12話 本日はよい処刑日和なようです
「お久しぶりです、陛下」
戴冠式を終えてから約一か月。私は久しぶりに陛下の元を訪れていた。
今回はトレーラントが時間を作ってくれたわけではないよ。陛下からの要望だ。
処刑前に一つだけ希望を叶えられる制度を利用されたらしい。
表向きは、第八枢機卿である私に懺悔をしたい……ということに、なっている。
ヴェッキオ枢機卿は断ってもいいと言っていたけれど、断る理由はないから受けることにした。
陛下が私に対して何をおっしゃりたいのか、気になったのもある。
「息災のようだな、ウィルフリートよ」
陛下は以前面会した時と全く変わっていなかった。空色の瞳が一瞬周囲を見回して、安堵の色を宿す。
身に着けたブローチが仄かに暖かくなったように思えたのは、きっと気のせいではないだろう。
用意されていた簡素な椅子に腰かけると、陛下が待ちかねたように話し出した。
「聞いた話によれば、そなたはアストルムの王になったそうだの」
「よくご存じで」
陛下が私の現状を知っていることに驚きはなかった。
悪魔と契約した者の財産は全て没収される規則があるけれど、国王ともなればある程度は自由に愛用の家具や装飾品、服を持ち込むことが出来る。
持ち込んだ装飾品を看守に握らせて、外の情報を得たのだろう。
「余のいない今、アストルムがどのようになっているのか心配で聞き出したのだ。
驚いたぞ。そなたが王となり、日々国のために祈りを捧げていると聞いた時にはな。
そなたは本来王となるべき器ではないが、なってしまったものは仕方ない。
短い時間だが王としての心構えを教えよう。長らく余の人形であったそなたでもアストルムの歴史と名誉を守り、民を導けるように」
「……ありがとうございます」
どうやら、陛下が今日私を呼び出したのはそれが目的のようだった。
陛下が心配されるのはもっともだと思うよ。私も自分が王に向いているとは思わないからね。
それからしばらくの間、私は陛下に王が行うべき執務の内容やその処理の仕方を教わった。
陛下の指導はとても丁寧だったよ。まるで、私がごく普通に王位を継いだかのようだった。
問題は、私が陛下から教わったことを使う機会はまずないだろうということかな。
しばらくすると鐘が鳴った。面会時間の終了が近いという合図だ。
以前陛下に面会に来たときは聞き逃していたようだったけど、今回はちゃんと聞こえたよ。
「時間か。早いものだな」
それまで熱心に王としての心構えを語っておられた陛下は、心の底から残念そうにため息をついた。
確固たる光を秘めた瞳が私を見つめる。
「ウィルフリート。最後に一つだけ言っておく。
あの悪魔の言うことは信用してはならぬ。
そなたは、余が教えた通りにアストルムを治めていくのだ。
そなたはヴェンディミアの人間に好かれておるようだから、あの者たちを利用すれば苦ではなかろう」
「……陛下が何をおっしゃりたいのか、私にはわかりかねます」
これは誤魔化したわけでも話を逸らしたいわけでもなく、事実だった。
なぜ唐突にトレーラントを信用してはならないと言い出すのか、それと私がアストルムを治めることとどのような関係があるのか、私にはわからなかったから。
「悪魔は言葉巧みにそなたを誘惑しておるようだが、それに騙されてはならぬということだ。
余を裏切った悪魔の手口を見たであろう? 今は優しい顔を見せていても、あの悪魔はいずれ裏切る。
やがては、そなたを利用してアストルムを支配しようと試みるだろう」
陛下の言葉に、一瞬胸がざわついた。
トレーラントの言葉は確かにわかりづらいし、常に親切に説明してくれるわけでもない。
ただ、彼は決して嘘をつくことはなかった。
彼が私を捨てることはあるかもしれないけれど、その時は裏切るのではなく堂々と契約破棄を言いつけてくるだろう。
それに、彼は私を利用してアストルムを支配しようなどとは考えていない。
彼の目的は知っている。それに国の支配は関係ない。
「お言葉ですが、陛下。私が契約したのは――」
「分かっておる。そなたが契約を結んだのは、あの平民が関係しておるのであろう。
だが、あの男はもう死んだのだ。国の統治に平民は必要なかろう。
そなたは心が弱いから悪魔に唆されたのであろうが、これからはアストルムの王。
悪魔とは縁を切り、よき王としてアストルムを治めるのだぞ。
処刑された、そなたの親友のためにもな」
……本当に、陛下は私の使い方をよく知っている。
君のためといえば、私が王としての勤めを懸命に果たすのだと思っているのだろう。
残念なことに陛下の考えは当たっていた。
君の故郷である限り、私はアストルムの存続のために働くだろう。
例えそれが、君の死のきっかけを作った陛下の望みだと分かっていても。
普段なら、私はきっと陛下の言葉に頷いていた。
実際によき王として振舞えるかはわからないけれど、ここで反論しても仕方ないからね。
陛下は明日の昼には処刑される。トレーラントの誘いに乗らなかった陛下を絶望させたところで意味はない。それは、私にも分かっている。
でも、今の私はあまり冷静ではなかった。
「陛下。最後に一つだけ、謝罪したいことがございます」
「謝ることなどない。確かにそなたは余の手から逃げ出し、悪魔と契約した。
しかし、それは悪魔が言葉巧みにそなたを誘惑した故。
そして、そなたの心が弱いことを計算に入れていなかった余の責任だ。
悪魔に頼るのではなく、多少強引でもそなたに罪を着せて隷属させればよかったの」
陛下の言葉を聞いても、今度は心がざわつくことはなかった。
平素の声を出すように意識しながら口を開く。
「いいえ、陛下。謝罪したいのはそのことではないのです。
私は陛下がおっしゃる通り、王に向かない身でした。
本来は民のことを考えて政を取り仕切らねばならないのに、つい考えてしまうのです。
……なぜ私が、親友を奪った国を存続させなければならないのか、と」
私の言葉に、それまで上機嫌だった陛下の顔が僅かに歪んだ。
それでも平静を保っているのはきっと、アストルムがなくなればエテールも消えてしまう。私がそのような選択をするはずがないと考えているためだろう。
アストルム王家に連なる者だけが持つ空色の瞳を眺めながら、更に言葉を続ける。
「確かに、ヴェンディミアは私を気に入っています。
ヴェンディミアから派遣された政治家たちの政策に口を出さず、祈りばかり捧げていますから。
穏健に他国を支配するための駒として、私は最適でしょう」
私がどれだけ操りやすいか、陛下はよくご存じのはずだ。
そしてきっと、看守から聞いた話と私が話が表現は違えど内容は一致していると気づいたのだろうね。
精悍な顔はわずかに青ざめていた。
「陛下。私はアストルムも陛下も憎い。そして、その思いをどうしても捨てきれなかった。
私はとても心の弱い人間ですから、復讐の誘惑に負けてしまったのです。
ですから、私はこれから退位するまで傀儡の王として振舞おうと思います。
民にとってみれば、ヴェンディミアの属国というのは悪い話ではないでしょう。
あの国の豊かさは陛下もご存じの通りですから。
アストルムの文化や地名は多少変わるかもしれませんが、私が望めばエテールは存続するはず。
私はそれで満足です」
もちろん、これは嘘だった。
ヴェンディミアは決して、アストルムを属国として扱うことはしないだろう。
少なくとも、今の教皇がその地位に就いている間は。
むしろ、アストルムに干渉しすぎていると取られないよう苦心しているほどだ。
「そなたは……そなたは、アストルムを他国に売り渡すつもりなのか!
確かにそなたの言う通り、ヴェンディミアに下れば暮らしは向上しよう。
だが、アストルムの矜持はどうなる。名誉は、歴史は!
そなたはそれでも、アストルムの貴族なのか!」
けれど、陛下はその嘘を信用したらしい。
声を荒げて、アストルムの歴史や独立の重要性を何度も説いている。
私の年齢から考えると、退位するまで五十年近く掛かる。
ただでさえ強大なヴェンディミアの支配が浸透するには十分な時間だ。
次の王がよほど優れていなければ、その影響力を退けるのは困難だろう。
私を使ってアストルムが他国から侵略されることを防ぎ、逆に他国を侵略することで国力を高めようとしていた陛下にとって、私の計画は受け入れがたかったのだろうね。
陛下がアストルムの行く末を気にする必要は、もうないというのに。
「伯爵位を継ぐとき、そなたは神と余にアストルムの民を守ると誓ったではないか」
「それを剥奪されたのは、陛下でしょう」
「……そなたが望むなら、いくらでも謝罪しよう。
アストルムを他国へ売り渡すことだけは止めてくれ」
先ほどまでとは打って変わって、陛下の目には縋るような色が浮かんでいた。
よほど、アストルムを思う気持ちが強いのだろうね。さすがは陛下だ。
もっとも、私には何の効果もないのだけど。
火傷しそうなほど熱くなったブローチに一度触れて、笑みを作る。
「分かりました。では、明日の朝までに私が陛下を憎んだ理由をお答え下さい。
正しい答えを言って頂ければ、考えます」
「それは……余がそなたの父を殺し、親友を見殺しにしたためではないか?」
陛下の答えに、私は「合っている」とも「間違っている」とも言わなかった。
いつものように曖昧に笑って、席を立っただけだ。
「ウィルフリート」と私を引き留めるために伸ばされた陛下の手を払う。
「よくお考え下さい、陛下。
陛下に残された時間は、残り僅かなのですから」
そう言って、部屋を後にした。
私を呼ぶ声が、扉を閉めた途端に途切れて聞こえなくなる。
陛下はきっと、今から最後の時間まで悩み続けるだろう。
どのような答えを出したところで、私が陛下が望む答えを返すことはないとも知らずに。
私はただ「答えた理由が正解であれば、アストルムの将来を考える」と言っただけだ。
「正解したことを陛下に告げる」とは言っていない。
返事がないのは誤った答えを返したためだと考えるのは陛下の勝手だし、貴重な時間を浪費するのも陛下の勝手だからね。
最期まで悩み苦しめばいい。
どうせ、陛下には私が陛下を憎む全ての理由は分からない。
結末は同じだろうから。
翌日、陛下の処刑は速やかに行なわれた。
炎がその身を包む瞬間まで陛下は私に向けて何か叫んでいたようだけど、私の耳には届かなかった。
きっと、席が遠かったためだろうね。
「うるさいですね」
ただ、一緒に来ていたトレーラントは不愉快そうに顔をしかめていた。
猫は耳がいいと聞くから、私の耳では拾いきれない声も拾ってしまったのかな。
すまないね、と謝るとトレーラントは「全くです」と機嫌悪そうに尻尾を揺らした。
「必要に駆られたわけでもなく、ただ憎しみのために絶望させるほどあの男を憎んでいたなど今初めて知りましたよ。
以前は自責の念ばかり抱いているように見えましたので」
「そうだね。いろいろ考えるうち、少し変わったんだ。
でもそれは、私個人の勝手な感情だから知らせる必要は無いと思って」
それに、きっとトレーラントには理解できないだろう。
契約させるためでも、その契約を遂行させるためでもなく、ただ自分の感情のままに他者を陥れて悦に浸る人間の気持ちなど。
理解する必要は無いし、それはとてもしあわせなことだと思う。
そう言うと、隣で丸まっていたトレーラントの尻尾が私の太ももをぴしゃりと打った。
猫の力とはいえ、滑らかな毛皮に覆われた細い尻尾に強く打たれるのはなかなか痛い。
「僕が何を理解し、何を幸福と感じるかは僕が決めます。
ウィルフリート。君は僕と離れてから、妙に自分だけで物事を完結させたがりますね。
所有物にそのような権利があると思うのですか」
「君、前に私に対して「もう少し自分で考えて動け」と言っていなかったかい」
「自分で考えて動くことと、その考えを知らせないことは別です。
所有者である以上、所有物を管理する権利と義務が僕にはあります。
ウィルフリートに選択権はないのです。余計なことは考えず、抱え込む前に僕に言いなさい。
人間はただでさえ低脳なのに、どうして更に性能を落とすようなことを自ら選択するのですか」
とても遠回しな言葉だったけれど、要は悩みがあるなら話せと言われているのだろう。
悩みに気が取られては、成功させられる計画も失敗してしまうかもしれないからね。
トレーラントがいないことに慣れてしまったせいか今回の件も事後報告になっていたし、いつしか陛下に対して抱くようになっていた感情も自分の中に仕舞い込んでいた。
所有者であるトレーラントからしてみれば、不満を抱いてもおかしくはないだろう。
私が失敗すれば、トレーラントの計画も遅れるからね。
「……きっと、私はもともと陛下に怒りや憎しみを抱いていたのだと思う。
エミールが処刑されたのは私のせいだけど、きっかけを作ったのは陛下だ。
彼の死を済んだことのように扱われて、君に騙されていると言われて、それが表に出てしまった。
陛下を絶望させたところで私にも君にも利はないから、隠しておくべきだったのだろうけど……失敗してしまったね」
身勝手で醜い理由を聞いても、トレーラントは普段のように鼻で笑うことはなかった。
ただ「それで、満足していますか」と問われただけだ。
少し考えて、その問いに頷く。
「自分でも馬鹿な理由で陛下を絶望させたものだと思う気持ちはあるけれど、後悔はしていないよ」
「それなら結構。
人間が動く理由など愚かで自分勝手なものばかりなのですから、満足しているのなら十分でしょう」
そう言って、トレーラントが一度だけ私の腕に尻尾を巻き付けた。
よく手入れされた毛皮の滑らかな感触が、沈んでいた心を宥める。
トレーラントの言うとおり、胸の内を吐き出すだけでもだいぶ違うものだね。
「楽になったよ。ありがとう」
「ここ最近、手入れをしていませんでしたからね。
所有者としての義務を果たしたまでのことです」
それだけ言うとトレーラントは私にも陛下の処刑にも興味をなくしたらしく、毛繕いを始めた。
邪魔をしないように視線を陛下の方へと移し、身に着けていたブローチの位置を調整する。
そのうち、陛下の身を包んでいた炎が消えた。
強い火力で焼かれたため形を留められなかったのだろう。
後にはただ、真っ黒な灰が微かに残るだけだった。




