魔物使いと竜の谷 起章3
起章 3
予想外の話になった。
たまたま見かけたピンチの人にたかって食事くらいはせしめてやろうなんて思ったわけだったが、まさか仕事の依頼が来るとは考えもしなかった。考えさせてほしいと告げ、アイーシャはシュリを伴って宿の外に出て来た。
「聞きたいことがあるんだけど」
「その前に放してよ」
シュリが嫌々と身をよじる。逃げられてたまるかとその小さな身体をしっかりと捕まえているのが気に入らないらしい。
「放すと思う? 逃げる気満々でしょ、あんた」
「逃げないよ。逃げないから放して」
「じゃあ、湯たんぽにしていい?」
「どうしてそうなるんだよ!」
あっそ、とアイーシャが目を細める。
「じゃあこのまま鷲掴みでいいわね」
「ひどい、横暴だよアイーシャ」
敗北を認めた守護魔を懐に無理やり押し込めて、宿の入口の階段に腰を下ろす。
「シュリ、あの人と知り合いなの?」
「知らないよ」
「ほんとにぃ?」
「ほんとに知らない」
「うそばっかり。聞こえたわよ、舌打ち」
「あれは――そうきたかと思っただけで」
苦しかったのかシュリが少し身動きをした。
「追われてたわけでしょ。それがなんか魔物使いに興味ある感じだったから。ちょうどいいって思われたっていうか、いいように使われたというか、さ」
魔物使いなんて胡散臭いだけなのに、憧れてたというだけで魔物をすんなりと受け入れすぎるような気はしていた。
「じゃあ、本当に知らないのね?」
うん、と頷く。
「安全って判断したのはなんで?」
「宝を持ってるからだよ」
あっさりとシュリが答える。
「マッキスもわかってたの? そんなの持ってるなんて」
さあ、とシュリが曖昧に目を逸らす。
「なんなの、それって?」
竜の宝、とシュリが呟いた。
「竜の宝? なにそれ」
「そのままじゃん、竜の宝だよ」
「だから、それがなんなのかって聞いてるのよ」
シュリが口を閉ざす。話すつもりはないという意思が感じられた。
魔物と人間の間には種族の違いによる隔たりがある。未だに不明な点が多いのは魔物使いに対してであっても明かされない事実があるからだ。どれだけ親しくなろうと、使役されようと人間に伏せていることはいくつもあるのは事実だが、その手のことに関して比較的柔軟なシュリにしてはこの態度は少し珍しいものだった。
「もしかして、それってエディが盗んだりしたってことある?」
「多分違うと思うけど」
「そんなことわかるの?」
「いや、勘」
シュリが即答する。
「勘? わあ、それは素晴らしいわね」
棒読みのようにアイーシャは言った。
シュリは人間ではない。違う感覚を持ち得ているのだろう。いずれにしてもシュリとしては危険を感じなかったわけだ。
「その宝ってすごいものなの?」
「さあ」
「さあって、あんた」
シュリが首を傾げるのにアイーシャがその仕草を真似た。
「実はよく知らないとか言わないわよね」
「……」
図星かよ、と思ったが口にはしなかった。知っていそうな気もするし、もしかしたら本当に知らないのかもしれない。いずれにしても確かなのは、柔和なくせに頑固な幼馴染は言わないと決めたら絶対に口を割らないということだ。
「すごいものならお金になるのかしら」
「……すごいって、そういう意味なわけね」
わざと検討違いなことを言うとシュリが脱力した。
「だって興味ないもの。お金にならないならどうでもいいわ」
抱えた温もりが揺れる。くすくすとシュリが笑い声をたてた。
「お金の好きなアイーシャらしいね」
「そこまでがめつくないわよ」
笑う相棒の鼻を指先で弾く。一声啼いてシュリが顔を引っ込めた。
「鼻ピンやめてって言ってるだろ」
「それより、仕事。どうする?」
ほんの一瞬、シュリが怒気を露わにしたように感じた。
「だめ。ひとつ終わらせて村に戻るところだからね」
小さな手が鼻を押さえたままなので鼻声になった。
「一度に複数受けるのはだめなんだよ」
「それはわかってるわよ」
「なら話し合う必要なんかないね」
通常、緊急時以外は仕事が終わると一度村に戻る決まりだった。だが仕事が延長することは珍しくもなく、そんな時は使い魔を使い現状を知らせて済まされる場合もある。
「けど仕事なんてなかなかないのに。棒に振るのも惜しいじゃない」
「なかなかないのに続くことがおかしいんだよ」
普段よりも幾分低い声が答える。先程の雰囲気といい、口振りといい、快く思っていないことは明らかだ。
「単に運がいいとは思わないわけ?」
「思わないね」
「あんた、心配性よね」
「アイーシャがなにも考えなさすぎなだけ」
少ない仕事の中で多く割合を占めるのは要人の警護である。そういう意味では今回のような護衛仕事は珍しくはない。ただ魔物使い本人に依頼というのはあまりないが。
「村にはマッキスに報告に行ってもらえばいいじゃない」
ウリコラ村の長老は事なかれ主義だ。しかも気の強いアイーシャには日頃から手を焼いており、触らぬ神に祟りなしといった態度を取っている。多少勝手な行動であってもせいぜいお小言が降ってくる程度だ。それに元々仕事は少ないのだ。自ら仕事を拾ったとわかればもろ手を挙げて大喜びされるに違いない。
「ねえ、なにか不満なわけ?」
別に、と返す声もまた冷たい。
「現時点で残金乏しいのよ?」
「おっさんから巻き上げたろ」
「あんな小銭、一度ごはん食べたらなくなるわ」
「……」
これは否定できなかったようだ。腹立たしいが反論を封じたのは喜ばしい。
「エディが危険と思ってるの?」
「……」
「反対する理由はなに?」
返事はない。
「そもそも無害だって判断したのはシュリでしょ」
確認したではないか。問題ないと言ったのはシュリだ。
アイーシャはシュリの頭のとんがりを掴むと思い切り左右に揺さぶった。鼻ピンに次いでシュリが嫌がることのひとつだ。
「なんですぐ暴力に訴えるんだよ」
「なんでそんな不機嫌なの?」
「別に不機嫌じゃないもん」
誰がどう聞いても機嫌の悪い声で答えておいて、シュリはアイーシャを見上げた。
「受けたいなら受ければいいよ。何を言ったって結局はアイーシャの思う通りにするんだろうし。どうせ俺は使えない守護魔だから大した発言権はないしね」
「言葉に棘があるわ」
シュリはどちらかと言えば穏やかな性格で、短気でひねくれ者の自分からすれば謎としか思えない堪忍袋を有している。それがこんな風に毒を吐くというのは稀なことだ。
ねえ、とアイーシャは至って真面目な口調で言った。
「あたしは仕事の話、悪くないって思ってる。村でだって仕事があるのは嬉しいことだから反対されるとは思えないし。断る理由はないと思う」
それはシュリも充分にわかっているはずだ。
「でもシュリが嫌なら断るわ」
シュリが身動きをした。不機嫌を助長するのも嫌なのでおとなしく解放してやると、小さな身体は空中へ浮かぶ。
「仮にも筆頭守護魔なんだから、ちゃんと真面目に考えてよ」
「普段は湯たんぽとかいうくせに。こんな時ばっかりそんな言い方して。ずるいよ」
二匹しか使い魔を持たない身で言うのもなんだが、事実には違いない。
「ねえ、なにがいやなの、仕事? エディのこと? それともその宝とかいうのを気にしてるの? ちゃんと言ってくれなくちゃわからないわ」
シュリは何かを呟いた。が、それはあまりに小さい声だったので聞き取ることができなかった。問い返してもなんでもないと力のない声が戻ってくる。
「――あのねえ」
「ごめん、アイーシャ」
いい加減腹が立ってきた。怒鳴り返そうとした絶妙のタイミングでシュリが口を開いた。
「仕事の話、受けていいよ」
限界点を正確に把握している相棒はアイーシャの苛立ちに蓋をするように続けた。
「確かに少ない仕事をふいにするのもなんだよね。ここから何かに繋がるかもしれないし」
沈んだ声音。ほんの一瞬、紫色の目が淡く揺れているように見えた。途端にアイーシャの胸の内を後悔の念が過る。
アイーシャが我儘で我を通し、シュリが折れるなんてことはよくある。が、それが冗談ごとではない場合、この小さな相棒は酷く淋しそうな目をする。必死に気持ちを押し隠そうとするようなそれは言葉よりも顕著に胸に刺さる。
「……あの、シュリ、やっぱり――」
「大丈夫。マッキスには俺が言っておくから」
シュリの尾が優しく頭を叩く。瞳は元の優しさを取り戻していた。
「寒いから早く部屋に帰りな。せっかくいい部屋にしたんだし」
「一緒に戻らないの?」
「もう少し星眺めてく」
その言葉にアイーシャはちらりと空を見上げた。
「……曇ってて星なんてないけど」
雪はやんでいたが、相変わらず雲に覆われた空には星はおろか月の姿もない。
「……その辺はさ、色々と汲むべきじゃないかな」
「ごめん、そういうデリカシー持ち合わせてないの、あたし。――ってゆーか!」
アイーシャが立ち上がった。
「シュリがいなきゃあの美形と二人きりよ。年頃のか弱い乙女が危険だって思わないの?」
「美形と二人きりってことと年頃ってのは認めるけど、か弱い乙女は頷けない」
「雰囲気を汲みなさいよ」
「ごめん、嘘はつけない」
やけにきっぱりと言い切る。
「何かあればマッキスを呼びなよ」
呼び止める声も虚しくシュリは高く舞い上がった。光のない夜の中では鋼の姿はすぐに夜の闇に同化して見えなくなってしまう。暫く小さな飛竜もどきが去っていた方向を見上げていたものの、アイーシャは小さく息をついて俯く。そのままその場に腰を下ろした。
「……」
拗ねるなんて役割的には逆だ。自分の方が我儘で勝手で、シュリがそれを宥めたりあしらったりするのが常なのに。いざ逆になると正直どうしていいのかわからなかった。
シュリは実に上手に自分の相手をしていると思う。自分で言うのもなんだが、昔からかなりひねくれて扱いにくい子供だった自覚がある。
アイーシャはウリコラ村で生まれたわけではなかった。早くに母を亡くし、父に捨てられた。知人に引き取られるも、持って生まれた能力が災いし普通の動物と同じように魔物に接する気味の悪い子供は再び捨てられることとなった。そして押し付けられるようにして連れて行かれたのがウリコラ村で、長老に引き取られた。
反発心と馴染めない心、元々そういう気質があったにしてもそれを頑固なものにしたのはやはり環境だと思っている。そんな偏屈極まりない子供の側にいたのがあの飛竜もどきだった。異端な者同士、気が合ったと言えばそれきりかもしれないが、狭い世界しか持つことの許されない子供だった自分にとって、シュリはただ一人の理解者であったのだ。
「シュリのバカ」
言ってくれなくちゃわからないのに。自分はシュリのように忍耐強くもなければ、相手の気持ちを汲むことだって得意ではないのだから。
「なにが気に入らないんだろ、あいつ」
仕事が被ったことではないはずだ。エディについては無害だと判断したのはシュリである。とすれば、仕事の内容かそれともやはり。
「……竜の、宝とかいうやつ?」
魔物の定義でいくと飛竜は竜種になる。竜種はあくまで魔物の種類上の分類であり、本当の意味で竜とは異なるものだった。竜はこの地上の摂理を左右するいわば世界規模の神獣で、魔物とは区別するのが通常だった。
本来、竜種には獣よりも爬虫類的な容姿を持つ魔物や飛竜と呼ばれるワイバーンが属する。その中でも特に飛竜を指して竜種というようになったのは、姿が竜に似ていることと突出した強さが理由と言われている。また火なら赤、水なら青というように所有する能力に合わせた原色が体色であるという共通点が特に飛竜イコール竜種という分類にした要因だと考えられていた。
この世界において神聖と考えられる竜――その宝。それは魔物にとっても同様で、もしかしたら触れてはならないものなのかもしれない。だからこそシュリは関わりを避けたいと思ったのか……。
――それなら、どうしてエディを許容したのだろう。
幼い頃から一緒にいるのに、アイーシャはシュリを知らない。魔物だからという以上にシュリが自身のことをあまり語らないからだ。
これはいい機会なのかもしれない。今後も魔物使いを続けるにあたり、シュリはどうしたって自分の守護魔であるのだ。もっと理解したいと思ったっていいではないか。
ちゃんと話してくれないシュリが悪い。自分はもっとシュリを知りたいのに。
それに、とも思う。
「いやになったら逃げちゃえばいいわ」
報酬は惜しい。だからといって意に沿わぬ仕事をするつもりはない。どうせ正式な契約の仕事ではないのだ。証拠は残らない。
「決まり」
ぶるりとひとつ身を震わせる。せっかくのベッドを堪能する時間が減ってしまうことを懸念して、アイーシャは足早に部屋に戻るのだった。