24話 いつでも一緒
今夜は満月だった。
だからといって、何があるわけでもないのだけど。
妻の妹が幽閉された地下牢やその周囲には、見張りは誰一人立っていなかった。必要がないからね。
唯一の扉は複数の魔術師によって封じられているし、窓は片手がやっと通るほどの大きさしかない。
床も壁も天井も私が保護の魔法を掛けたから、外からも中からも出入りは不可能だった。
もちろん、私は可能だよ。
保護の魔法を解いてもいいけれど、せっかくだから魔術師達の腕を試してみることにした。
他の者が掛けた魔術を破るのは久々だから、どこまで綺麗に破れるか楽しみだ。
固く閉ざされた扉に手を当てて魔力を流すと、壁と扉を繋いでいる魔術がじわじわと溶けていった。
時間にして三秒ほどだろうか。個人的にはなかなかいい出来だと思う。
封印前の状態に戻った扉を開き、中に入る。
「だ、誰!?」
扉が響く音は思いのほか響いたせいか、妻の妹が怯えた悲鳴を上げた。
それに私が答える前に、後ろにいたトレーラントがするりと私の横を抜ける。
「僕ですよ」
「あなた……ラージュ? ラージュなのね」
彼女のすぐ傍に膝をついたトレーラントは、いつもと違って優しげな笑みを浮かべていた。
どうやら、彼女とは知り合いらしい。どこで知り合ったのだろうね。
「助けに来てくれたの?」
「君を解放することが、ユリウス・ブリーゼとの契約でしたからね」
その名前を聞いて、灯りに照らされた少女の瞳が大きく見開かれた。
昼間の処刑を思い出したのだろう。唇をきつく噛み締め、何かを堪えるように俯いている。
そんな彼女を見下すトレーラントの視線は、ほんの一瞬前まで向けていた優しげなものとは打って変わってひどく冷たいものだった。
本当に、演技が得意だね。私も見習いたいところだ。
「ユリウスの……それじゃあ、あなたはユリウスに会ったのね」
「ええ。ほんの少し前に」
「こんな事を言ってはいけないけれど、どうしてユリウスだけでも逃がしてくれなかったの?
彼だけでも……逃がしてくれれば……あんな、あんな熱くて苦しい思い、しなくて済んだのに」
堪えきれなかったのだろう。彼女の声は次第に震え、終いには手で顔を覆って泣き出してしまった。
震える肩に、トレーラントの手がそっと触れる。
「そんなに彼に会いたいですか?」
「会いたい……会いたいわ」
「どんな手を使っても?」
その問いかけに、彼女ははっきりと頷いた。
涙に触れた顔を上げて、トレーラントの目を見つめる。
「方法が、あるの?」
「ええ。僕は博識ですから。
ただ……この方法は君にとって、あまりよいものではないのです。
僕としては、このまま何も聞かなかったことにして逃げて欲しいのですが……」
言いづらそうに口ごもって、トレーラントはそっと視線を下に向けた。
それなら最初から思わせぶりなことを言わなければいいじゃないか……と私は思うのだけど、彼女は思わなかったらしい。
「ラージュ」とトレーラントの偽名を呼んで、その手を握る。
「どんな方法だろうと、ユリウスに会えるのなら構わないわ」
「ですが、君は僕を軽蔑するかもしれません。僕にはそれが怖いのです」
「そんなことしない。だから、教えて」
詰め寄る彼女に躊躇う素振りを見せたあと、やがて決意したように「分かりました」と顔を上げた。
もっとも、彼の中ではユリウスと会う方法を教えることは既に決まっていたのだろうけど。
「――では、僕と契約してください。そうすれば、いなくなってしまった彼とも会えます」
「契約? そういえば、あなたさっきもユリウスと契約したって……」
何かに勘づいたのだろう。そこまで言いかけて、少女が息を呑んだ。
さすが、妻の妹だ。勘がいいね。
妻も仕事の話なら私が言いたいことは大体理解してくれた。
「私が思っていることが間違っていなければ、あなた……あなた、人間じゃないのね」
「ええ。僕が恐ろしいですか? それとも……」
トレーラントの言葉はそこで途切れた。
その先は何を言いかけたのか、と問いかけることなく、少女が首を横に振る。
「怖くは……ないわ」
「僕は君が嫌う悪魔そのものなのに?」
「でも、あなたは姉様を殺していないでしょう。
そんなに優しげな目をした悪魔が、姉様を殺すはずはないわ」
少女の問いかけに、トレーラントは優しげに微笑んだ。
嘘はついていないね。来たるべき時が来たら悪魔を召喚するため、今は夢魔の女王の下にいるだけだ。
もっとも、悪魔を召喚するその時まで夢魔の非常食として飼われ続けることがいいことなのか悪いことなのか、私には分からないけれど。
「だけど、どうして私とユリウスを会わせてくれるの?」
それはもちろん、君と契約して得たいものがあるからだよ。
……なんて、トレーラントは言わなかった。
「僕は……」と言って目を伏せる。
「本来なら、悪魔は召喚されない限り契約を持ちかけてはいけないのです。
でも、君は僕がこうして持ちかけないと決して悪魔と契約しようなどと思わないでしょう。
君の願いを叶える手段を、僕は持っているのに。
規則を破ったことが知られれば、僕はきっと罰を受けるでしょうが……それでも、君の願いを叶えたかった」
トレーラントの声はとても真摯で、だけどどこか辛そうだった。
先ほどから思っていたけれど、やはり演技が上手だね。それに私と違って嘘一つ付いていない。
これがトレーラントがよく口にする「スマート」ということなのかな。
「僕には、人間の気持ちがよく分からない」
「私には分かるわ。あなたが私にどんな気持ちを抱いているのか。
だから、私に王の情報を流してくれたのね」
私の情報? どんな情報かな。
君に話しかけることが趣味とか、毎日神に祈りを捧げる振りをして君へ何を話すか考えているとか、夜には必ず君とお酒を飲んでから眠るとか。
そんなことを話されていたら、少し恥ずかしい。
「そうかもしれません」
私が部屋にいることを悟られるわけにはいかないから声を出さずに恥ずかしがっていると、トレーラントが話を続けた。
こちらに構うつもりはないらしい。まあ、気遣われてもそれはそれで困るのだけど。
「姉様を殺した悪魔のことは、いまでも恨んでる。
もしあなたが単なる悪魔だったら、契約を持ちかけられても断ったでしょうね。
でも……あなたのことだけは信用できる。
…………ユリウスに会わせて」
ああ、なるほど。
彼女の言葉を聞いて、どうしてトレーラントが回りくどい演技をしたのかようやく理解できた。
彼女は妻を殺した(本当は死んでいないのだけど)悪魔をとても憎んでいる。
普通に誘っては、契約を拒絶されていただろう。
どんなに絶望していても……いや、絶望したからこそ。
彼女が復讐を決意したのは妻がいなくなり、彼女の家が取りつぶされたことが原因のようだからね。
要するに、私と悪魔とヴェンディミアのせいだ。彼女の中では。
その一員である悪魔に契約を持ちかけられて「はい契約します」とはいかないだろうね。
かといって、悪魔であることを隠して契約を持ちかけることは出来ない……のだと思う。
トレーラントは今まで、必ず自分が悪魔であることを明かして契約していたからね。
そういう決まりなのか、あるいはトレーラントのこだわりなのかは知らないけれど。
私はただ彼女の心を折ればそれで済むと思っていたのだけど、そうではなかったようだ。
一つ、いい勉強になった。
「分かりました、といいたいところですが……」
「どうしたの?」
「僕は悪魔です。契約を結ぶ時には、必ず報酬をもらわなければならない」
報酬と聞いて彼女がびくりと肩をふるわせた。
悪魔との契約には魂が必要とされるが通説だ。それを思い出して恐ろしくなったのだろう。
実際には私が彼との契約に魂を使っていないように、割と何でもいいのだけど。
「もちろん、君の魂をもらおうなどと考えているわけではありません。
ただ一つ、僕が望んだ時に僕の願いを叶えてくれればいいのです」
「願い? それって、どんな……」
「……僕は、それが必ず叶うと分かるまでは決して望みを口に出せない臆病な性質です。
好きな相手に名前を呼んでもらいたいという些細な願いも、確証がないと言い出せない」
「かわいい願いね」
トレーラントの言葉に、少女が口を緩ませた。
かわいいかな……外堀から着実に埋めてくる相手って、かわいいのかな……。
少なくとも、私はこわいと思う。
「分かったわ。ユリウスと会う代わりにあなたの望みを一つ叶えると、リーゼ・フォン・シュトゥルムの名に誓って約束する」
「では、契約成立ですね」
トレーラントの手に、少女がそっと触れた。
これで契約成立だ。
「それで、ユリウスはどこにいるの?」
「すぐに連れて行きますよ。君を解放することが、彼との契約でしたからね」
トレーラントが指を鳴らすと、途端に少女の姿が掻き消えた。
事前の契約通り、ユリウスという青年の元へ送られたのだろう。
青年の願い通り、少女はこの部屋から解放される。
少女の願い通り、青年と再び会うことが出来る。
私はトレーラントとの契約を果たすことが出来たし、トレーラントも目標に近づくことが出来た。
うん、全員にとっていい終わり方だったね。
考え事に耽る私を一瞥して、トレーラントが口を開いた。
「帰りますよ」
「ああ……ところで、私がここへ来た理由はあったのかい?」
必ず来るようにといわれてきたけれど、結局私の出番は一切なかった。
いや、もし私が乱入していたらきっと話はこじれたはずだから、それでいいのだけどね。
でも、正直私がここへ来る意味はあったのかな。
内心首を傾げる私を振り返って、トレーラントが「何を今更」と肩をすくめた。
「勉強になったでしょう」
「そうだね。特に、君の演技は参考になったよ」
「当然でしょう。僕は優秀ですからね」
褒めたつもりなのだけど、どうしてかトレーラントの機嫌は悪そうだった。
参考になった、ではだめだったかな。
「演技ではなくて、契約への誘い方ですよ。
なんらかの理由で信用を失っている場合、君が以前したように別人を装うのも手ですが今のように搦め手で契約させる方法もあります。
僕はあの方法をあまり好みませんが、知識として持っておいて損はないでしょう」
どうやら、トレーラントは彼なりに私を気遣ってくれたらしい。
悪魔を装うことはもう出来ないからね。
私に彼の言う「絡め手」を使えるだけの知識や機転があるかはさておき、いい勉強になった。
「ありがとう。参考にするよ」
「そうなさい」
改めて礼を言うと、トレーラントは満足したようだった。
今の姿に尻尾はないけれど、あったらきっとゆらゆらと揺れているのが見られたのではないかな。
そんなことを言えば怒られてしまうから、言わないけどね。
「ウィルフリート」
「今行くよ」
入口近くで足を止めてくれた彼を追って、私は誰もいなくなった部屋を後にした。




