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魔物使いと竜の谷  作者: mahiru
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魔物使いと竜の谷 起章1

起章 1


 風は冷たい。

季節は確実に冬へと移り、鈍色の空は吹きつける風と同様に寒々しい。湿気を含んだ空気は冷ややかで、間もなく雪になるような様子を匂わせている。

「寒いね」

 どこか暢気な声が言う。

「この調子だと雪になるかもしれないね」

 遠くに見える山は早くも白い衣を纏っていた。そろそろ降ってもおかしくない時期だ。一面白く染まる景色は何度見ても美しい……。

 穏やかにそんなことを口にしているのは、ふわりふわりと空中を飛ぶ鋼色の奇妙な生物。それは明らかに異形の物――魔物だ。

「雪、楽しみだね――おぐっ!」

 傍らを歩いていた少女はちらりと魔物に目を向けると、突然、その身体を乱暴に捕らえた。挙句、無理やり懐へと押し込める。

「なにが楽しみよ馬鹿シュリ。こちとら寒くて死にそうだっつーの」

 不満の声を上げるのにも構わず、少女はその小さな魔物を抱きしめた。

「温かい、温かいよお」

「アイーシャ、抱えるのやめてっていつも言ってるだろ!」

 もがきながらの抗議に、だがアイーシャと呼ばれた少女はふんと鼻を鳴らす。

「湯たんぽするくらいしかできないんだから、おとなしく抱かれてなさいよ」

「そ……そうだけど」

 力なく言ったシュリが、半分呆れたように続ける。

守護魔しゅごまとこんなにくっつく魔物使いなんていないよ。ペットじゃないんだから」

「確かにシュリはあたしの守護魔だけどそれは建前でしょ。別にあたしはあんたを守護魔にするために守護魔にしたんじゃないもの」

「……言ってる意味わかんないよ」

「なによ、こんな美少女が抱きしめてやってんのに、なにか不満なの?」

「自分で言うものかな、美少女って」

「誰も言ってくれないから自分で言うしかないじゃない」

「……虚しい、アイーシャ」

ようやく手を緩めるとシュリが外套の合わせ目から顔を出す。よほど苦しかったのか何度か大きく息をついた。

 アイーシャは魔物使いだ。そしてシュリはアイーシャの守護魔である。

「魔物使い」とはその名の通り、異形の物を己の元に従える能力を持つ者のことで、この世界を流れる気――天脈と地脈を繋ぐことのできる奇妙な力の所有者であった。遠く昔に神たる竜と人の仲介をしていた血筋の末裔とも、竜の子孫とも言われるが定かなことは不明で、かなり、相当に、とてつもなく眉唾ものである。とは言え、今となっては非常に珍しい能力に相違はない。

 その昔、大陸全土に戦が溢れていた頃、魔物使いは珍重されたものだ。しかし世界が平和になるとその需要は減少し、存在自体も化石の如くで、かつての栄光はなくなってしまった。そんな世の中にあっても未だに伝統を継承する集落がある。そうした村では今でも魔物使いに足る人間が生まれ、その時は形式に従い魔物使いとして養育するしきたりがある。アイーシャの住むウリコラ村もその一つで、アイーシャも魔物使いとして育てられた。

 魔物使いは十歳になると一生を共にする魔物と契約をする決まりだった。魔物使いとして最初の儀式でもあり、はじめて能力を解放する。最初の使い魔は特に「守護魔」と呼ばれ、強弱の別なく、筆頭としてその後魔物使いが従える魔物達を管理する立場となる。

 十歳になったアイーシャは幼少の頃から知るシュリを守護魔に選んだ。

――が、実はこれは使い魔の能力で従えたわけではない。あくまで一方的に守護魔にすると決め、宣言したもので、言ってみればそれは異端である。しかし契約が交わされたのかどうかなど当人たち以外確かめようもなく、誰が困るというものでもない。まして神童とまで言われたアイーシャに対しては長老ですら遠慮があるくらいで、意見しようとするものなどいるはずもなかった。

……あれから六年。大好きな親友を守護魔にすればずっと一緒にいられるという子供っぽい考えからの行動だったが、現在に至るまで全くもって後悔はしていない。とてもとても満足している――シュリの方はどう思っているかは知らないけれど。

「ごめん、湯たんぽだなんて思ってないわよ――普段は」

「……小声で付け足したよね」

 項垂れたシュリは諦めたように顔の半分程を埋めると、くぐもった声であのさと続けた。

「俺、アイーシャのこと、可愛いと思ってるよ」

 アイーシャは思わず瞬いた。優しい仲良し守護魔は気遣いさんでもある。

「なんで戻すの、その虚しい話題に」

「誰も言ってくれないって言うから」

「魔物のセンスで言われても微妙だわ」

 わざと素っ気なく言った。

「どうでもいーけどほんっと仕事ってないわよね。魔物使いなんて、既に怪しい響きだし」

 廃れてしまった魔物使い。かつてのエリートも今ではせいぜい用心棒くらいしか仕事はないのが実情だ。

それだけではない。見てくれが少女では快く雇ってくれる者も限られるので回ってくる仕事自体少ない。しかも本来なら守護魔が結界などの魔物ならではの力で援護をするのだが、なぜかシュリはそういった能力を持ち合わせておらず、それもまた余計に仕事を遠ざけている要因であることはどうにも否めない。

「今日は寒いから、ちゃんと宿に泊まらなきゃだめだよ。相部屋だったら泊まれるくらいのお金は残ってるでしょ?」

「……まあ、食事を考えなきゃね」

 できればきちんと宿をとってほしいとシュリは言うものの如何せん先立つものがなければそうもいかない。旅費を抑えようとできるだけ先を急ぐのが得策だが、そうなれば野宿となることも珍しくはない。久しぶりの仕事は遠方だった上、大して稼げたわけではなかった。贅沢をする余裕は全くないし村まではまだ随分と距離がある……が、いよいよ残金は厳しい状況だった。

 もお、とシュリがわざとらしく大きな溜息をつく。

「だから言ったのに」

「言わないで。わかってるからそれ以上言わないで!」

「馬車になんか乗るから」

 顔を背けるも、しかしシュリは容赦なく言い放った。後で困ると散々忠告したのを無視したのはアイーシャである。

「だって……乗ってみたかったのよ」

馬車は意外に高価だ。報酬を貰った直後いい気になって好奇心に勝てず乗ったはいいが、あまりに退屈ですぐに降りてしまった。なんというか、あほらしい究極の無駄遣いだ。

「……俺、頑張るよ」

「なにを頑張るの?」

「飛竜の鱗ってお金になるって聞いたんだ。何枚か剥いで売っていいよ。アイーシャの為なら痛いのだって大丈夫。だから宿もとって、ごはんも食べて!」

 鱗を剥がれる痛みを想像したのか、大きな紫の瞳がきゅっと閉じられた。

「シュリ、あんたって――可愛い」

「な、なんでそうなるんだよ」

「健気すぎるでしょ、あんた」

「違うよ、そんなんじゃない」

 シュリは視線を落とす。

「だって、俺、アイーシャの役に立ってないから」

 湯たんぽとして以外、と自ら付け足す。

「そんなことないわ。馬車に乗ったあたしが悪いんだもの」

「でもお金がないのは事実だろ?」

「だからって、可愛いシュリの生皮剥ぐような真似すると思う?」

「アイーシャ」

 シュリが感動に大きな目を潤ませる、が、がらりと口調を変えてアイーシャは続ける。

「ってゆーか。それ以前に、あんた厳密に言ったら飛竜じゃないわけだし、売れないでしょ、多分。意味ないわよね」

「……」

 姿だけを言えばシュリは飛竜に近い。羽毛のない翼と鱗が変化した鋭角な突起が幾つも頭部にあるところは飛竜と言えなくもない。だが、通常は翼に爪があり二本脚なのに対しシュリは四足だ。おまけに恐らくは成獣であろうに猫程の体長というのもまた小さすぎる。

「冗談はさておき。そもそも大事な親友なんだから。例え一部でも他人に売るなんてありえないわ」

 シュリがきょとんとした。そしてすぐに瞳がいつもの柔らかな光を湛える。

「……ありがと、アイーシャ」

 魔物使いと守護魔は友情を確かめ合うと、どちらからともなく顔を上げた。

「降ってきた」

薄暗い空から白い粒が舞い降りる。袖に、肩に柔らかく落ちる儚い欠片を二人の目が追いかける。

「明日は雪景色だね。きっと綺麗――うごっ」

「だから、嬉しくないって言ってるでしょ。寒くて死ぬってば!」

「アイーシャが死ぬ前に俺が殺されるよ」

 じたばたと暴れたシュリがなんとか抜け出すことに成功した。高く舞い上がろうとするのを、かろうじて尾を捕まえて引っ張る。

「待て、湯たんぽ!」

「あ、今、言った! 完全に湯たんぽって言った!」

 尾を揺らし振り落とそうとしていたシュリが不意に何かに気付いたような様子をみせ、手を伸ばした。小さくとも意外に力のあるこの守護魔は人一人くらいなら持ち上げて飛行することもできる。変化に気付いたアイーシャはその小さな手を掴んだ。

「なに?」

「わかんないけど、なんか」

 特殊技能のないシュリの持ち得る能力は二つ、飛行と危機察知。……なのだが察知はしても、それが何によるものかまで感じ取れないのが難点である。

 雪のちらつく街道に人影はなかった。おかげで飛んでいる姿を不審に思われる心配はない。そもそも通行人がいないからこそシュリが傍らを飛んでいたわけだが……。

 街道脇は長く雑木林が続く。伸び放題で枯れ木交じりの木々の群れがそのまま山へと繋がる。シュリはそちらが気になるようで、高度は木々の高さくらいが維持されていた。

上空に待機して間もなく、アイーシャにもわかる気配があった。同時に雑木林が揺れ、象牙色の塊が転がり出てきた。次いで二つの影が現れる。追ってきたのか象牙色の前後を塞ぐ。徐々に間隔を狭めながらそれぞれ帯刀していた剣を抜き払った。

「あの人、ピンチっぽいね」

 ごく普通に感想を述べましたと言わんばかりの口調だった。淡々と言ったシュリにそうみたいねと答えたアイーシャも大概他人事だ。

「追い詰めました的な雰囲気よね」

 こそこそと囁き合う間にも間合いは詰まっていく。

「まさか丸腰なの?」

この物騒な世の中、街道に出るにあたってナイフの一つも持っていないとはかなりなところ珍しい話だ。

「お金は持ってるかしら」

押しかけてみるのもいいかも知れない。どっちみち貧乏に変わらないのだ。助けたお礼として食事でも奢ってもらえれば、とりあえずは大助かりというものだ。

「アイーシャの食事代ねえ」

 シュリは苦笑した。

「シュリの分も確保してあげるわよ」

 言いながら、手を離す。黒い外套を風に靡かせ、腰に括られた二本の剣に手をかけた。



「どっちがお金持ち?」

 恐ろしく場違いな質問だったのだろう。それ以上に突然降ってきた人間に驚いたという方が正しいかもしれないが、居合わせた三人の動きが止まった。

衝撃を殺すため膝を使って着地したアイーシャは立膝の状態だった。背後には象牙の外套の人物。前には身体にぴったりとした黒装束に顔の下半分を隠した、いかにも怪しそうな人間がいる。

「あたし、お金持ちを助けたいの。どっちがお金持ってる?」

「なに言ってんだ、このアマ。ふざけん――」

 至極当然の反応だ。だが、言葉は最後まで言うことはできなかった。素早く鞘を払ったアイーシャが身を翻し、顔を覆う布を裂いた。露わになった男の喉元に突き付ける。

 一瞬の出来事だった。意表を突かれたとはいえ、あまりの早さに男は一歩も動くことができなかった。

 男が唾を飲む。切っ先の触れていた喉仏が上下し、短く赤い筋が入った。

「あたし、お腹すいてるの。とっとと答えないと、大変よ」

 双方を見比べ、そして思わず「あら」と呟く。象牙色のフードから覗いた顔は影になっているとは言え相当端正なものだった。どうせ仕事に繋がるわけもない。食事代だって本当に貰えるかは怪しい――まあ、いくばくかは戴くつもりだが――それだったら見目麗しい方を助けた方がいい。そうに決まっている。

「決めた。こちらに加担しましょ」

 お金はいいのか? という問いは勿論受け付けるはずもない。アイーシャは剣先をそのまま横に払った。さすがに今度は男も僅かに上体を反らしてかわす。

「なぜ、私を?」

「顔」

 にっこりと宣言してアイーシャは振り下ろされた斬撃を二本の剣で受け止めた。前蹴りの要領で距離を取ると小さな声で「マッキス」と呟く。

 アイーシャの白金色の髪を揺らす疾風が巻き起こる。すると傍らに白い体毛に黒い雲母うんもを散らした異常に大きい獣が現れていた。

「その人どっか連れてって」

 特に返事をすることもなく、マッキスと呼ばれた獣が青年の服の端を咥えると、恐ろしい力でその背に放り投げるなりそのまま走り出した。

「待て!」

 追おうとするもう一人の賊に向かって手近の石を拾って投げつける。振り返ったところにアイーシャ自身が躍りかかった。

「貴様、魔物使いか」

 何合か打ち合い、賊の切っ先がアイーシャの袖を掠める。だが、怯むことなく舞でも舞うような滑らかな動きで攻め込んでいく。高く足を上げ、賊の顎を蹴り上げた。上げたままの足で、まるで翻弄するように蹴りを繰り出し、最後に回し蹴りを放った。

 賊が吹っ飛ぶのを見送る暇はなかった。本能的に背後に迫る殺気に素早く剣を構えると、途端、金属的な音が響き、僅かにアイーシャの身体が後ろへと押し込まれた。

 相手は男、こちらは小娘。まともに打ち合って勝てるはずがないことは百どころか一兆くらい承知済みだ。それでもいっぱしの魔物使いとして仕事を受けるのだから己の力量がどのくらいのものか承知している。そして今の踏込で男の力量も知ることができた。

「なんで魔物使いがこんなところに」

 浴びせる攻撃が柳の如くしなやかにいなされ、男は肩で大きく息をついていた。

「どこの村だ」

「答えるわけないでしょ、馬鹿じゃないの?」

 村の名前を言えば所属がわかってしまう。僅かに残った魔物使いは狭い世界だ。廃れたとはいえ一応組織であり、村が組織の最小単位になる。規模など組織の全体像は一介の魔物使い程度にわからないが、請け負った仕事以外の戦闘は本来認められないのだから村の名前を明かすわけがなかった。

「有り金全部出したら見逃してあげるわ」

「ふざけるな」

 男の刃が上段から降りてくる。

「個性のない反応、個性のない罵倒、個性のない攻撃」

 軽く躱してアイーシャが呟く。銀色の輝きは呟きながらも軌跡を描いて乱舞する。右に左に躍る剣は男の身体の上を這うように滑っていく。

 幾度か立ち位置を入替え切り結び、仕上げとばかりに大きく跳躍した。男の肩を利用して背後に降り、回転する力そのままに振り上げた踵は綺麗に延髄へヒットした。紙吹雪よろしく男の黒装束がひらひらと舞い散り、そしてアイーシャの手元に巾着袋が落ちてくる。

「あらー。宿代、飯代が降ってきたわぁ」

 じゃらりとした感触。例え小銭ばかりでも結構な量だ。

「意外なところで意外な報酬。約束だからこれで命は助けてあげる」

 雑木林に向かって蹴りこまれた男達は出てくる気配がなかった。気絶をしているのかもしれないが、片方に至っては出るに出られぬ事情があることが分かっている。

「盗賊みたいだよ」

 腰に下げたポーチに巾着袋を収めると、呆れた声が降ってくる。

「いいんじゃない? 相手も悪者っぽいし。これで少しは善人になれたでしょ」

「どうして?」

「貧しい美少女を救ったじゃない」

「……だから、自分で言うなってば」


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