3話 猫はご機嫌斜めのようです
魔法王の名前を挙げた途端、ヴェッキオ枢機卿は渋い顔になった。
ハープギーリヒ侯爵が以前「魔法王はヴェンディミアに嫌われている」と言っていたけれど、その言葉は事実だったようだ。
私に協力を要請しているのに彼の名前は挙がらなかったから、そんな予感はしていたのだけどね。
「確かにあの王は陛下同様に魔力が豊富ですが、信仰心がありません。
魔力無しに慈悲を掛けるだけでなく、エアトベーレの勇者という名誉を与えるなど……」
「彼の行いは問題かもしれません。ですが、その魔力は必ず勇者召喚の助けになります。
召喚の儀を行う理由は世界を、人々を救うため。
互いに手を取り合うことで護れるものが増えるのですから、ぜひ受け入れて頂きたいのです」
ここで魔法王の協力を拒まれるのは私にとって都合がよくない。
適当に聞こえのいい言葉を選んで訴えてみるとヴェッキオ枢機卿ははっと息を呑み、ついで深々と頭を下げた。
「失礼いたしました。正教会の矜持を重んずるあまり、我々の役割を忘れていたようです。
陛下のおっしゃる通り、我々は世界や民を救うために勇者を召喚する身。
魔法王の行いは罪深いとはいえ、世界に比べれば些末な問題。固執すべきではありませんでした。
大切なことを思い出させていただいたこと、感謝いたします」
どうやら、ヴェッキオ枢機卿は納得してくれたようだ。
これで納得してもらえなかったら、また天使の名を借りないといけなかっただろう。
「マクシミリアン陛下には私から協力を要請してみます。召喚はいつ頃行われる予定ですか?」
「おそらく、三年後になるかと。
召喚陣を描く際に必要な材料は貴重なものが多く、十年に一度しか咲かぬ花などもありますので。
悪魔に感づかれぬよう、ハープギーリヒ侯爵の指揮の下で慎重に用意を執り行っておりますのでどうかご安心下さい」
「頼りにしています」
ハープギーリヒ侯爵が指揮を執っている時点で、悪魔には筒抜けだと思うけどね。
悪魔が指揮している勇者召喚の儀で呼ばれる勇者は、果たして本当に悪魔を滅ぼせるのかな。
私としてはその知識さえ得られればどうでもいいのだけど、少し気になってしまった。
「異世界の知識から、魔素の供給方法を模索する。
世界間の差異を計算に入れた上での発想なら、よい考えだと思いますよ」
「今更だけど、そもそも勇者の世界で魔素は存在すると思うかい?」
「断言はできかねますが、可能性は高いでしょう」
彼にしては、なんだかずいぶんと漠然な答えだ。
思ったことが伝わったのか、トレーラントは尻尾をゆらりと揺らして口を開いた。
「僕は異世界の勇者を見たことがありませんし、勇者が生まれた世界についても詳しくありません。
ただ、召喚元と召喚先の環境があまりに異なれば勇者の生存すら危うい。
おそらく世界を構成する成分自体はさほど変わらないだろう、という推測に基づいての考察ですよ」
「君にも詳しくないことはあるのだね」
「物質であれ人であれ知識であれ、異世界から何かを得るには本来、大変な労力がいるのですよ。
僕の魔力をすべて使っても知識が僅かに得られる程度です。
異世界の知識を得ていることは悪魔にとってステータスになりますが、僕にとっては労力と得られるものが見合っていない。それだけの事です」
確かに、膨大な魔力を消費して得られるのが異世界の知識少々では割に合わない気もするね。
悪魔であるトレーラントの魔力を消費してもそれしか得られないのに、人間はよく勇者を召喚できるものだ。召喚陣に何か特別な仕掛けでもあるのかな。
「ですが、事が君の思い通りに運んだとしても勇者から知識を得るのは難しいと思いますよ」
「門外不出、というやつかい?」
以前トレーラントから聞いた話によれば、魔素というのは全ての源だ。
異世界でもその原則が変わらないのなら機密扱いにされていてもおかしくはない。
けれど、私の予想とは裏腹にトレーラントは首を横に振った。
「いえ、単純に勇者の知能の問題ですね。
聖フランチェスカによって召喚の儀が変更されて以来、召喚される勇者は教育中の子供ばかり。
魔力と身体能力こそ人間離れしていますが、頭の方は期待できませんよ」
「それは……あまりうれしくない事実だね」
魔法王のように聡明な子供も私のように愚鈍な大人も存在する以上、年齢で侮るつもりはない。
けれど、世間一般的には子供の方が知識が少ないことも確かだ。
召喚される勇者が、魔法王や弟のように頭の良い子供ならよいのだけど……。
「もう一つ聞きたいのだけど、いいかな」
「質問によります」
「勇者召喚の儀式で捧げる祈りと魔力量によって、召喚される勇者の力が変わるというのは本当かい?」
これは行動を起こす前に確認しておかないといけないことだった。
せっかく魔法王に協力を仰いでも、それに意味がなければ単なる無駄だからね。
「……その傾向はある、とだけ言っておきましょう」
「傾向?」
「異世界からの召喚は不確定事項が多いのです。
確かに、召喚された勇者の力とその際に消費された魔力量は比例する傾向にある。
しかし、ほぼ同量の魔力を捧げて召喚された勇者の力が倍ほども異なったという事例もあります。
ただ、召喚の記録を見る限り、捧げた魔力と比較して力の強い勇者が現れた事例は少ないながら存在しますが、その逆はありません」
つまり、完全に比例するわけではないけれど、魔力を使用した分だけ召喚される勇者の質は保証される……ということかな。
それならやはり、魔法王には協力してもらおう。
ヴェッキオ枢機卿の話を聞く限り、勇者の召喚は何回も行える類のものではなさそうだからね。
そうと決めたら、早速魔法王に手紙を書くことにした。
引き出しから、アーチェディア家の紋章が入った便箋を取り出して机に向かう。
さて、書き出しはどう書けばいいかな……。
その時、何かが窓を叩く微かな音が耳に届いた。
鳥か何かだろうかと音のする方に視線を向けて……思わず目を擦る。
「手紙?」
窓を叩いていたのは、青い封蝋が捺された上質な封筒だった。
何を言っているのか分からないと思うけれど、私もよく分からない。
様子を見ている間にも段々と窓を叩く音が大きくなっていることに気がついて、慌てて窓を開ける。
このまま放っておいたら、封筒に窓を割られかねない。
「エアトベーレの紋章ですか」
僅かに開いた隙間からするりと入り込んできた封筒は、迷うことなく私の手の中に飛び込……む前にトレーラントによって狩られていた。
咥えた手紙を机の上に放り出したあと、まだ動いている封筒を前足で押さえつけている。
君、行動がだんだんと猫になってきていないかい?
トレーラントが言っていた通り、封筒にはエアトベーレの紋章入りの封蝋が捺されていた。
手紙に残った魔力と空飛ぶ封筒から、差出人は大体予想がつく。でも、いったい何の用なのだろう。
不思議に思いながら封を開けて便箋を取り出し、中身に目を通す。
そこに書かれていたのは、私には願ってもない誘いだった。
突然手紙を送るような不躾な真似をして申し訳ない。
先日、妻が子を産んだ。妻によく似た男の子だ。
そのお披露目の式にぜひお招きしたい。
式は一月後を予定しているが、出席して頂けるだろうか。
簡潔にまとめれば、こんな事が書かれていた。
魔法王が婚約者と結婚してからもう一年半が経つ。第一子を儲けるにはちょうどいい時期だ。
それに、私にとっても都合がいい。
少しでも質のいい勇者を召喚するために、彼にはぜひとも協力してもらわないといけないからね。
何事もなく、引き受けてくれればよいのだけど……。




