22話 復讐の顛末
直接顔を合わせた上にヒントまであげたのに、男は結局、私のことなど欠片も思い出さなかった。
馬鹿な男。嘘でも頷いておけば、楽に死ねたかもしれないのに。
男から手を放して立ち上がり、その身体を蹴り上げる。
それでも抵抗一つしないのは……いいえ、出来ないのは毒が回ったせいね。
男に使ったのは、罪を犯した貴族に与えられる「慈悲の毒」と呼ばれるものだった。
表面上は眠るように安らかに死ねる代物よ。
身体が痺れているからそう見えるだけで実際にはとても苦しい思いをするそうだけど、姉様を殺して国中の貴族を死に追いやったこの男にはお似合いだわ。
毒が回るまで少し時間はかかるけれど、邪魔が入る心配はないわ。
警備兵達は今頃、森と遺跡の迷宮の鎮火に忙しいでしょうから。
偶然じゃないわ。傭兵に依頼したの。
油を撒いてから火をつけるようにと指示してあるから、鎮火には手間がかかるでしょうね。
森の迷宮は自然が多いからきっと盛大に燃えているはずよ。
この騒動に気がつくのは一体いつになるのかしら。
それに、部屋の扉は魔法で固く閉ざしてあるから簡単には開かないわ。
開いたとしても、男はすでに死体になっているでしょうけど。
「ねえ、どんな拷問をされたい?
私は優しいから、最初は選ばせてあげるわ」
返事はもちろんなかった。舌が痺れているから当然ね。
でも、恐怖は感じているはずよ。この毒は、意識だけは死の間際まで残るそうだから。
魔法も権力も使えなければ意味がない。
自分を守るものが機能しないと分かった今、この男はどんな気持ちなのかしら。
「そうね……まずは、その目をくりぬきましょうか。
姉様の事も、その妹である私のことも少しも覚えていなかったくらいだもの。
現実を見る気がないなら、目なんて必要ないでしょう?」
鞄からナイフを取り出して男の目に近づけると、柔らかな何かが手の甲に触れた。
思いがけない感触に、ついナイフを取り落としそうになる。
それを嘲笑うかのように「みゃあ」と小さな鳴き声が耳に届いた。
「猫……」
手に触れたのは、さっきまで男の頭の上に陣取っていた薔薇色の瞳の猫だった。
飼い主が倒れて心配しているのか、身体をぴったりとくっつけて寄り添っている。
部屋の暗さに毛皮の黒が紛れて気がつかなかったのね。
「ど、退きなさい!」
正体が分かると猫なんかに驚いた自分が急に恥ずかしくなってきて、思わず声を荒げてしまった。
でも、猫は退かない。それどころか静かにこちらを見据えている。
まるでこちらを嘲り笑っているように思えるのは、私の気のせいなのかしら。
「邪魔する気?
傷つけられたくないなら、さっさとそこを退いてちょうだい」
ただ見られているだけなのに、まるで全てを見通されているような気分だった。
首尾よく男を捕らえられたことへの高揚感と達成感はいつの間にか消えている。
代わりにあったのは、猫に見下されているような気持ちにさせられた事への苛立ち……。
……違う。
私は、あの猫が怖かった。
たかが猫と分かっているのに、魔法使いの勘がこれ以上この猫に関わってはいけないと言っていた。
馬鹿馬鹿しい。
頭の中でうるさく鳴り響く警報を理性でねじ伏せる。
だって、あれは猫だもの。そう、そうよ。構う事なんてないわ。だって猫だもの。
それよりも早く、男に復讐しないと。
時間稼ぎの手は打ったとはいえ、いつ警備兵がやってくるか分からない。
こんなことで時間をとられている暇はないの。
黒猫を視界に入れないようにしながらナイフを握り直し、男に視線を戻す。
その瞬間、ナイフが手から落ちた。
続いて、私の右手もその場に落ちる。
……右手?
「ああ、苦しかった。
毒で苦しんだのは子供の頃以来だよ」
平然とした顔で立ち上がったのは、毒で倒れたはずの男だった。
なんで、どうして、あなたは倒れたはずでしょう。
聞きたいことはたくさんあるのに、そのどれもが言葉にならない。
私はその時、手首から先がなくなった右手を抱えて叫んでいたから。
みっともない。叫んだところで、手は戻ってこないのに。
頭の中では冷静に判断できているはずなのに、身体は混乱しきっていた。
落ちた手を拾いたくても、左手は右手首の先からあふれ出る血を抑えるのに必死で動いてくれない。
痛みを止める魔法を発動したくてもその方法が分からない。
魔法って、どうやって使うものだったかしら。あんなにたくさん勉強したのに何も浮かばない。
そのうち立っていることすら困難になって跪いた私の頭上から、笑い声が降ってきた。
「君が時間を稼いでくれて、助かったよ。
そうでなかったら、解毒魔法を発動させるまでに痛い思いをしないといけないところだった」
男の言葉に応えるように、上機嫌な猫の鳴き声が室内に響いた。
魔法を発動させるには一定の集中力が必要だ。それを欠くと失敗してしまう……今の私のように。
解毒魔法の存在は知っていてもあの状態で使えるとは思っていなかった私にとって、男が毒の苦しみを乗り越えたという事実は衝撃的だった。
だって、あの男は魔法と顔以外に秀でたところのない、それどころか欠点しかない屑なのよ。
姉様を、家族を、国中の貴族を殺した大罪人なのよ。
悪い人は最終的にその報いを受けるのではないの?
「それで結局、君は誰なんだい」
痛みに喘ぐ私の傍に屈んで、男が問いかけた。
途端、頭に血が昇って痛みが一瞬気にならなくなる。
「私は……私は、姉様の妹よ。あなたの、妻の」
「妻の妹? ああ、言われてみれば目が似てるね。
妹がいたなんて、すっかり忘れていたよ」
まるで世間話をするかのような、軽い調子の言葉だった。
やっぱり、所詮はこの男にとって姉様なんてそんなに軽い存在だったのね。
本当に好きなら、愛しているなら、妻のことは全て覚えているはずでしょう。
……でも、いいわ。
この状況では、一旦撤退してもう一度計画を練り直すなんて出来るはずがないもの。
私は囚われて処刑されるんでしょう。わかっているわ。死ぬことは怖くないの。覚悟していたから。
だけど一つだけ。ほんの少しでもいいから、男を傷つけたかった。
気を抜けばその場で無様にのたうち回りそうになる痛みを堪えてどうにか男を見据え、口を開く。
「殺したいのなら、殺せばいいわ。今更、そんなことに躊躇はないでしょうけど。
あなたの作った迷宮を二つも燃やせたことを思えば、後悔はないもの」
「燃やした? 何か仕掛けていたのかい。心配だな……」
予想していたとおり、私の言葉に男は僅かに顔を曇らせた。
「それなら、確かめてみようか」
でもそれは一瞬だった。壁に取り付けられた大鏡へ歩み寄った男が曇りのない鏡面に手を当てる。
途端、今まで映し出されていた拷問部屋の風景が波打って別のものへと変わった。
現れたのは――。
「……うん、大丈夫そうだね」
「どうして……」
現れたのは、何ら変わったところのない二つの迷宮だった。
炎はおろか煙すら映っていない。騒ぎが起こっている様子さえなかった。
「君が何を企んでいたのかは知らないけれど、私よりも力のある魔法使いか魔術師でなければ迷宮は燃やせないよ。
全ての迷宮に保護の魔法を掛けてあるからね」
「そんな……そんなはず、ないわ」
愚かな男がそんなことに気を回せるはずがない。
だって、それなら私の計画は全て無駄だったということになる。
愕然とする私を無視して祭壇に歩み寄った男が仕掛けを動かした。
がたりと音がして、宝物庫に続く階段が現れる。
「リーゼ様!」
「来ないで」
今にも駆け寄ってきそうなユリウスを言葉で押しとどめた。
復讐が失敗してしまったことは、もう認めざるを得ない。でも、まだやらないといけないことがある。
ユリウスのためにも、これだけは成功させないといけなかった。
「リーゼ。それがお前の本当の名か」
男のそばに寄り添った騎士が冷たい目で私を見下ろした。
彼はきっと、私が加害者で男は被害者だとしか思っていないのでしょうね。
本当は、あの男こそすべての元凶なのに。
「そうよ。言っておくけれど、これは私の、リーゼ・フォン・シュトゥルムの正当な復讐よ。
姉様はそいつに殺されたの。私の家族も、友達も、みんな。
奪われた側が奪った側に復讐して、何が悪いの」
「シュトゥルム? ということは、お前は陛下に危害を加えたという宰相の……」
兄様があの男を殺そうとしたことを知っていたのか、騎士の顔が険しくなった。
その目を見据えて、言葉を続ける。
「ええ。悪魔の影響を受けすぎて救う手立てがないと見限られて首を跳ねられた、ユルゲン兄様の妹よ。
でもこれは、悪魔も神も関係ない。私がすべて考えたの。そこの従者は単なる手駒でしかないわ。
邪魔を入れたくなかったから、騎士を遠ざけるよう命じただけ」
「リーゼ様、なにを……!?」
ユリウスは愕然としていたけれど、今の言葉を撤回する気はなかった。
成功しようが失敗しようが最初からこうするつもりだったの。
何度言っても彼は私から離れようとしなかったし、私も復讐を止める気がなかったから。
これなら、どちらの意思も曲げずに済むでしょう。
大丈夫。暗殺は失敗したけれどこれは上手くいくわ。この国では貴族の発言が重視されるもの。
平民であるユリウスの証言と私の証言が食い違えば、間違いなく私の証言が採用されるはず。
途絶えそうになる意識をこらえて、出来る限り傲慢な貴族に思われるよう言葉を紡ぐ。
「落ちぶれたとはいえ、私は侯爵の娘よ。私だから、この計画を立てられたの。
平民と一緒に処刑されるなんて屈辱、味わいたくないわ。分かったら、彼をさっさと解放しなさい」
「もちろん、本当に彼がこの事件と無関係だと分かったら解放するよ」
拘束されている私と立ちすくむユリウスを眺めて、男が穏やかに微笑んだ。
表向きは取り繕っているみたいだけど、どうせ心の中は憎しみで煮えたぎっているんでしょう。
気が済むまで私をいたぶればいい。その覚悟はしていたもの。
全てを失った私には、もうユリウスしか残っていない。
彼さえ無事なら、私はどんなにつらい拷問でも耐えられるから。




