2話 勇者への捧げもの
君の魂と身体を繋ぎ合わせてから一ヶ月が経った。
今のところ、魔素を供給する方法は見つかっていない。
不死鳥やジークにも聞いたけれど、手掛かりは得られなかった。
今はひとまず、ヴェンディミアの機密文書館やアストルムの隠し書庫で本を読み耽っているよ。
トレーラントや不死鳥ですらわからないことが書物に書かれているとは考えづらいけれど、手掛かりくらいは見つかるかもしれないからね。
もっとも、成果はまだ上がっていない。
古代ヴェンディミア語や魔術文字に詳しくなったくらいかな。
おかげで古書や魔術書の解読がはかどるようになった。
あと、聖書にも詳しくなったよ。こちらは、役に立つとはあまり思えないけどね……。
いつものように心の中で君に語り掛けていると、重厚な鐘の音が耳に届いた。
祈りの時間が終わったらしい。きりもいいから、そろそろ戻ろうか。
長時間同じ姿勢を取り続けていたせいかところどころが痛む身体を動かして、その場を後にする。
「陛下。取り急ぎ、ご報告がございます」
普段なら朗らかな声でこの後の予定や民の近況について話してくれるヴェッキオ枢機卿の様子が、この日は少し違っていた。
やや緊張した面持ちに何かしただろうかと思い返すも、特に心当たりはない。
私に対する嫌悪感や怒りは感じられないから、糾弾されるわけではないと思うのだけど……。
「どのような報告でしょうか」
表向きは平静を装いながら頷いて、ひとまず彼の話に耳を傾けることにする。
王というのは面倒なことが多いけれど、この地位でなければ手に入らない情報も多くある。それらを精査し終えるまでは、王の座にあり続けられるよう努力するつもりだよ。
「二年前、陛下は第七天使フェネアン様から加護を受けられました。
これは、千年前に聖フランチェスカが第一天使アロガンシア様から加護を受けて以来の奇跡です」
聖フランチェスカ。
第一天使に加護を受けた聖女として、彼女の名前は有名だった。
その功績や奇跡は今でもなお多くが語り継がれている。
中でもよく語られる功績は、異世界から召喚した勇者と共に自律教会を滅ぼしたことだろう。
自律教会は教会と名乗ってはいるけれど、その実態は悪魔を崇拝する異端だ……とされている。
魔素について調べる際に自律教会の聖書を少し読んでみたけれど、悪魔を崇拝しているというよりは悪魔も崇拝しているだけのように思えたけどね。
正教会が説く「右腕を切り落とされたなら残りの腕も差し出し、抱擁せよ」とは逆に「右腕を切り落とされたなら左の腕で反撃せよ」を説き、「悪魔は人を堕落させる」という主張とは逆に「悪魔も神が作りし存在であり、彼らはただ我々の願いを叶えるだけの存在である」と主張する。
正教会にとって、真逆の思想を持つ自律教会は確かに異端だったのだろう。
聖フランチェスカは、彼らが崇拝していたとされる悪魔ごと自律教会を滅ぼした。
彼女の話を持ち出してきたヴェッキオ枢機卿の言いたいことは大体予想が付く。
「あの時も、悪魔達は人間に紛れて世界を支配しようとしておりました。
第一天使アロガンシア様は愛すべき人間を忌まわしい悪魔から護るため、聖フランチェスカに加護を与えられた。第七天使フェネアン様が陛下に加護を与えられたのも、悪魔の暗躍に対する警告……。
我々はそのように捕らえ、この二年間密かに調査を続けてきました。
調査によっては我々の懸念が杞憂に終わる可能性も考え、哀れみ深い陛下に心労を掛けぬようこれまで事を伏せておりました。
報告が遅れたこと、どうかお許し下さい」
赦しを請われても、私はただ頷くことしか出来なかった。
悪魔が世界を支配しようとしまいとどうでもいいし、許さないといえる権利はないからね。
「調査の結果は?」
義務感から口にした問いかけに、ヴェッキオ枢機卿は真剣な目で答えた。
「あいにく、悪魔が世界を支配しようとしている痕跡は見つけられませんでした」
「それなら――」
「おそらく、悪魔達も隠れて行動することを学んだのでしょう。
この二年間、悪魔達は全く姿を現さなかった。それが却って不自然なのです」
活動してもしなくても怪しいのなら、どうしろというのだろうね。
そんなことを考えながら、ヴェッキオ枢機卿の話に黙って耳を傾ける。
「ヴェンディミアでは現在、一時凍結されていた勇者召喚計画が再度始動しております。
そこで陛下には、聖女と共に勇者を召喚して頂きたいのです」
「……私が、勇者を?」
それまでぼんやりと聞き流していた言葉に予想外の提案が混ざって、思わず聞き返してしまった。
さいわい、ヴェッキオ枢機卿は私がただ驚いただけだと思ったらしい。
力強く頷いて、話を続けた。
「異世界から勇者を召喚するには大量の魔力と人々の清らかで真摯な祈りが必要です。
捧げる魔力が多く、祈りが強いほど力の強い勇者が召喚されるといわれております。
陛下はそのどちらにも当てはまる。どうか、協力を願えないでしょうか」
拒むつもりはなかった。問いかけの形を取ってはいるものの、実質は単なる要請だ。
断れば理由を尋ねられるだろうし、今のところ特に拒む理由はないからね。
逆に、勇者の召喚を望む理由も――。
……勇者のいる世界でも、魔素の供給方法は確立されていないのだろうか。
ふと、私の脳裏をそんな疑問がよぎった。
勇者が暮らしていた世界は、私たちの住むよりもずっと文明が発達していると伝えられている。
自動で走る馬車や、魔力を使わずに灯る魔力灯が平民の暮らしにまで浸透しているそうだ。
それなら、魔素を供給する方法が確立されている可能性は皆無ではない。
確実ではないし、仮に予想が当たっていてもこの世界では使えない方法である可能性は十分にある。
でも、手掛かりにはなるはずだ。
それは、必ず勇者の召喚を行おうと決意を固めるには十分な理由だった。
「聖女様の助けになれるかは分かりませんが、力添え致します」
「陛下は天使フェネアン様の加護を受けられた聖者。
その清らかな祈りは、間違いなく強力な勇者を召喚する力になるでしょう」
清らかかどうかは分からないけれど、そうだね。強い祈りにはなると思うよ。
……ああ、そうだ。
「勇者召喚に関わるのは私だけでしょうか」
「召喚の儀には我々枢機卿や高位の神官も参加しますが、主に祈りと魔力を捧げて頂くのは陛下と聖女の二名になります」
「確か、捧げる魔力と祈りが豊富なほど力の強い勇者が召喚されるのでしたね」
「そのように言い伝えられております」
「それでしたら、協力して頂きたい方がいます。彼を招いても構いませんか?」
「陛下が選ばれた者でしたら。どなたを招かれるのでしょうか」
幸いにも、ヴェッキオ枢機卿はすんなり頷いてくれた。
それなら、さっそく招くとしよう。きっと協力してくれるはずだ。
「エアトベーレ国王、マクシミリアン陛下を」
彼と私が魔力を捧げれば、きっと質のいい勇者が召喚されるはずだ。
その時が楽しみだった。




