魔物使いと竜の谷 承章2
承章 2
案の定、アイーシャが玉を持つことにエディの反対はなかった。むしろそれが当たり前かのように渡すよう要求すらもなかった。
だらだらぐるぐる続く塔の坂を下りて半ば目を回しつつ荒れた道を歩いていると、珍しくシュリが威嚇音を発した。低く呼気を吐き出すのに、アイーシャは素早くエディを背後に庇って外套の前を払った。
「……」
ゆっくり剣を抜きそっと地面に触れ、マッキスに警戒を促す。頭上近くにシュリが降りてきた。普通の賊ではないのだとはシュリの反応でわかっていた。言葉ではなく伝えたのは、それだけ警戒しているということだ。相手が人間ならばなんてことはない。やられない自負もあればマッキスもいる。だが、人間でない場合にはそうもいっていられない。
「アイーシャ?」
エディがアイーシャの様子に眉を寄せる。これまでと明らかに様子の違う一人と一匹に、自然エディも警戒を強めた。変に不安がられることもなく、じたばたする様子もない点はありがたいことだ。
シュリが上を見上げた――刹那、アイーシャはエディを突き飛ばして自分もその場から飛び退く。僅かな砂煙があがり、たった今立っていた場所に小さな穴が開いていた。
何か、と思うよりも早く身体が反応していた。双剣で叩き落としたのは鮮やかな色彩の羽のようだった。さらに飛来するそれを払いのけ、地面を蹴る。すると転がったアイーシャを追うようにして地面に穴が開いていった。
「――」
狙いはエディではないようだった。躱すことで開いたエディとの距離。だが攻撃は続けてアイーシャにだけ向けられている。もしかしたらエディを密かに護衛しているマッキスの気配を感じているのだろうか。
防戦一方というのは気にいらない。転がった先で土を掴むと派手に投げ上げた。そのうちのいくつかの礫が命中したのか、空中に突如派手な姿が浮かび上がる。
やっと姿を捕らえた。すかさず跳躍するとその派手なものを蹴り落とす。視界に色鮮やかな煌き、風に靡きつつ尾を引くようにして流れるエメラルドグリーン、錦の鶏冠と青く鮮やかな羽毛。地面に落下したのは明らかに人ではないものだった。
「魔物」
「人間のくせに、生意気!」
押さえつけようとしたところを羽ばたきによる風圧が妨げた。その隙に妖鳥が再び空中へと舞い上がる。
空へ逃げられては相手にできない。それを理解しているシュリがアイーシャの元へ舞い降りる。剣の一つを預け、片手でシュリに掴まると一気に妖鳥の上へと飛翔する。
「このくそ鳥! 飛べるからっていい気になるんじゃないわよ」
ポーチから緑色の玉を投げつける。これは樹脂を練り固めたもので、飛行するような敵にぶつけると、粘ついてその能力を奪う効果があった。
ひとつは外れたがひとつは青い羽毛を掠めた。ややよろけた妖鳥は舌打ちをしたようだ。鮮やかな赤い瞳を閃かすと、顔を振る。口から空気の爆弾がいくつも発射された。
掴まったままでは避けることはできない。一瞬シュリへ視線を投げ、アイーシャは手を離した。シュリもその辺は承知していて素早く剣を返す。
着地を狙われないようシュリが妖鳥の周囲を飛び回る。が、着地に襲い掛かったのは妖鳥ではなかった。
「――っ!」
咄嗟にアイーシャが剣を構えた。それは本能だった。間髪入れずにとんでもなく重い衝撃があった。なんとか凌ぐもすぐにその足元を払われる。
これは人間の攻撃だった。銀色の閃きが迫る。
地面に横倒しになったところへ切っ先が降ってくる。下から撥ね上げて弾くと、すぐに身を捻り身体を起こす。だが、完全に姿勢を整える前に再び斬撃が襲った。
「くっ!」
双剣の一方でかろうじて止める。最初の一撃で既に腕には痺れがあった。そこへ一本で受けたためにさらに痺れが走る。奥歯を食いしばり、身体を回転させると剣を乱舞させた。
「うおっ!」
目深にフードをかぶっているために顔は見えないが、声で相手が男だと言うのはわかった。だからといって何も喜ばしくはないが、ひとつはっきりした。魔物と人間の組み合わせ。それは、魔物使いでしかない。
「なんで」
狙いがエディならアイーシャばかりを攻撃してくるのが解せない。アイーシャが狙いならば、それは一体どういう理由によるものか全く想像ができなかった。
ブンと唸る斬り込みを身体を反らして躱すもぎりぎりだ。幾度目か、もはや数はわからないが風を生む剛剣が顔を掠めて過ぎた。
受け身のように見せて、男の剣には油断がない。規則性を欠いた動きはいつ攻め込まれるかわからない。必死に剣を振るい、火花を散らしながら何度も切り結ぶ。
男は相当の手練れで、これまで対戦した相手の中で迷わず一番の強敵だと言える。力と速さの攻防の様相を呈してきたが、重量級の攻撃を受けとめるたびに確実にアイーシャの速度は落ちてきていた。
一瞬の隙を突いて伸びた腕にアイーシャの膝がヒットする。殆ど偶然の反撃だったがそれが幸いしたようだ。足を上げたまま甲で剣の峰を蹴り上げると、男は剣を取り落した。
男が剣を拾おうとするのと、それを踏みつけるのとは同時だった。アイーシャは切っ先を男の目の前に突き付けた――瞬間、シュリの短い悲鳴が聞こえたような気がした。
「何ぼうっとしてるのよ、ちびすけ!」
そう言ったのは妖鳥だ。防戦一方の親友を気にしていたのだろうか。小さな身体が長い尾で飛ばされるのが見えた。地面に落下するのを目がけて鋭い羽根の刃が放たれる。
「シュリ」
魔物使いが戦闘中に使い魔の名前を呼ぶことはない。これは古くからある魔物使いのしきたりだった。逆も然りで、シュリがアイーシャの名前を呼ぶことはない。だが、この時、アイーシャは魔物使いとしてではなく友人として叫んでいた。
考えて行動したわけではない。羽刃が舞う中、気付けばシュリをその腕に抱えていた。
シュリが息を呑む。
「な、なにを――」
呆然としたような口調が途切れ、同時にアイーシャも背後に迫る気配を感じていた。血濡れた手で武器を拾うよりも早く背後の攻撃を受け止めた者がいた。
「なんだ、お前」
男の剣を弾いたのは黒い爪を構え、白い髪を靡かせた背の高い男だった。
「お前――人型」
驚くのも無理はなかった。魔物は格を上げられたからといって人型になれるわけではない。人の姿を取れるのは元々それだけ強力な能力を持っているからだ。
「ドレイク」
エディが走ってくる。
「剣を引いて。彼女は味方だ」
男が武器を収めるのを確認すると白髪の青年は素早くアイーシャの脇に膝をつく。労わるようにその肩に手をかけた。
「ありがと。でも、あたしよりシュリを」
頷いたマッキスがゆっくりとアイーシャを抱き起すとようやくシュリが這い出てきた。血濡れた鋼色の身体にさらにぽつぽつと赤い滴が落ちて流れる。
「怪我はない?」
呆然と首を振るシュリに笑顔を見せると、とりあえず頬についた血を拭ってやる。シュリの身体は猫程度だ。こんな攻撃を受けたら大変なことになってしまう。
「ア、アイーシャ……俺」
絞り出したようなシュリの声は掠れていた。大きな目が血の染みが広がる腕を凝視し、その小さな身体は震えていた。人間だったなら恐らくその顔面は蒼白なのに違いない。
「大丈夫よシュリ。大したことないわ。そんな顔しないで」
わざとぶっきらぼうに言って、硬直している頭を撫でてやる。あまりに悲壮な様子はなんだかとてつもなく悪いことをしたような気がしてしまう。痛いは痛いが、何でもないのだと装いつつ腰に下げたポーチから布を取り出す。服の上から巻きつけようとするとエディが素早く手を差し出した。おとなしく任せ、アイーシャは二人の男を交互に見やった。
「まさかと思うけど」
眉間に皺が寄るのは痛みのせいだけではない。
「あんたたち、知り合いとか言わないわよね」
エディは先程この男のものと思われる名前を呼んだ。聞き違いだとは思えない。
「彼はドレイク。私の友人だ」
固定を終えたエディが男を見上げた。
「ドレイク、彼女はアイーシャと言う。私の護衛をしてもらっている魔物使いだ」
「それはそれは」
悪かったなとドレイクが外套のフードを外す。乱暴に括られた柔らかそうな髪が風に揺れた。まだ若そうな男はそれなりに整った顔立ちをしていた。
「賊かと思ったんだ」
「失礼ね。こんな可愛らしい賊がいるわけないでしょ」
ドレイクが肩を竦める。
「お前、魔物使いなんだろ?」
「だったらなに?」
「魔物使いが使い魔を守ってどうすんだよ。守られても守るってのはおかしくねえか?」
シュリが俯いた。いたたまれないのか、ただでさえ小さい身体を縮めるように丸くなる。
「うるっさいわね」
それは至極当然の問いなわけだが、自己嫌悪MAXな親友を責めるような発言に、アイーシャは噛みつかんばかりの視線を投げる。
「あたしの勝手でしょ、ほっといてよ」
「使い魔が愚かなんでしょうよ」
割って入った声は妖鳥のものだった。華やかな体色に紅の瞳が一際鮮やかだ。きらびやかなせいだろうか、やたらと居丈高に見える。
「あたしと違って、よほどの役立たずなのね」
こめかみがぴくりとした。反応したのはアイーシャだけではなく、マッキスもまたその身に殺気を纏った。双方の怒りを感じたのか、嫌味を言われた当人であるはずのシュリがおろおろと仲間を見上げる。
「あ、あの。俺は気にしてないから、全然」
止めるのを無視してアイーシャは立ち上がった。傷は痛いがそれ以上に腸が煮えくり返っていて、痛みなど気にしていられない。
「魔物は雄だけのはずよ。なに、なよなよして女言葉なわけ? 気色悪い」
半眼になって妖鳥を見やる。
「き、気色悪いですって?」
妖鳥が鼻息も荒く言い返す。
「あたしが女言葉だからってなんなのよ。そんなことどうだっていいでしょ」
「よくないわ」
「あたしの喋りの何が悪いっていうのよ!」
「すべてよ」
一言の元に切り捨てる。
「不快だわ」
恐ろしく冷たい物言いに、寸の間、まるで空気が凍ったかのような沈黙が流れた。
「ふ、ふふふ不快?」
「身の程を知りなさい。どんなに頑張ったって色気なんて出ないわ。あんたに出せるのはせいぜいおっさん臭い脂汗と有害な妖気よ」
妖鳥が羽を嘴にやる。さながら慄いた人間が口元に手を当てたといったところだろう。
「おまけに、なに? なんでそんな無駄に派手なわけ? センスを疑うわ」
「ここここ、これはあたしが好きでなったわけじゃ」
「羽もおっぴろげて、原色けばけばしくって。邪魔ね。うざいわ。最悪」
アイーシャは容赦なくいい放つ。
「だみ声でぶりぶりしたって耳障りなだけなのよ。と言っても、その鳥頭じゃ脳みそなんてほんの僅かでしょうからどれだけ周りが迷惑しているかなんて想像することすらできないわよね。だからこそそんなみっともないことが平気で出来たりするんだわ。恐ろしい。あたしだったらとてもじゃないけどできないわね、そんな愚かしい真似。でもいくら本当のことを教えてあげても無駄ね。鳥頭だもの、どうせ忘れてしまうんだから」
ほほほほと高らかに笑ってみせるものの、その目は笑っていないことは明らかだ。
「まったく迷惑な上にそれを理解できない超絶バカとくれば、まあ温かな目で見てあげる方がいいのかしら」
「……それ以上言わないでやってくれ」
ドレイクがアイーシャの背に触れた。その背後では屈辱に身を震わせる妖鳥がいた。
「悪い奴じゃねえんだ。ただちょっと倒錯してるだけで」
「あなたまでひどいわ、ドレイク」
絶交よ! と叫ぶなり、妖鳥の姿が消えた。それを見たドレイクが深々とため息をつく。
「すねちまった。ったく、次に呼んでも来てくれねえかもな。面倒なこった」
「守護魔でしょ。腹でも刺したら出てくるんじゃない? なんなら刺してあげるわ」
「……冗談に聞こえないよ、アイーシャ」
シュリが小さく言った。
「ところで、どうしてドレイクがここに?」
「お前の護衛をと思ってな。追ってたんだが途中でわかんなくなっちまって」
ドレイクが白金色の前髪を混ぜる。
「まさか魔物使いと一緒にいるとは」
「あんたも魔物使いでしょ? だったらこの人に魔物使いの護衛がついてるってこと、連絡行ってるはずだと思うんだけど」
「なんも聞いてねえな」
はあ? とアイーシャが呆れた顔をした。
そんなはずはない。一匹狼な魔物使いならばともかく、ドレイクの何も聞いていないと言う反応からしてどこかに属しているのは明らかだ。魔物使いの村――つまり、所属する場所では仕事が重なったりしないように、受けた仕事に対しては独自の連絡網を通じ伝達、調整を行なっている。そのため敵同士で出会うことにはなっても、仕事が被ることはまずあり得ない。伝達は勿論人力ではなく魔物を使うのだから、時間がかかって行き違うということもまずはないはずだ。
「あたし、ちゃんとマッキスに報告に行かせたわよ」
マッキスが頷く。
「長老に、アイーシャが仕事を受けたと報告してまいりました」
至極真面目に告げたマッキスの言葉に動きを止めたのはアイーシャとシュリだった。
「マッキス、なんて報告したかもう一度教えてくれる?」
なぜだか嫌な予感がした。
「アイーシャが」
「あたしが?」
「仕事を受けた、と」
「仕事を受けました、と。それから?」
マッキスが青い瞳でアイーシャとシュリを交互に見る。
「それだけです」
やっぱりとアイーシャは頭を抱えた。シュリが慌ててアイーシャに縋る。
「違う、アイーシャ。マッキスが悪いんじゃないよ」
「わかってる。じいちゃんのせいよ。相変わらずいい加減な腐れくそじじいめ」
腐れくそじじいとはアイーシャの養父である長老のことだ。
マッキスが報告に行った。マッキスはとても真面目だ。アイーシャが頼んだ――正確には筆頭使い魔の守護魔であるシュリの指示通り、請け負った仕事の内容含めきちんと報告をしようとしたのだろう。それを遮ったのは養父であり、適当に聞き流したのも長老であり、アイーシャが決めたのならいいと一見鷹揚と見せかけていい加減に頷いたのもじいちゃんに違いない。挙句、連絡を怠ったのも腐れくそじじいに他ならない。
「すごい腐りっぷりだが、夏になったら大変だな」
「感心することじゃないんだけどね」
ドレイクの口調に溜息をつきつつ、シュリは仲間に戻るよう指示をする。頷いたマッキスが姿を消すのを見送って、改めてアイーシャを振り返った。
「護衛が二人で、楽チンになったって思えばいいじゃない」
「なんであんたはそう暢気なの?」
「でも、アイーシャ怪我したし、よかったでしょ?」
不満顔のアイーシャの腕に小さな手が乗る。
「俺のせいで怪我させちゃったのに俺じゃあんまり役に立てないから」
「あんたのせいじゃないわ。腐れじーさんのせいよ」
そうかもしれないけど、と大きな紫の目が憂いたっぷりに見上げてくる。アイーシャはこの目に弱かった。
「彼が来てくれたのはいいことだと思うよ。だから協力してもらおう、ね?」
「私もシュリと同意見だ、アイーシャ」
エディがシュリの言葉を引き継ぐ。
「とりあえず、どこかで手当てをしなくては」
建設的な意見を述べて、エディがドレイクの腕を叩く。
「私の護衛に来たのだったら、暫くはアイーシャのことも守ってもらおう」
「その必要はないわ」
エディが強がったアイーシャの右肩を掴んだ。途端にアイーシャは顔を歪める。意地っ張りのプライドが悲鳴も呻き声も抑え込んだのは我ながらすごいと思う。
「無理はだめだ。言うことを聞きなさいアイーシャ」
笑顔ばかり見せていたエディのいつになく真剣な顔は険しいものだった。
まるで父か母のような口振り。勿論どちらも覚えてはいないが、よく村で見かけた大人達の言葉。いつまでも遊んでいる子供に、もしくは我儘を言う子供に対しての。叱っているのに、窘めているのにそこにあるのは紛れもない愛情。それは決して自分に向けられることのなかったものだ。
なんとなく似たような響きを感じて、アイーシャは素直に頷いていた。