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 泣きつかれると、気持ちは落ち着いた。

 ドーソン先生は途中で帰ったが、メイリーンはずっと私の側にいて、私の背中をさすってくれていた。

 涙と鼻水をふくためのタオルを沢山用意してくれた。静かに私の側にいてくれた。

 私が無実の罪で糾弾された時、メイリーンに側にいて欲しかったと、泣きながら思った。

 誰も私の側にいてはくれなかった。

 私の両親は私に着せられた罪を知ると、絶縁の手紙を書いて寄越した。友人だと思っていた人達は誰一人として面会にも来てくれなかった。息子と夫は・・・

 「そういえば、あの人は?アレクサンダーは?」

 「旦那様は王宮です。お坊っちゃんはいらっしゃいますよ。お呼びになりますか?」

 「・・・鏡を見せて」

 鏡に映った自分は目を真っ赤に腫らしていた。でも、声をあげて泣いたせいか、スッキリとした顔をしていた。

 「呼んでちょうだい。あ、でも、待って、今何時?お勉強中じゃない?」

 「そうですね、でも、あともう少しで終わります。それまで目を冷やしますか?」

 メイリーンの言葉に、私は頷く。

 やはり、できた子だ。ドーソン先生が好きになるのもわかる。

 メイリーンは冷たい水を取りに部屋を出ていった。

 どっと疲れた頭で、ぼんやりと窓の外を見る。そとは良く晴れていて、庭の白い花が美しく咲いていた。小鳥が鳴き、平和そのものだ。

 こんな平和な時間は久しぶりだ。

 つい数時間前まで、私は処刑される恐怖に震えていた。

 いったい、誰がどんな目的で、私を殺そうとしているのか全くわからないままで・・・

 私が処刑台にあがるのは、あと半年先だ。

 メイリーンがレモン水と濡らしたタオルを持ってきてくれた。乾いた喉を潤し、目を冷やす。

 しばらくすると、扉がノックされた。

 「お母様、アレクです」

 息子の声がした。

 血の繋がった子ではない。私はこの館の主人であるワイマール卿の後妻だ。アレクサンダーは病死した先妻とワイマール卿との間に生まれた子だ。

 男の子であり、今年8歳になる。

 メイリーンが扉を開けると、赤毛の男の子が立っていた。少し恥ずかしげに、はにかんだ笑顔を浮かべていたアレクサンダーだったが、私の顔を見るとはっと顔を強ばらせた。

 「お母様?どうしたんですか?」

 そう言って駆け寄ってくる。

 「ご病気ですか?どこか痛いのですか?」

 私を気遣うその言葉に、また涙が溢れてきた。

 アレクサンダーはとてもいい子だ。私は、先妻の子であることを理由に、彼を遠ざけていた。子供相手にどう接していいのかわからず、私と仲良くしようとしていたこの子を、見て見ぬふりをしていたのだ。

 なのに、アレクサンダーは私が絞首刑に処されると決まったとき、手紙をくれた。一度など、私に面会しようと牢屋に忍び込もうとしたらしい。

 アレクサンダーは私の無実を信じてくれていた。

 こんなにも優しい子に対して、自分はなんて態度を取っていたのだろうと、後悔した。

 「お母様、どうしたんです?どうして泣くんですか?」

 アレクサンダーの困惑した声は、どんどん泣き声に変わっていった。

 私が泣くのを見て、彼も悲しくなってしまったようだ。なんでもないと笑ってやりたかったが、それはできなかった。

 私はアレクサンダーを抱き締めて「ごめんなさい」と謝った。

 「どうして、謝るんですか?僕、何かしましたか?それで泣いているんですか?」

 「いいえ、あなたはとてもいい子です。優しい子です。来てくれてありがとう・・・」

 そう言うと、アレクサンダーは私を抱き締めてくれた。

 「いつでも来ます、お母様・・・だから、泣かないでください」

 アレクサンダーは私を抱き締めたまま泣き出した。私もアレクサンダーを抱き締めたまま泣いた。



 その日、アレクサンダーは私の側を離れなかった。一緒に昼食をとり、庭を散歩した。アレクサンダーは勉強を休んで私の看病をすると言い張ったため、私も一緒に外国語の勉強をすることになった。アレクサンダーはフリネット語が苦手らしい。私は得意なので、これから勉強の手伝いができるかもしれないと思った。

 牢屋に一人でいた時、アレクサンダーからの手紙は心の救いだった。この子に恩を返したいと心から思う。彼が喜んでくれるのならば、いくらでも勉強に付き合おう。

 夜になり、アレクサンダーの教育係であるデイジーが彼を迎えに来た。

 「お母様、夜は、その・・・一人では寂しくないですか?」

 アレクサンダーは手をもじもじさせながら、そう聞いてきた。

 一瞬、牢屋で過ごした寂しくて恐ろしい夜を思いだし、泣きそうになってしまった。

 「少しだけ、寂しいですね。でも、大丈夫。メイリーンや他の人がいてくれます。あなたは?」

 「僕もちょっと寂しいです。でも、お祈りをすると、寂しくなくなります。お母様、知っていますか?」

 アレクサンダーが目をキラキラさせて、聞いてくる。私に教えたくてうずうずしているのだろう。

 私は実はその答えを知っていた。牢屋に居た時に、手紙で教えてくれたのだ。

 「知らないわ。そんなに良いものがあるなら、教えてくれない?」

 「いいですよ!」

 アレクサンダーは秘密のお祈りの言葉を教えてくれた。これは、彼の本当の母親からの手紙に書かれていたものらしい。彼にとって、大切な言葉なのだ。

 「ありがとう、今夜唱えてみるわ。あなたも唱える?」

 「はい、お母様がよく眠れるようにお祈りします。おやすみなさい」

 「ありがとう、アレクサンダー。おやすみなさい」

 アレクサンダーはデイジーに手を引かれて、自分の部屋に帰っていった。

 

 その日の夜は、なかなか寝付けなかった。

 寂しかったわけではない。ただ、一人になると、解けない疑問がどんどん沸き上がってきたからだ。

 どうして私は生きているのか?

 どうして時間が戻ったのか?

 それになにより、どうして私は有罪となり処刑されるまでに至ったのか・・・

 (それが最大の疑問だわ。私は何もしていない)

 牢屋の中で何度も自問した。しかし、心当たりは何もなかった。

 あんなに恐ろしい最期を迎えることになるほどの罪など、私は犯していない。

 (・・・半年後、また同じことが起きるのかしら?私の知らない誰かが、私を陥れるために今も動いている?)

 しかし、それが誰なのか、何故なのかもわからない。わからなければ、止めようがない。

 (ちょっと待って、それ以前にまず、今の私は本当に生きているの?もしかして、これは走灯馬というものではないかしら?)

 両手に顔を埋める。

 目を閉じるとなにも見えなくなる。

 今、肌に感じている着心地の良い寝間着の感触も、暖かな空気も、全てまやかしなのかもしれない。

 目を開ければ、また、あの冷たい床の牢屋に一人でいるのかもしれない。

 いや、今度こそ、断頭台の上で死を迎えるのかも・・・

 (・・・アレクサンダーにお礼は言えたし、メイリーンにも・・・死ぬ前の後悔は二つだけ減ったわ・・・)

 私はゆっくりと目を開ける。

 そこは、自分の部屋だった。

 柔らかいランプの灯りに照らされた、お気に入りの部屋だ。静かな夜。窓の外を見れば、美しい星が瞬いていた。

 暖かいベッド、用意された水差し、隣の使用人部屋にはメイドの一人が待機している。

 (どうすればいいのかしら・・・)

 安堵よりも困惑の方が勝った。

 私はこれから、どうすればいいのだろうか・・・

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