魔物使いと竜の谷 起章4
起章 4
アイーシャにとって小さな親友の存在は相当に大きい。昨夜、蟠りを残したまま眠りについたことに少なからず不安があったのだが、目が覚め、枕元に鋼色の塊を見つけた時は心底安心した。手を伸ばしてその温もりを確かめ、思わず頬ずりをするとシュリは物凄い速さで飛びのいた。
「だから、必要以上にくっつくなってば」
「親友でしょあたしたち」
「だ、だからって――い、いくら親友でもそんなにくっついたりしないだろ!」
「じゃあ、ペットでいいわ、あんた」
「……なんか、湯たんぽよりすげえ屈辱」
項垂れた飛竜もどきの頭を撫でる。
「仕事、受けたよ」
ややあってから、うん、とシュリが答えた。
「いざとなったらトンずらすればいいよね」
「は? だめだよ、そんなの」
小声の提案に真面目くさった反応はいつものシュリのもので、なんだかほっとする。
アイーシャは不機嫌を数日ひきずるなんてよくあるのに、この小さい生き物は翌朝には元に戻っている。恐らく気を使っているのだとは思うが、それを逆撫でするのも好ましいことではないだろうから、こちらも普通に接するようにしている。それは二人の自然な決まりごとのようなものだった。
食堂には既にエディがいた。優雅にカップを傾けているところをみると食事は終わっているらしい。
「おはよう。よく眠れたかい?」
「ええ、とっても」
これから仕事で新たに旅に出る。アイーシャはいつも以上に気合を入れて朝食を注文した。大男数人分の食事を前に「腹八分って大事よね」と言うと、エディはややひきつった顔でそうだねと答えていた。
「どこまで護衛すればいいのかしら」
「ああ、それは私の国までなんだけど」
「けど?」
「でもその前に寄りたい場所があるんだ。せっかくこんなところまで来ているのでね」
すぐ終わる仕事かと思いきやそうではないらしい。こちらは雇われの身なので異論を唱える資格もないし、全くもって悲しいことに多忙なわけもない。金さえ貰えれば多少の寄り道には目を瞑るとして、追っ手がかかっているくせにどこへ寄りたいというのだろう。
「街道からは少し外れるんだけど」
頭に浮かんだのは酷く辺鄙な土地だ。不満が顔に出たのか、エディの声に笑いが混ざる。
「大丈夫。道はわかっているから。そんなに遠くもないし」
ただね、とエディが続ける。
「観光するようなところじゃないから食事がどうなるか」
アイーシャが目を半分閉じる。
「ちょっと。人を化け物みたいに言わないでくれる? 言っておくけど、死なない程度の食事でも我慢することくらいできるわよ」
「それを聞いて安心したよ」
冗談とも本気ともつかないエディの安堵の息だが、恐らく後者だろうと思った。
「そろそろ教えてもらってもいいかしら」
「なんだい?」
「どうしてあなたが持ってるの? 宝とやら」
「ちょっと頼まれてね。そしたらあの連中がもれなくついてきたといったところかな」
「誰に頼まれたの?」
「誰だろうね」
「つまりは言えないってこと?」
好きに解釈しろといわんばかりの笑顔が向けられる。全く、どいつもこいつも秘密好きな奴ばかりだ。
未知の宝に集る連中などアイーシャには想像ができない。秘密の宝を持って逃げる青年、それを追ういかにもな輩。もしかしたら何か大きなものが後ろにいたりするとか。
……気軽に請け負ったがこれは少し早まっただろうか。ほんの少しだけ不安が過った。
「エディ、まさかひょっとしてもしかして剣が使えちゃったりするの?」
「すごい驚きをありがとう」
宿を出て、改めて旅装を整えた青年を見上げ、帯刀していることに驚いた。物腰の柔らかさからしてそういったものとは無縁そうに見えたのだが、剣を帯びているとそれなりに様になっている。
「まあ、足手まといにならない程度には使えると思うよ」
「自信ありますって聞こえたわ」
明らかな謙遜の匂いをかぎ取って言うと、エディは相変わらず温和そうな笑顔で応じる。仮にもどこかの誰かから宝を預けられる程だ。武器くらい使えて当たり前かもしれない。
人通りの増えてきた目抜き通りを抜けて町の門をくぐると街道へと出た。緩くカーブを描く道は町を囲う隔壁に沿って続き、やがて長閑な田園地帯を貫いて伸びている。
幸い雪はやんでいた。シュリが期待したような雪景色にはなっていない。それでも気温の低さは変わらず空は鈍色のままだ。
「いっそ降ってくれればいいのに」
雪は降る前の方が冷える。剣を握るのに差し支えるためアイーシャは手袋が嫌いだった。おかげで冷たい指先はいくら息を吹きかけても温かくはならない。
「寒いのは嫌いかい?」
「嫌いよ。大っ嫌い」
ついでに言えば雪も嫌いだ。もちろん寒いのが嫌いなわけだが、雪も寒さも外へ出るきっかけを失わせるものだから好きではなかった。小さい頃の家にいる苦痛を思い出す。冬は日が短いから、外にいられる時間も少ない。
「温暖なところで育ったのかな?」
「違うわ。結構寒い方よ。そういうエディは?」
「寒くはないかな。多少冷えても、雪なんて降らない」
「そんな感じね」
「どういう意味だい?」
「寒い土地で育つと根暗になるもの、あたしみたいに」
「根暗? 君が?」
エディが目を丸くした。
「そんなことないよ。とても明るいと思うけどね。ただ少し、素直じゃない」
「素直ってバカと同義語でしょ。だったらひねくれ者で結構よ」
くすくすとエディが笑うのが聞こえた。
なんとなくこの青年は笑ってばかりいるような気がする。良くも悪くも、この温和そうな笑顔でなんでも解決してしまうような。
「アイーシャは魔物使いになってどのくらいなんだい?」
「……聞いたらがっかりするわよ」
「そうなの?」
「まだ一年と少しよ。魔物使いは十五歳ではじめて仕事に出してもらえるの。だからあたしはまだまだ駆け出し。ね、がっかりしたでしょ?」
「全然。はやいうちに知り合っておけてよかったよ。今後はお得意様枠で優先的に仕事を引き受けてもらえたりしたら嬉しいね」
「それは雇い主の権限よ。こちらから指名はできないから」
そんなに雇う用事があるものだろうか。現在小競り合いはあっても世界的には結構平和な世の中だと言うのに。
「魔物使いが魔物を従えるって、具体的にはどうするものなのかな」
「それは……企業秘密ね」
別に秘密でもなんでもないのだが説明が面倒でもあるし、どう話したら理解してもらえるのか困る内容であった。
――魔物を捕らえる。
それはその辺にいる魔物を従えることもあるし、村で飼っている魔物を使い魔にすることもある。が、現在の魔物使いの多くは後者だった。野生の魔物を捕らえるのは危険な上に難しく、それだけの能力を有する者も今では殆どいない。
使い魔にするとは、つまりどれだけ魔物を魅了できるかにかかっていた。見合った瞬間いかに魔物を惹きつけ、その魂を捕らえられるか、それに尽きる。具体的にどういう方法かと尋ねられると困るのがこの部分であった。
習った知識で言うなら魔物は地脈に従って生きている。それは闇の力で、陽気が満ちる昼間は非常に不安定で弱まる。だからこそ夜が魔物の時間と言われるわけだが、魔物使いに使役されると魔物は本来無縁である陽――天脈を使う資格を持ち、魂の格が向上する。その結果、本来以上の能力を得ることが可能となる。人語を操るのもその一つである。
使い魔がどれだけの力を得ることができるか。それは魔物使いの才能に左右される。だから魔物の側も魔物使いを吟味する。どれだけ強く、魅力的な魂の輝きを秘めているのか。つまりはそれが魔物が使える天脈の大きさを決めるものになるからだ。
十歳で守護魔を持ち、その後の五年間で身を守る術を学ぶ。魔物と対峙するための護身術と護衛に必要となる武術。その際に守護魔を使うことを習い覚えながら使い魔を増やしていく。修業の後、長老からお墨付きをもらってはじめて一人前の魔物使いとなるのだ。
アイーシャにはシュリとマッキスの二匹の魔物がいる。今は小物を多く従えるのが主流な中で、数としては非常に少ない。シュリはともかく、マッキスも厳密に言うと完全な野生ではない。元々はシュリの友人だった。
シュリを守護魔にすると一方的に決めた時、マッキスは当時十歳のアイーシャの能力を見て己も従うことを望み、使い魔として契約を果たした。そういう意味では筆頭使い魔は正確にはマッキスなのだが、マッキスの方もアイーシャの我儘に異論を唱えることもなく一緒にいる。シュリも特別ならマッキスも特異な契約状況といえるかもしれない。
「魔物使いをそんなによく知るわけではないけど」
エディが頭一つ背の低いアイーシャを見る。
「十五歳で本当に独り立ちするって珍しいのではないかな」
「さあ、どうかしらね」
幼少時から神童だと周囲が騒いでいたことを覚えている。特にマッキスを従えた時の長老の驚きは凄まじいものだった。アイーシャとしては元から友人だったということもあって、別に喜ばしいことでもなんでもなかったので、酷く冷めた気持ちで眺めたものだ。
「今は数が減ったから、仕方なくじゃない?」
「それは謙遜?」
「さあ、半分は謙遜。半分は事実よ」
歩いているうちに少しずつ太陽が顔を出すようになってきた。冷たく湿った風が温められて、僅かだが寒さが緩んできていた。外套の中でこすり合わせていた手の悴みが多少ましになっている。
そして、それ以上に感じる気配もあった。
「はあ、剣士にとって寒さは敵よね」
おもむろにアイーシャが呟いた。振り向いたエディの視界の前に鋼色の塊が降りてくる。案の定、既に察知していたシュリがフードから出ており警戒する空気を纏う。
「気配は四人みたいだ」
アイーシャが頷くのと、背後から何かが飛んでくるのと、大地から風が巻き起こるのとは同時だった。
「遅くなりました。大事は?」
マッキスが帰還を告げると安否を確認するように青い瞳が魔物使いと仲間へ向けられる。
足元に転がったのはダガーだった。抜刀するとアイーシャはエディの前に身構える。
「大丈夫だけど、悪い、ダガーには気づかなかった」
「いえ。怪我がなく何より」
シュリがマッキスの頭上へと飛来する。礼を述べる仲間にマッキスは律儀に返答した。
「お茶のお誘いとかならよかったのに」
目的地へ向かう間に街道からは逸れていた。こちらに入ってくる人の数は殆どない。上り下りを繰り返す道の前方に見えていた旅人の姿は既に見えなくなっていた。
人がいなくなるのを待っていたのか、それともここを通ることを予想して潜伏していたのか。道の片側には手つかずの雑木林がある。もし隠れていたのだとしたら、エディの行動は相手にわかっていたということになる。
黒一色の揃いの装いはいつぞやかの賊と同じものに見受けられた。やはり顔の半分を隠している。こちらは顔を知らないし知ったからと言ってどうしようもないというのに。
「よほどの恥ずかしがり屋なんじゃない?」
「それかよほどの不細工ってことね」
シュリの言葉に付け足して、アイーシャはにやりと笑う。
「今回は雇われてるから遠慮は抜きね」
報告から戻ったマッキスが止めないということは長老も了解したということだ。
アイーシャは跳躍した。とにかく鬱陶しいダガー使いを先に始末してしまいたい。立ちはだかる二つの人影の前に降り立つと足を振り上げ前後に追い払う。その間に飛んできたダガーを外套で受け止めて、裾を翻す動きのままに肉薄した。
「うざいのよ、あんた」
右の剣を振り下ろし構えようとするのを叩落とす。同時に怯む相手の喉を狙う。
だが、敵もそう簡単にやられるわけもなかった。腕を上げ、咄嗟に急所への攻撃を受け止めていた。
微笑したアイーシャは躊躇することなくそのまま引き下ろした。布を通して肉を裂く感触とともにごろりと地面に切り落とされた腕が転がった。
「くっ」
視界の端にマッキスが走り出すのが見えた。鋭く伸びた爪がよろめいた相手の腹に突き通される。肉片とともに引き抜かれた身体には大きな穴が開いていた。
アイーシャの目は既に違う者へと向けられている。降りてきた剣を背中で交差させた双剣で受け止め、大きく膝を曲げて勢いをつけ弾き返してやる。
前転の要領で距離を取った。目をあげた瞬間には刃が迫っていた。一方の剣で防ぐと、もう一方で足元をすくう。
「甘い」
声は男のものだった。地面すれすれを薙いだアイーシャの剣を長靴が踏みつける。引いてみるもびくともしなかった。
振りかぶった男の斬撃が迫る。使えぬものに固執する理由はない。素早く身を引いて、目くらましよろしく外套をはためかせた。
「ちょろちょろと!」
大振りな刃が風裂く。一本になった武器で受けると金属音が響き、火花が散った。
力任せに押し付けてくる。一瞬だけ力を抜くと、男の剣先が揺らいだ。その隙に体勢を立て直すとこちらから踏み込んでいく。
二、三度切り結んで、男の焦れたような大振りな一撃。下から擦りあげるようにして受け流すとアイーシャは腕輪に仕込んである投げナイフを取り出す。力で押し潰そうとする男の腹に突き立てた。
「甘いのはどっちかしら」
離れる間際に男の太ももへ蹴りを見舞う。思わず傾ぐその顎に、おまけとばかりに膝を叩きこんでやった。
男の身体が仰け反る。その喉元を裂いて過ぎる白い影はマッキスだった。
二人を仕留めたところでアイーシャは自分の雇い主を振り返った。亜麻色の髪の青年の前には既に絶命したと思われる人間の姿があった。そして残る一人と向き合う姿は凛としていて、なんとも様になっている。
斬撃をエディが受け止める。暫くの鍔迫り合いの後、お互いが押し返すようにして距離を取る。息をつく間もなく次の一歩を踏み込んだのはエディの方だった。二回、三回と押し込んで切り結ぶ。と、次の瞬間、エディの剣が白く鋭い軌跡を描く。
肩口から大きく裂かれた賊の身体が地面へと崩れ落ちた。エディが倒したのが最後の一人だった。
「――」
覆面が血の泡を飛ばしながら何事かを叫んだようだが、何を言ったのかは聞き取ることができなかった。断末魔の声なんて珍しくもないのに、どうしてだか不気味なその目が、なんとなく引っかかった。
「ごめんなさい。手を借りてしまったわね」
「いや、大したことはないよ」
ひとつ息をついて露を払ったエディが納刀しつつアイーシャを見やる。
「それにしても、強いね、魔物使いのお嬢さんは」
「そういうあなたも相当強いようだけど」
アイーシャも剣をしまう。そして合図をすると、それを受けたマッキスが姿を消した。
「変な気配はなくなったみたい」
シュリの声に頷いて、アイーシャはエディを見上げた。
「で?」
「で、とは?」
「これは待ち伏せ? それとも追いつかれたのかしら」
「さて、どっちかな」
相変わらずの笑みにアイーシャは両手を腰に当てる。
「この先、行きたい場所って、ただの寄り道?」
「そう考えたかったんだけどね。元々興味のある場所だったし」
もしかしたら、とエディが微笑する。
「こちらに逃げてきたことが知られてて、少し予想されているのかもしれないな」
なぜそこで笑顔なのかが理解できない。追われているのだと言う自覚はあるはずなのになんというか緊張感に欠ける。
アイーシャは深々と溜息をついた。
「ねえ、これ、どこに向かってるの?」
竜の宝とやらについて教えてもらえないだろうことはなんとなく予想できる。ならばせめて行先から何か想像できないものだろうか。
「まさか、ランランお散歩なんて言わないでしょ」
「言いたいねえ」
内心舌打ちしたい。なんでこいつはこんなに暢気にしているのか。
「この先に遺跡があるんだよ」
遠く、目を細めてエディが言った。
「なによ、発掘でもする気?」
「いいね、ロマンだ」
「あたし、おなかが膨らまないことに興味ないから」
「ああ……だろうね」
「言いたいことははっきり言ってもらって結構よ?」
あの食欲ならばそうだろうと言わんばかりの反応が腹立たしい。
「ココラ寺院」
「ココラ寺院?」
「とても昔の。今は使われていなくて、殆ど廃墟らしい」
聞いたこともない名前だった。無論、そういったものに一切興味がないのだから古かろうが新しかろうが名前を聞いてわかるものの方が少ないのだが。
「なんでそんなところに行きたいの?」
「野暮用」
あくまで詳細を話すつもりはないのだ。アイーシャは顔を顰める。
「随分と命がけの用ね。ほんとに『野暮』だわ」
細くなる脇道をアイーシャが先に歩き始めた。
「そんなガラクタの山。はやいとこ行って用を済ませて帰りたいもんだわ」
日も暮れちゃうし、と付け足す。
まだ距離があるのか目を向ける先にそんな寺院があるように見えない。こんなに寂れた街道の外れでは町も村も望めない。となればこの寒空の中、またしても野宿ということだ。
一応年頃の女の子なんだけど、と人知れず溜息をつく。
野宿は嫌いだ。好きな方が珍しいだろうが、野宿も旅も好きではない。シュリに言われるまでもなくきちんと食事をして宿に泊まりたいし、そもそも旅などせずに済むならしたくない。本当ならドレスなんて着たいし、髪も綺麗に飾って化粧だってしたいとか考えることだってある。だがこんな生業では無理な話だ。いわゆる普通の女の子は魔物を連れていたりしないし、大の男を相手に立ち回りをした挙句、躊躇なく殺したりはしない。
「アイーシャ、どうかした?」
シュリが高度を下げてきた。アイーシャの顔を覗き込む紫の瞳は心配げに揺れている。
なぜシュリはアイーシャの気鬱を敏感に察知するのだろう。自分はそんなにわかりやすいだろうか。これでも結構一生懸命ひねくれているつもりなのに。
「なんでもないわ。野宿にうんざりしただけよ」
まんざら嘘でもないことを言って、多分半分も信じていないだろう親友から目を逸らす。魔物使いをやめるつもりがないのだから、これは甘んじて享受すべきことで、今更文句を言う事柄ではない。それはわかっているのだ。
「その素敵な場所まではあとどれくらいなわけ?」
半日もかからないとの答えが返る。
「ただ、今夜はその遺跡で寝ることになるかな」
「……あ、そう。それは嬉しいわね」
再び溜息が漏れる。やっぱりかと呟かずにはいられなかった。