魔物使いと竜の谷 承章1
承章 1
「もう一か所寄りたいところがあるんだ」
爽やかに公言するのに従い今度は街道を南下する。途中、時間短縮をするためエディが馬車を雇った。街道を歩く人々を横目に、アイーシャは深々と溜息をつかざるを得ない。
「馬車が、どうかしたのかい?」
わからないという表情のエディにシュリが説明する。
「この前、興味があって乗ったんだよ。こんな風にチャンスが来るんだったら乗らなかったのに、金返せって言いたいんだよ」
「うるさいよ、湯たんぽ怪獣」
おかげで目的地まではかなりなところ楽だった。搭乗者は二人と二匹で――マッキスも乗っていた――大衆用のものではなく特別にチャーターした早馬車なので徒歩とは比べるべくもない。勿論料金も比較にならないが、停車場などで停止することもなく速度も違い、あっと言う間に景色が流れ、いくつも村や町を通り越していくのは爽快だった……のだが。
「でも最後は結局人力なのね」
馬車を下りた場所は道端だった。どこの村でも街でもないところを見ると、このままここから目的地へと向かうのは明らかだ。
「もう階段はいやよ。もし階段だったらあたしはここで待ってる」
「その必要はない。階段じゃないからね」
笑顔で告げられた言葉はどこか胡散臭い。それでも階段でないのなら多少は頑張れるかもしれない。そう思って進んでいく視界の先に、何かが見えてきた。
「階段じゃないのよね?」
「階段じゃないよ」
「あれはなに? 螺旋に続く、坂道ってところかしら?」
「嘘は言ってないだろう?」
現れたのは高く聳える塔だった。あちらが地面を掘って地獄を目指したとするなら、こちらはさしずめ天国でも目指したのだろうか。どちらにしてもセンスを疑う造りは、およそ馬鹿らしい。この異様な高さ、造った人物はかなり筋金入りの馬鹿に違いない。
「バカは高いところが好きなのよね」
「でも階段ではないだろう?」
「階段じゃなければいいってもんじゃないのよっ!」
「でも、階段ではないのだから一緒に行くよね?」
近くで見上げれば雲すら突き抜けそうな高さだ。その外側にあるのはくるくると続く上り坂。どうしてこっちは階段にしてくれなかったのか。階段だったらここで待てたのに。
「あたしがなにをしたって言うの」
上る前から精神が挫けているのだ。上りきる気力なんてあるわけがない。
「どこかのバカのせいで、あたしがこんなに苦労するなんて」
「あんまりバカバカ言うなよ、切ないな」
「なんでシュリが切ないのよ」
「文句を言ってるアイーシャの方が愚かに見えてくるから」
「なんですって、湯たんぽふにふに怪獣!」
「悪口増えてる!」
「なに言ってるの、ふにふには褒め言葉よ」
「……そうは聞こえねえっつーの」
言葉づかいも悪く答えて、シュリは坂を見上げる。
「挫けたら、運んであげるよ」
「ほんとに?」
「土下座したらね」
魔物なので人間のような笑顔はないが、その顔は明らかに勝ち誇っていたに違いない。
――果たしてシュリの世話になることはなく、二人と一匹は中に入っていた。廃墟というならココラ寺院と大して違いはないが、地上に突出している分、表面的な腐食はこちらの方が激しいような気がする。
「使われている石の違いかもしれないね」
外壁は今にも崩れそうだった。端々に風化して欠けた箇所があったが、内部は意外にもしっかりしていて崩れて階下に落ちるということはなさそうでとりあえず安心する。
連子窓が幾つもあるおかげで松明や燭台がなくても充分に明るかった。淡い日差しに照らされた壁には石で作られた装飾が続く。あちらよりもこちらの方が色合い的には乏しいように感じられた。名残とはいえ赤だの青だのといった原色だった箇所が伺えたのに、こちらはそういった色彩は見られず、あくまで淡色の模様が刻まれている。ただ施されているのはかなり細かな彫り物なので、どちらがより手間がかかっているかというと大差はなさそうだ。こちらは彫刻、あちらは彩色。最盛期にはどちらも華やかだったに違いない。
「これはなに? やっぱり寺院なの?」
「ラトラ寺院。こちらは銀竜だね」
金竜に続いて銀竜かと、アイーシャは天を仰ぐ。
「銀竜なんていないと思ってたわ」
「表面的にはね」
エディが言う。
「金竜も銀竜も存在しない。彼らは竜の中でも特殊で決して表に出ることはなかった。だから人間には知られてないし、こちらも表向きは竜使いの住まいってことになっている」
事実、神話にはいない。各地に竜を祀った寺院でも金と銀を祀ったものと言うのは聞いたことがなかった。
「表向きとか表面的とか。エディは随分と裏側もお好きみたいだけど、どうしてそんなこと知ってるの?」
相も変わらず微笑のまま、エディがアイーシャを見やる。
「そういうことを記録した文献が、あるところにはあるんだよね」
「機密文書ってこと?」
「そうだね。良し悪しに関わらず、記録は残す必要がある。だから本当は伝えたくないこともこうして伝わっちゃったりする。でもそういったことだからこそきちんと伝えなくてはいけないと考えるのかもしれないね」
「ふうん、そういうものなのかしらね」
知られたくないことをわざわざ記録するなんてなんと矛盾したことか。一介の魔物使いには全くもって意味のわからない考え方だ。
「やっぱりエディは盗賊なんじゃないの?」
「どうして?」
「機密文書って機密じゃない。そんなもの見ることができるなんて普通じゃないわ。それを持ってる人か利用しようとしている人」
「持ってる人とは思ってくれないのかい?」
「持ってる人はもっと権力とかありそうじゃない。わざわざ自分で動くなんてないでしょ」
「雇われたとかの考えはない?」
ないわね、とアイーシャが断言した。
「人間には二種類いるのよ。金持ちと貧乏人」
「すごく大きな括りできたね」
「まあ、それはあくまで『表面的』な表現よ」
便宜上、その大きな枠に嵌めただけだとアイーシャが補う。
金持ち。つまりそれは人を使う側の人間だ。雇うに当たって金銭である必要はない。金の代わりに権力でもいい。何かしらの力を持つもの、実際に人を従えるだけの何かがある。だから一人で立つことができるという意味で強者側を示す。それに対し雇われる側は貧乏人とアイーシャは考えている。一見一人で立っているように見せておきながら。本当は雇う側がいなくては何も立ち行かない者たちだ。一人では何もできないから結果的に徒党を組む必要がある。
「貧乏人側には共通するものがある気がするの。それは金持ち側も同じ。水と油みたいに混ざれないものがあるのよ。それで分類するとエディは貧乏人の側には入れない」
「じゃあ、金持ち側かい?」
「ただ、それなら今こうして自分で動いてることが納得いかないのよね。だから欲に駆られた盗賊とか思ったのよ」
「盗賊はどっちに入るのかな」
「貧乏人側なんだけど、彼らはちょっと特別よね。人からせしめて生きてるの。貧乏人側なのに貧乏人側には混ざれないのよ、貧乏人にとっても敵だから」
「どちらにも括れないから、私は盗賊と考えたのか」
なるほどね、とエディが頷く。
「それはいいが、貧乏人と金持ちというのはなんというか、酷い表現だね」
「あたしは貧乏人側。本人が言う分には問題ないじゃない。それにあえてそういう表現にした方が這いあがろうって気にならない?」
にやりと笑って、アイーシャは改めて周囲へ目を向ける。
「ねえ、外もだけど、中も結構登ったわよ。あとどんだけ登ればいいのよ」
外壁は坂だったが建物内は当然の如く階段だった。端から端に連なる廊下を歩いては正面に現れる階段を上る。途中いくつか扉を通過した。エディはそのどれも開けようとはしなかった。そうして折り返しを繰り返すこと、既に四回を数える。
「さてね。シュリにはわかるはずなんだけど」
「シュリに?」
おとなしく背後を飛んでいた親友を振り返る。その目は不機嫌そうにエディを見ていた。
「どうしてシュリにわかるのよ、魔物だから?」
まあね、とエディが続ける。
「ほら、魔物は人間とは違った感覚を持っているからね」
それは間違ってはいない。
「今はちょっと緊急事態だからね。なるべく早く手に入れたいんだけど」
「何を?」
「玉だよ。ココラ寺院でアイーシャが取ってきた。あれと同じものがここにもあるはず」
「はず?」
エディが苦笑した。
「残念ながら定かじゃないんだ。私の予想ではここに間違いないんだけど」
各地に古い寺院はいくつもあるのだとエディが話す。あまり知られてはいないが、そういった古い廃寺院の中には、金銀にまつわるものがいくつかあるのだそうだ。
「だからもしかしたら違うのかもしれない」
「どうなのシュリ?」
明らかに不機嫌そうだった。長い時間一緒にいて、これほどあからさまに不愉快そうなシュリを見たことがあっただろうか。そんな疑問を抱くほど全身が不満を発している。
無言のままシュリは身を返した。アイーシャはエディと視線を交わすとその後を追う。来た道を戻るということは、既に気づいていたが黙っていたとの証拠に他ならない。
階数としては二度、階段を下った。そこはアイーシャが歩いた中で一番気色が悪いと思った彫像が並んでいる回廊だった。
姿勢よく鎮座した魔物の群れ。そのどれにも顔はない。あるのは額に埋められた鈍い輝きの大きな石。何か高価な宝石なのかもしれないが、放置されて久しいために本来の輝きは失われているようだった。
そのうちの一つにシュリが鼻を寄せる。がくんと大きな揺れに続き地響きがして見渡す視界に天井から何かが降りてくる。
それは階段だった。そしてその向こうに、暗くつながる穴のような道が現れた。
シュリがアイーシャを振り返った。
「この先、突き当たりに像がある。それが持ってるから」
シュリとエディがアイーシャを見ている。
「あ――あたしが行くの? 一人で」
明かりも何もない真っ暗闇だ。
「いやよ、真っ暗じゃない!」
「大丈夫だから、お願い」
声高に抗議したアイーシャに反して、シュリは至って穏やかな声で答えた。さらに文句を言おうにも出鼻を挫かれたようで言葉が出てこない。おまけにお願いとまで言われた日には尚更何も言えないではないか。
「……ちゃんと、そこにいてよね」
渋々、アイーシャは足を踏み入れた。
やはり中は暗かった。入口からの明かりは当然進むほどに心細くなっていく。それはアイーシャの心も同じで閉ざされていく視界が不安を煽る。元来強がりなために戻るという選択肢はなかった。そんな恥を晒すくらいなら最初から駄々をこねている。承知した以上は一人で進むつもりだが、なんとも面白くない。どうすればアイーシャが従うかをずっと一緒にいる相棒はわかっている。だからわざとああいう言い方をするのだ。そしてその通りに動いてしまう自分にも我ながら腹が立ってくる。
暗がりに包まれた中に靴音がやけに響く。いよいよ不安になってきた頃、壁の色合いが変わったような気がした。
「今度はなに?」
壁がごく僅かな燐光を帯びていた。
淡い光は壁面に使われている石のもののようだ。ひとつひとつは非常に僅かでもそれが幾つも集まると十分に明るく、暗闇がなくなればそこはただの通路だった。ただ細長いだけの部屋といった感じで、こちらにも廊下にあったのと似たような魔獣の像が並んでいた。
居並ぶ魔獣は四足。いずれも顔がのっぺらぼうだった。代わりにあるのはやはり大きな石で、それが周囲の壁よりもやや強く光を発していた。
気味の悪い像だ。こんな魔物は見たこともない。
「……」
エディは何者なのだろう。
雇い主を詮索することはない。元々魔物使いが直接雇われることはなく、あるとするならそれは道を外れた魔物使いだ。普通は長老から仕事を言い渡されるので、すべては長老が責任を持つ。だから雇い主に関しての情報を忖度する必要はないのだが、あのシュリに対する態度は気になる。そして解せないシュリの様子。エディを許容しているように見せ、その実反発もしている。危険がないと判断して、けれども警戒もしているような。
これまで目を瞑ってきたシュリの知らない部分が見えてきて、そのたびに距離が空いていくように感じる。知られたくないから言わなかったはずであろうに、エディといることで露見していく。だからシュリはこの仕事を避けようとしたのだろうか。
シュリは自分のものなのだ。誰かに渡したくないからいち早く守護魔とした。今はそこまで子供じみたことを言うつもりはないが、シュリを一番理解しているのは自分だと思いたい、そうありたい。それなのに、今はエディに負けている気がする。
「お願いじゃねえよ、ばーか」
鼻息も荒く進めば、奇妙な形の像が現れた。歩み寄ったアイーシャは激しく瞬いた。
腕が多すぎる像は人型でありながら人ではないものだった。頭の上から短い手が生えてそれが玉を握っている。そしてその周りを守るようにして六本の手が花びらを形作って囲もうとしている。ここまではなんとか神秘的な神像とでもいえばいいかもしれない。
が……。
その下半身にある足は二本なのだが、どういうわけだかそれは。
「なんで内股?」
しかも片足はご機嫌な女の子よろしく後ろに撥ね上げている。これで倒れないのだから驚異のバランスだ。さすが竜の寺院、何か不可思議な力が働いているとしか思えない。おまけに顔は泣いている。きっと長年取り続けたこのポーズの虚しさに気付いたに違いない。
「ごめんなさいね、借りていくわ」
意味もなく罪の意識を抱きたくなるのは像の顔が切ないからだろうか。なるべく見ないようにして玉を外すと、アイーシャは背を向けて一気に走り出した。振り返ったらあの奇怪な像が泣きながら追って来そうな気がする。
「お帰りアイーシャ」
回廊へと戻った途端シュリが一目散に飛んでくる。先程の不機嫌はどこへ行ったのか、小首を傾げ、大きな紫の目を輝かせている。何かを期待するような様子は小動物よろしくなんとも可愛らしい。
「あった?」
「……あった」
「とった?」
何がそんなに嬉しいのか。のろのろと頷くとシュリが小さな手を口元にあてる。
「泣いてた?」
堪らないとばかりにくすくす笑いながらシュリが囁いた。
「ねえ、泣いてたでしょ、あれ」
確かに、あれは泣いていた。
深刻そうに、お願いなんて言うから何かと思っていたのに。まさかあの像を見てほしかったというだけなのだろうか。
「傑作だと思わない?」
「……まあ、色んな意味で」
こうしてみればいつものシュリだった。なんだか色々考えた自分が馬鹿らしく思える。
「何があったんだい?」
「それは……言えないよ」
暗く、低い声でシュリが答えた。
「まあ、そうね。確かに言えないわ」
アイーシャも調子を合わせた。わざと真面目くさく続ける。
「だってあれは――無理、とてもじゃないけど」
「なんなんだい?」
動揺するエディに一人と一匹は笑いそうになる口元を押さえ、目を伏せつつもこっそりと視線を交わす。
変なの、とアイーシャは思う。ごちゃごちゃと考えてみたってやっぱりシュリはシュリだ。こうして笑いあってしまえば蟠りなんてすぐに溶けていってしまう。
「どうかした?」
シュリが問うのに、アイーシャは何でもないと答える。
アイーシャが色々考えるようにシュリにも色々と考えていることがあるのだ。ましてシュリは魔物である。自分が知らなくて、想像できない部分をたくさん持っていて当たり前だ。それなら少しずつ話してくれるのを待とう。今だって新しい秘密を共有した。これからだってそうしていけばいいのだ。