7話 教皇台下は「奇跡」を嫌う
「アストルムの現状はどうなっておる」
「は、特段問題は起きておりません。
人工迷宮はアストルムの名物として定着しておりますし、領主候補や魔道具職人の育成も順調です。
王都を中心に、アストルム全体の犯罪率も低下しております。
また、王であるウィルフリート殿は慈悲深く聡明な国王として国内外問わず評判が高く……」
「もうよい」
代り映えのない報告など聞きたくもなかった。
困惑するカンネリーノに下がるように伝え、手つかずだった紅茶を飲み干す。
冷め切ったそれは余の心を落ち着かせることはなく、怒りを煽る燃料にしかならなかった。
「忌々しい。聖人の皮を被った悪魔が……」
思い返せば、火の審判で奇跡を起こした時に始末しておかなかったのが失敗だった。
神や天使は人を管理するものではない。神は全てを生みだした創造主であり、天使は地上の様子を神に伝える使い。数多の種族がいる中で、人のみを気にかけておられるわけではない。
人を選別し、奇跡をもたらすのは神の代理人たる教皇の役割だ。
アーチェディアはその原則を破った。
どのような手を用いたのかは知らぬが、余の管理外で奇跡を起こした。それも三度も。
一度目は火の審判。
二度目は爵位授与式での悪魔の討伐。
そして三度目は即位式での天使降臨。
一度目と二度目だけならまだヴェンディミアの勇者として認定し、余の管理下に置けた。
あの男に第八枢機卿の位を与えたのは、枢機卿から勇者が排出されたという箔付けのためだ。
だが、任命の前に三度目の奇跡が起きた。
教皇とは神の代理人だ。しかし余は神の声はもちろんのこと、天使の声すら聞いたことがない。
特別なことではない。代々の教皇の中でも、神から直接啓示を受けたのは一握りだ。
余に素質がないわけでも、この地位に相応しくないわけでもない。
しかし、余に声すら届けなかった天使はアーチェディアの前には姿を現した。
のみならず、国の加護をも約束したという。
一時は悪魔に穢された国であったアストルムは、いまや天使の加護を受けた国に相応しい繁栄ぶりだ。
民は……いや、枢機卿達でさえ、余よりもあの男の方が教皇にふさわしいと思っておるのではないか。
アストルムの発展ぶりを耳にするようになってから首をもたげるようになった想像は、今や頭から離れなくなっていた。
あの男はさも余に心服しておるように振舞っているが、心の中では余を教皇の座から引きずりおろす日を狙っているに違いないのだ。
先代の教皇に取り入り、自らを教皇にするという神託を伝えさせたヴェッキオのように。
余が先に気が付いて対処したからよかったものの、危うく教皇位を奪われるところだった。
枢機卿の投票をもって次期教皇を定めるという伝統的な選出方法を蔑ろにしようとした先代とヴェッキオの過ちは、決して許されるものではない。
あやつが教皇になどなっていれば、世界は今頃さらに混沌としていたはずだ。
ヴェッキオにも他の枢機卿にも、世界をよき方向に導くために何かを切り捨てる覚悟はないのだから。
故に、アーチェディアも早急に排除せねばならない。あの男に教皇位を奪われる前に。
だが、この数年間行ってきた妨害工作はどれも失敗していた。
アーチェディアを陥れる噂の数々はすべて「悪質な流言飛語」として処理されて立ち消え、政治工作はヴェッキオによって防がれている。
差し向けた暗殺者の多くは行方知れずとなるか、その身を炭になるまで焼かれていた。
大勢の前で突如として燃え上がり、暗殺者のみを炭化させると自然に鎮火したのだという。
噂では王を害そうとした者に天使から罰が下されたのだと言われているが、馬鹿馬鹿しい。
おおかた、得意の魔法で天罰を演じているのだろう。
だが、おかげで近頃はあの男の暗殺を依頼しただけで断られる始末だ。
無論、どの工作も大元が分からぬように細工をしておる故、余に影響はない。
だが、物事が思うように進まぬのは腹立たしい。
こんなことなら、アストルムの王があの男への面会を求めてきたときに許可するだけでなく、ナイフの一つでも渡しておくのだった。
今にして思うと詰めが甘い。
……だが、あと数日でこのような苦悩も終わる。
数日後には勇者が召喚される。無論、神に選ばれし勇者を利用しようなどと考えてはいない。
ただ、悪魔の討伐を促すだけだ。黒い髪に青紫の目をした、人間の振りがとてもうまい悪魔を。
勇者は神と天使を冒涜する以外、何をしても罪にはならない。
たとえ一国の王を殺したとしても、悪魔だと勘違いしたのだと言わせればそれで済む。
第一、黒髪の悪魔は実在したのだ。
余はアーチェディアが悪魔を倒し切れておらぬと考え、勇者に警告を与えただけにすぎぬ。
誰が余を裁くことが出来ようか。神ですら、余の志を知ればお許しになるだろう。
アーチェディアを排除するのは私欲のためではない。世界の為なのだから。
悪魔という大いなる脅威に向かうには、すべての人間が力を合わせねばならない。
だが、指導者が複数いれば必ず派閥が出来る。時には愚者の口車に乗せられる者もおろう。
ひときわ優れた者が皆をまとめ、導いていくことこそ世界をよい方向に進ませる唯一の手段なのだ。
それを乱す厄介者はどれほど力を持ち、慕われておろうとも必要ない。
すべてはよりよい世界のために。
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「すいぶん緻密な召喚陣ですね」
「ヴェンディミアのみが持ちうる技術と知識を駆使して作られたものですから」
勇者を召喚するための準備が始まって三年後。予定通り、勇者が召喚される日がやってきた。
大神殿の床一面に描かれた召喚陣には古代魔術語や不思議な模様――傍にいた聖女によれば、天使の言葉らしい――が隙間なく描かれ、周囲には魔力を豊富に含む花や魔石などが配置されている。
これを描くのに三年間も掛かったというのだから、ヴェンディミアの人々はさぞ大変だっただろう。
「これほどの陣や素材を使い切りにするとはもったいないな」
「勇者様を召喚する際には、一度使用した召喚陣を使用してはならないという決まりがありますので」
魔法王が漏らした言葉に、聖女がそれが出来ない理由を説明してくれた。変わった規則だね。
そういえば、悪魔を召喚するときも陣を使いまわしてはいけないそうだよ。この前、雑談をしている最中にトレーラントが言っていた。
何か関係があるのかな。
「……太陽が昇りました。時間です」
考えている私の耳に、陣の外で待機していた神官の声が届いた。
召喚の儀式は太陽がもっとも天高く昇った時間に行なうと決まっているらしい。天使の力が最大限に高まり、悪魔の力が弱まる時刻だからと聖女が教えてくれた。
そのわりに、トレーラントはよく不死鳥と一緒に日向ぼっこをしているのだけどね。
「聖女様。手を」
それぞれの配置につこうと歩き出した聖女に、魔法王が手を差し伸べた。
生まれつき盲目だという彼女を心配したのだろう。
私はそんなことすっかり忘れていたよ。さすがだね。
「ありがとうございます。ですが、心配なさらず。
目が見えなくとも、私にはどこに何があるのか分かっておりますので」
「そうでしたか。余計な気を回してしまい、申し訳ない」
魔法王に告げた言葉通り、聖女の足取りはしっかりとしていた。
聖女に選ばれるには神に与えられるという様々な試練を乗り越える必要があるそうだから、それで慣れているのかもしれない。
そうでなくとも、ヴェンディミアは彼女にとって家のようなものだろうしね。
そんなことを考えながら召喚陣の端に赴き、事前に指定されていた場所に跪いて手を祈りの形に組む。
「父なる主よ。御使いたる天使よ」
俯いて目を閉じたとき、聖女の凜とした声が耳に届いた。
どうやら、始まったらしい。
「――神より使わされた、大いなる力を持つ者よ。
異なる世界より、我らの呼びかけに答えたまえ。主が創りし世界を護りたまえ」
聖女の言葉と共に、召喚陣が光を帯び出した。瞬きする間に魔力が抜かれていく。
このままこれが続くと、私はそのうち魔力切れを起こして倒れるだろう。
懐かしい感覚だ。魔力切れになるまで魔法を使ったのは、幼体のドラゴンを倒した時以来だからね。
次第に身体が冷えてきて、指先の感覚がなくなってくる。
朦朧としてきた意識をどうにか繋ぎ止めて、聖句を唱え続ける聖女の方を見る。
その時、召喚陣が一層強く光り輝いた。
残っていた魔力を一気に持ち去られたせいで身体から力が抜け、その場に倒れ込む。
さいわいなことに、魔力の吸収はそこで終わった。気は失わずに済んだようだ。
でも、当分は立ち上がれそうにない。
「この魔力は紛れもなく勇者様……ああ、よくいらっしゃいました!」
歓喜に満ちた声を上げた聖女に視線を向けると、誰もいなかったはずの召喚陣の中心に一人の青年が立っているのが分かった。
黒い髪。黒い瞳。見慣れない服装。それから膨大な魔力。
間違いなく、あれが「異世界から召喚された勇者」だろう。
私の感覚では、勇者は成人したてかもうすぐ成人する位の年頃に見えた。つまり、十五歳ほどだ。
でも纏う雰囲気は年の割に少々幼い。きっと、彼の世界ではまだ子供なのだろうね。
それから、この世界の者とはだいぶ趣の異なる顔立ちをしている。
私が勇者を観察している間、聖女は迷うことのない足取りで勇者に近づくとその場に跪いた。
ぼんやりと霧がかった赤い瞳には涙が浮かんでいる。
「ようこそおいでくださいました、勇者様。
私はベルティーア・レーア・ルビーノ。ヴェンディミアの聖女です」
聖女の言葉を聞いた勇者はぐるりと辺りを見回して、それから歓声を上げた。
「すっげえ、本当に異世界だ! テンプレ通りじゃん」
どうやら彼はこの状況について何かしらの知識があるらしい。
特に戸惑う様子もなく今の状況を飲み込んでいたし、そのあと聖女から勇者の役割について簡単に説明を受けた時もあっさりと受け入れていた。
私だったらきっと、見知らぬ世界に召喚された驚きと恐怖でしばらく口がきけないだろう。
神殿を破壊してその場から逃げ去る位はしたかもしれない。
だって、こちらの許可なく召喚してくる相手なんてどう考えても信頼できないじゃないか。
そう考えるとこの勇者は冷静だね。状況判断能力が高いのかもしれない。
「こんな美少女が迎えてくれる異世界とか、大当たりじゃん。転移した甲斐があったなあ。
あ、そうだ。ベルティーアのこと、ベルって呼んでいいか?」
「勇者様のお好きなようにお呼びください」
勇者の問いかけに、聖女が柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
この世界の人間がすれば不敬だと間違いなく処刑される言動だったけれど、それを咎める者はいない。
異世界の勇者は神と天使を貶める以外、何をしても罪にはならないからね。
もちろん、罪にならないだけで積極的に推奨されているわけではないよ。
もともとは勇者が無自覚に罪を犯してしまった場合の救済措置として設けられた制度であって、治外法権を与えるためのものではない。
ただ、勇者の地位は教皇と同等とされているから聖女への言動も不敬とされないだけだった。
この辺りの事情は、あとで導き手――つまり私と魔法王から勇者に説明することになっている。
魔法王はともかく、私にうまく話せるだろうか。なんだか、今から心配になってきたよ……。
「今はお疲れでしょうから、詳しいお話は後ほど致します。
既に部屋を用意してありますので、どうかそちらで身体を清めて、お寛ぎください」
「勇者様、どうぞこちらへ」
聖女の言葉が終わると同時に、カンネリーノが勇者の前に進み出た。
深々と頭を下げる彼をちらとも見ず、勇者が聖女に向けて軽く手を振る。
「おう。じゃ、またな。ベル」
神殿を出て行くカンネリーノと勇者をぼんやりと見送っていると、誰かの手が肩に触れた。
ヴェッキオ枢機卿だ。
「陛下。お身体の具合はいかがですか」
「控えめに言って、最悪です」
私の答えに、ヴェッキオ枢機卿は声を上げて笑った。
でも、事実なのだから仕方ないと思う。さすがに今は取り繕うだけの元気もないよ。
この後で勇者を歓迎する晩餐会があると思うと憂鬱だ。その前に導き手として挨拶に行くのが先かな。
ため息を吐きそうになるのを堪えた私の前に、菫色の魔石が差し出される。
「魔石を用意してございます。どうかお使いください。
陛下本来の魔力量と比較すれば僅かばかりの回復量にはなりますが、体調は戻りますので」
どうやら、彼はこうなることを見越して事前に魔石を用意していてくれたらしい。
ありがたく受け取って魔力を回復すると、体温が少しずつ戻ってきた。
魔法を使うには心許ないけれど、自力で立ってヴェンディミアに用意された自室に向かうことは出来るだろう。
魔法王の方を見ると、彼も別の枢機卿から魔石を渡されていた。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
「このようなこと、陛下と魔法王の貢献からすれば些末な気遣いにすぎません。
正確な計測はまだですが、召喚された勇者の魔力はおそらく、記録にある中でも随一でしょう。
きっと、悪魔を滅ぼしてくれるはずです」
ヴェッキオ枢機卿がそう意気込んでいたけれど、私には難しいように思えた。
確かに勇者の魔力は高かったけれど、それはこの世界の人間と比較した時の話だ。だいたいトレーラントの半分以下くらいかな。
悪魔と比較できるのだから十分すごいけれど、今の勇者では間違いなくトレーラントには勝てない。
それより魔力が上と言われているハープギーリヒ侯爵にも、当然勝てないだろうね。
力の弱い悪魔を一体二体倒すならまだしも、全滅は難しいのではないかな。
その推測は、もちろん口にしなかった。
言ったところで信用されないし、根拠を求められたら困るからね。
それに、私にとっては勇者が悪魔を全滅させられるかなど些末な問題だ。
勇者が持つ異世界の知識。それさえ得られれば、後はどうでもいいからね。




