最近の殿下は男爵令嬢にうつつを抜かしているという噂を聞いたことがあった。
彼女をまるで婚約者かのように扱い、それを諫めた側近候補たちを遠ざけ、見かねた国王陛下の苦言も聞き流すような態度をとっているという。
確かにアリスと親しそうな殿下はたびたび目撃していたものの、仮にも王太子に選出された者がそんな馬鹿な、と話半分に聞いていたトルテ。
だがこの状況を見るにどうやら噂は本当だったようだ。
どうしてこうなった。
そんなことを考えている間にも目の前の断罪劇は進んでいく。
「どうしても認めないというのだな。それなら……アリス。つらいとは思うが、この学園生活で何があったかを皆に聞かせてやってくれ。」
「はい。」
デュロスの後ろに隠れていたアリスが進み出た。
少し緊張した様子であたりを見回し、声が通るように息を吸い込んで……。
「私は……。いじめられたと嘘をついてエルミーナ様を婚約者の座から追い出そうとしました。」
「え?」
本日二度目の衝撃の言葉を発した。
ざわつく会場。王太子一行も、アリスも、エルミーナも、もちろんトルテたちもみんな驚いた顔をしている。
「え、うそ。私こんなこと言うつもりじゃ……。」
口を押さえて狼狽するアリス。そこでトルテはピンときた。
これ、自白剤が効いているのでは……。
そうとは知らないデュロスが戸惑った様子で話しかけた。
「あ、アリス? こんな場面で冗談を言わなくていいんだぞ?」
「冗談じゃないです! 殿下への訴えは全部嘘だったんです!」
「な、なんだと……? だとしたらなぜそのようなことを?」
「だって、王妃になったら贅沢な生活ができるじゃないですか。それにみんなが頭を下げてくれるし。だから邪魔なエルミーナ様を排除しようと思って。」
やっぱり、完全に自白剤の影響だこれ。
飲まされたわけではないので効果時間は短いはずだが、この騒動に一区切りがつくまでくらいなら十分持つはずだ。
今すぐ割って入って止めたほうがいいというのは頭では理解しているが、上位者ばかりいる上に周りからの注目を浴びまくり、ものすごい空気になっているあの場に飛び込む勇気はどうしても出てこなかった。
結果、トルテは立ち上がって振り返った姿勢のまま、震えて気配を消すだけにとどまっている。
一方のアリスは戸惑った顔で口を閉じようとするが、それに反して質問への答えが淀みなく出てくる。
ざわつきが一段と大きくなったところで何とか復活したエルミーナが咳払いをした。
「ええっと、それではアリス様。あなたは王妃という贅沢し放題な地位が欲しくて私を陥れようとしましたのね?」
「はい。」
「そしてあなたが殿下に訴えたことは全て嘘。」
「はい。教科書は自分で破いたり汚したりしましたし、怪我もしてないけど包帯を巻いたり自分で痕を付けました。」
「そう……。でも王妃というのはただ贅沢して笑っていればいいというものではありませんのよ?
あらゆる面で陛下をお支えするために、地理も文化も歴史もマナーも、完璧なものが求められるのはご存じ? それらのために、普通の令嬢の何倍も勉強と練習をしないといけませんのよ?」
「ええっ、そんなの知らないです! 他の人がやってくれたりしないんですか!?」
王妃の仕事を舐め腐っているとしか思えない発言に、初めてエルミーナが気分を損ねた様子で眉を寄せたが、今は事情を聞き出すほうが先だと思いなおしたらしい。
数秒目を瞑った後は、再びいつもの表情に戻った。
「しません。王妃でなければできないことですので。
……アリス様は愛する殿下のためにそれらも頑張るつもりだと思っていたのですが、違うのですか?」
「殿下のことは愛していません。顔はいいけど自慢ばかりで話しても面白くないし、気が利かなくて自分のことを優先するし。」
「なっ……!」
今日一番のショックを受けたという表情のデュロス。
エルミーナも少しだけ眉を上げたが、ある程度は想定していた答えなのか黙って首を振った。
そんなデュロスの隣ではアリスがなおも勝手にしゃべりだす口をどうにかしようと口をふさいでいる。
とはいえ、質問が投げかけられればアリスは自分の意思とは関係なく手を外して発言してしまうのだが。
「アリス! 私を愛しているといったのは嘘だったというのか!?」
「嘘です。うちじゃ買えない宝石とかドレスをプレゼントしてくれるし、王妃になったら贅沢できるので付き合っていました。」
「そ、そんな……。」
ますます混迷を極めるパーティ会場。
そんなわけのわからない状況の中、エルミーナがため息をつく。
「私に自信満々に『愛のない結婚なんてかわいそう』と言っていたのにこの状態とは……。あなたの愛はどこへ行ったのかしらね?」
「愛ならあります! 私の周りには愛してくれる人がいます!」
「あら、愛は外で補ってくるというわけですのね。ちなみにどなた?」
その質問を聞くなり、騎士団長子息と宰相子息が一歩踏み出した。
「「俺です!」」
会場がまたもや凍り付いた。
「お、お前たち……。」
呆然とするデュロスの前で、二人もまた驚いた様子で顔を見合わせる。
やはり二人には言うつもりがなかったのか戸惑っているようだったが、アリス同様勝手に言葉が出てくる。
「な、なんだと!? アリスには『デュロス様にはああ言ってるけど本当に愛しているのはあなただけ』って夜中に迫られて……。」
「お、俺だって『結婚してしまう前にあなたのものになりたい』って俺の前で服を……。」
「はあ!?」
どうやらアリスはなかなか強かな女性だったらしい。
というか、不貞がこの場でばれなかったとしても殿下の種ではなさそうな子供が生まれたらどうしたのだろうか。
案外、何も考えていなかったのかもしれないが。
言い合う側近二人とショックで呆然とするデュロス、「なんで嘘がつけないの?」と青い顔で呟くアリス、あまりの事態に頭を押さえながらも教師を呼んで今後の対応を協議するエルミーナ。
これ、夢だったってことにならないかな……。
そんな感じで現実逃避を始めたトルテの横から戸惑い気味のロランの声がした。
「えーっと……。これ一体どうなってるのかな?」
ロランにしてみれば『わからない』という返答を期待しての質問だったのだろう。
しかし、自白剤をしっかり吸い込んでいたトルテは真実を答え始めた。
「私が落とした自白剤を吸い込んでああなったのだと思います。」
「自白剤? なんでそんなものがここに?」
「私がつい先ほど開発したんです。うっかり持ってきてしまったので戻しに行こうと思ってたのですが、その前に殿下たちに接触して瓶が割れてしまって……。」
戸惑い気味に、ロランが床に落ちた瓶の残骸と殿下御一行を交互に見る。
それからトルテに視線を戻して、真剣な顔で声のトーンを落とした。
「それ、本気で言ってる? 信じていいんだよね?」
「はい。すべて真実です。」
言ってしまった。トルテは青ざめて震える。
たとえ故意でなかったとしても、結果的に害のないものだったとしても。
無断で王太子殿下に薬を盛ったなんてことが発覚すれば極刑は免れない。
ああ、お父様、お母様、家を継ぐ予定だった弟のベルナード、それに使用人や領民の皆様。
リシャール伯爵家は今日で終わりかもしれません。
軽い気持ちで開発した薬がとんでもないことになってしまいました。
今は自分の軽率さを恨むばかりです。
すべて独断でやったことで家族は関係ないと訴えるつもりですが、どうなるかは正直分かりません。
先立つ不孝をお許しください。
そんなことを考えていると、不意にロランがトルテの両手を握った。
「あ、あの。いったい何を……?」
「大丈夫、僕は君を保護するつもりだから。罪には問わせないよ。」
「保護……?」
突然のことで心の中に疑問符が飛び交うトルテにロランが微笑む。
「だって君は、この国が把握している限りは世界で唯一の自白剤の作り方を知る人間なんだ。
ここで罪に問うより保護したほうがいいと説明すればわかってもらえるはずだよ。」
「あの、それは大変ありがたいのですが、なぜそこまでしてくださるのですか?」
絶望的な状況に差し込んだ一筋の希望に今すぐにでも縋りつきたい気分だったが、何分唐突すぎる。
それにロランがこんな面倒そうな事案に首を突っ込む理由もわからなくてトルテは首を傾げた。
「それは君を好きだからだよ。」
「えっ?」
「あ……。」
突然の告白にトルテは目を白黒させた。
どう返せばいいのかわからなくてロランを見たが、ロランのほうも目に見えて狼狽している。
いつもの人の好さそうな笑みも消え、顔を赤くして慌てているのを見たトルテはぴんときた。
また自白剤が仕事してる……。
「あ、あの、いつから……?」
「入学してしばらくしてからだよ。いつも前向きで、家族思いで、笑った時の顔がかわいくて、そこから目が離せなくなって……。」
「あわわ……。わ、私にそこまで好きになってもらえる要素なんてないような……。」
「あるんだよ。というか、こんなにかわいいのに見向きもしない他の男たちは見る目がなさすぎる。
まあ、そのおかげで僕を好きになってもらえるチャンスができたからそこはよかったけど。」
「ええっ!? じゃ、じゃあもしかしてゆくゆくは結婚なんかも考えていらっしゃったり……?」
「あたりまえじゃないか。父上には自白剤のためって説明するけど僕は君が好きだから結婚するんだよ。」
半分混乱しながらも質問すれば、ロランの口からは勝手に愛の言葉が溢れてくる。
ロランの慌てぶり以上にトルテのほうが容量を超えそうになって、お互いに気まずい沈黙が流れた。
そんな時間を数秒過ごして、ロランが意を決したように跪く。
「それで、あの……。もうこの際だから言っちゃうけど、僕は君と結婚したい。
でも心配しないで。断ったとしても君が罪に問われないようにはするつもりだから。」
顔を真っ赤にしながらも真剣な様子に、トルテは思わずくすりと笑った。
いかにも人畜無害な感じのロランにこんな一面があることは知らなかったが、なぜか悪い気はしない。
それに、仮に断ったら自分の結婚が決まっていないことも含めていろいろややこしくなりそうな気もする。
「ロラン様が私のことを本気で好きなのはよくわかりました。私はロラン様の気持ちを知ったばかりなので同じ気持ちを返せるかはわかりませんが……。その、よろしくお願いいたします。」
ロランの表情がパッと明るくなって、それから情けない表情になる。
「プロポーズくらいはかっこよく決めたかったのに、締まらないなあ。」
その後ろでは教師たちがひとまずのパーティの解散を宣言していて、ひっそり一組のカップルが成立したことは誰にも気づかれることはなかった。
――――――――――
あれから数年……。
あの衝撃の卒業パーティの後、改めて関係者たちの調査がされ……といっても大方はすでに調査済みのようだったが、アリスの宣言したことが本当のことであると証明された。
アリスたちが急に罪を告白しだしたことについては、直前になって自分のしでかしたことが恐ろしくなった結果の行動だということになっている。
デュロス王子は婚約を破棄したうえで王太子の座を降ろされた。
個人的な理由で伴侶の交代を目論み、諫言してくる臣下を遠ざけるようでは国王を任せることなどできない、という理由だった。
ちなみに現在の彼は病気で臥せっており、表には出てきていない。そういうことになっている。
代わりに第二王子が王太子を務めることになった。もともとデュロス王子と能力的にはそれほど差がなかったようで、順調に引き継ぎや教育も進んでいるらしい。
側近候補の二人もそれぞれの婚約者から婚約を破棄され、跡取りの座から降ろされた。
家から放遂されたところまでは確実だが、その後は野垂れ死んだだの、どこぞの騎士団に入って活躍しただの、噂が入り混じってよくわからない。
エルミーナはあの場では気丈にふるまっていたものの、やはりショックではあったらしく数か月の間公に姿を現さなかった。
そして、その間に新たに王太子となった第二王子殿下に嫁ぐことになった。
彼女の王妃としての資質は十分で教育も順調だったため、収まるべきところに収まった感じだ。
多少歳は離れているが、二人の関係は案外悪くないらしい。
アリスは動機や手口が徹底的に洗い出されたのち、刑を決めるまでの期間の間に亡くなった。
他国の密偵や人の心を操る術の存在を疑われたものの、彼女はただの男爵令嬢で、デュロス王子を落としたのも純粋に彼女の手練手管ということだった。
実家の男爵家も取り潰しになったが、トルテはアリスの獄中死に作為的な何かを感じて仕方ない。
もしかしたら、王太子と関わる間に普通の貴族令嬢が知ってはいけない何かを知ってしまったのかもしれない……。
王家怖い。
そしてトルテはあの後、ロランの言う通り薬の件をなかったことにする代わりにハリエット伯爵家に嫁ぐことになった。
この世にまたとない貴重な薬の作り手と、王太子失格の烙印を押された王子。天秤にかけた結果、貴重な薬のほうが優先されたようだ。
幸いにも真実を知るのがトルテとロラン、あとは報告を受けた国王や重臣たちだけだったので、当事者たちが黙っているだけで解決するのは助かった。
家族にはなぜハリエット伯爵家との婚姻が持ち上がったのか大いに不思議がられたが、本当のことを言うわけにはいかなかったので、ロランが食事も喉を通らないほどトルテを愛してしまったということで押し切った。
まあ嘘はついていない。
で、二人はめでたく結婚する運びとなったのだが……。
「まさかこの家の当主が「王の影」を統括する立場だったなんて……。」
「ごめんね。これだけは陛下と王妃様、あとは当主を継ぐ人間とその伴侶だけしか知ってはいけない決まりだったから。」
無事に結婚式を済ませ、初夜に挑む二人の寝室でトルテはカミングアウトを受けていた。
王の影とは、国王直属の隠密部隊だ。
諜報や暗殺といった仕事を請け負うその存在は、貴族たちの間では半ば都市伝説のように語られている。
裕福な貴族家が似たような組織を持っている場合もあるようだが。
とにかく、吹けば飛ぶような田舎伯爵令嬢には一生縁がない組織だと思っていたのに、妙なところで関わりができたものである。
ちなみに、トルテが自白剤の研究をしていることも途中から把握されていたらしい。
たまにロランが的確なアドバイスをしてくると思っていたけど、それもトルテの研究内容を把握しているが故のことだったようだ。
しかも、もし自白剤を悪用するそぶりがあるなら情報を吐かせたうえで消す選択肢もあったという。
やっぱり王家怖い。
「どうやってこの家で私を保護するって説得したのか不思議だったけど、そういうことだったのね。」
「自白剤に一番お世話になるのはうちだろうし、ここの警備は王城と同じくらいに厳重だからね。」
トルテの隣でベッドに腰かけてにっこり笑うロランを上から下まで観察する。
これを聞いた今になっても、こんな優しそうな普通の人が将来は諜報部隊の頭領なんて到底信じられない。
なんだったら、ガラの悪い人に絡まれれば即行でお金を差し出しそうな見た目だ。
「あっ、今僕のこと弱そうって思ったでしょ。こう見えて鍛えてるんだからね。」
「お、思ってません!」
「トルテって嘘をつくときは一瞬目が泳ぐんだよね。」
「うっ……。そこまでわかっちゃうなら自白剤いらない気が……。」
「ははは、世界中の人間がトルテくらいにわかりやすければそうなんだけどねえ。」
「うむう……。」
地味に失礼なことを言われてむくれていると、頬にロランの手が添えられた。
顔を上げると潤んだ眼のロランと視線が合う。
「でもほっとしたよ。これを聞いて怖がられるんじゃないかってちょっと思ってた。」
「あら、どんな立場でもロランはロランでしょう? それにほら、ロランがどれだけ私のことを好きなのかはあの一件で思い知ったから。怖いとは思わないわ。」
はっきり頷いて見せると、ロランは安心した様子で息を吐いて「そっか。」と呟いた。
「愛してるよ、トルテ。これまでも、これからも。ずっと。」
「私もよ。い、いつでも受け止めてあげるから。女は度胸!」
「逆じゃないかなあ。」
くすりとわらったロランの手が後頭部に回され、トルテは目を瞑った。
後年、ハリエット伯爵を継いだロランは、愛妻家として地味に名をはせたという。