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悪魔の道具は今日も真摯に絶望させる  作者: 紫苑
4章 悪魔の道具は今日も真摯に呪いを解く
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10話 本日は絶好の企み日和のようです

「全く、愚かな人間ですね」


 部屋に戻ってすぐ、黒猫は優雅な仕草で私の腕を抜け出して整えられたばかりのベッドに陣取った。

 長い尻尾がぴしゃりと(柔らかなベッドの上だから、その形容詞通りの鋭い音は鳴りそうになかったけれど)皺一つないシーツを叩く。

 「野良猫」と言われたことがよほど腹立たしかったらしい。


「僕のことをなんだと思っているのでしょう」

「何って……猫じゃないかな」


 私の答えに「全く、失敬な」とトレーラントは鼻を鳴らした。

 でも、どう見ても毛並みのいい黒猫にしか思えない姿を見て猫らしい扱いをしようとしたヴェッキオ枢機卿や兵士達に落ち度は全くないと思う。


 もっとも、私にとってはヴェッキオ枢機卿や顔も覚えていない兵士達の印象よりもトレーラントの機嫌の方が重要だ。

 トレーラントがいくら彼らを不愉快に思ったとしても危害は加えないはずだけど、それが原因で機嫌が悪くなれば私に矛先が向くだろうからね。


「それだけ上手に黒猫に変化できていたということだと思うよ。

 ところで、魔力を感じないのはその首輪のおかげかい」

「ええ。ようやく調整が済みました。

 これで僕の魔力を抑えることが出来ますし、長時間つけていても気分が悪くなることはありません」

「すごいね」

「当然です、僕は優秀なのですから」


 そう言って、トレーラントはつんと澄ました顔をした。

 ただ、尻尾は先ほどまでの叩きつけるような動きからいつものゆらゆらとした動きへと変わっていたから、それなりに効果はあったらしい。

 それを指摘したら間違いなく怒られるから、言わないでおくけれど。


「まあ、いいでしょう。それで、どうでしたか」

「どう?」

「スロウス・フォン・アーチェディアと……先輩と話したのでしょう」


 そう言って、トレーラントの薔薇色の瞳がちらりとこちらを見上げた。

 先ほどまで上機嫌に揺れていた尻尾は、今はシーツの上で忙しなく動いている。

 顔を合わせてすぐに尋ねるほど気に掛かっていたのだろう。


「最初は私についての話をして……それから、私の先祖と結んだ契約を遂行するようにと言われたよ」

「ああ、アストルム王家が途絶える瞬間を見ろというものですね」


 トレーラントはスロウスと私の先祖が結んだ契約について知っていたようだった。

 ただ、まさか私が王家を滅ぼすとは思っていなかったようだけどね。

 当たり前か、私も最初は想定していなかった。


「では、王が最後に処刑されるよう調整するとしましょう。

 彼は僕と契約しなかった唯一の人間ですからね」

「助かるよ」

「当然です。機会があるのに契約を遂行出来なければ、悪魔の沽券に関わりますからね」


 トレーラント曰く、悪魔にとって先払いの契約というのは普通の契約よりも扱いが難しいものらしい。

 普通の契約なら、遂行できなくとも最悪「受け取った報酬を返してなかったことにする」というやり方が取れる。

 もちろんそれはあまり褒められたものではないけれど、ともかくやり直しは効く。

 ただ、先払いの契約はそうもいかない。


 契約を遂行する機会自体がなかった場合、悪魔が得をするだけだ。

 でも、その機会が巡って来たときには他の契約よりも優先して遂行するものだと言っていた。

 もし達成できなければ罰があるし、悪魔の矜持や名誉も傷つくからね。

 トレーラントはきっと、スロウスの矜持や名誉が傷つくことを嫌ったのだろう。

 彼はスロウスの様々な表情を見たいだけで、貶めたいわけではないようだから。


「それから、目の魔法に勘づかれたよ」

「先輩に?」

「ああ。以前、別の悪魔に教えたことのある魔法だから気がついたといっていた」

「おや……あんなに昔のことを、覚えていたのですね」


 スロウスが言っていた「どんな魔法でもすぐに習得する優秀な悪魔」がトレーラントではないかという私の予想は当たったらしい。

 もともと忙しなく動いていた尻尾が今やちぎれんばかりに振られている。


 確か、猫が尻尾を振るのは怒っているときではなかったかな。

 まあ、中身はトレーラントなのだし反応が違っても当然なのかもしれないけれど。


「僕は優秀でしたから、すぐに先輩から教わることがなくなってしまいましてね。

 何か、先輩が知っていて僕が知らないことがないかと考えたのです。

 僕にとって先輩は古い悪魔でしたから、当然古い魔法も知っているだろうと思って尋ねたのですが……先輩は知らなかったのですね」


 教えて貰うときにはそんなことは一言も言われなかったから、もとからある知識を教えてくれたものだと思っていたらしい。

 「言ってくれればあんな我儘は言わなかったのに」と口では言いつつも、どこか嬉しそうだった。

 自分のために苦労して魔法を習得してくれた、ということが嬉しいのかもしれない。


 私も、君が「毒を警戒しないで食事が出来るように」とスープを作ってくれたときは嬉しかった。

 君は「初めて作ったから下手だけど」と苦笑いしていたけれど、私にとってあの野菜のスープは何よりもおいしく感じられたよ。

 君が作ってくれたからかな。それとも、君と一緒に食べたからかな。

 君が蘇ったら、また一緒に食事をしたいね。


「誤魔化すのに苦労したよ。別の魔法に変えられないのかい」

「変えても構いませんが、それはそれで疑われますよ。

 第一、先輩が気がついたのは例外です。ハープギーリヒ侯爵は気がつかなかったでしょう。

 あの魔法は痕跡が残りにくいのですから、他の魔法を使用するよりもよほど安全です」


 言われてみればそれもそうだね。指摘されたからといって魔法の種類を変えれば、再び顔を合わせたときに「何故変えたのか」と怪しまれかねない。

 上手く誤魔化すことは出来たのだから、このまま現状維持を続けるのが一番いいだろう。


 ……分かってはいるのだけど。


「でも、どうして古い魔法を使ったんだい。

 スロウスは、あの魔法は視界を共有するものと言っていたよ。

 その間は、自分の周囲に注意を向けにくくなると……危険じゃないか」

「確かに、僕の意思で発動させられないのなら危険ですね。

 ですが、あれは僕の任意で発動させる魔法。使うべき場所と時を僕が選べないと思いますか」

「思わないけれど、利点が少ないのではないかな」


 スロウスの言葉が正しければ、あの魔法が他のものよりも優れている点は「細かなところにまで注意が払える」というものしかない。

 そう言うと、トレーラントは呆れた目でこちらを見上げた。


「それは伯爵の主観でしょう。

 細かなところに重要な情報が隠れている場合は多々あります。

 自分の意思で回避できる不利益よりも、大切なことを見落とさずに済む利点を取ったまでのことです。

 特に伯爵は見落としが多いですからね」

「それは……すまないね」


 暗に私が原因なのだと告げられては、謝るしかなかった。

 私が大切なことを見落としがちなのは事実だからね。


「ところで、私はもう伯爵ではないよ」


 伯爵位を失ったわけではないから「伯爵ではない」という言い方は正確にはおかしいのだけど、一般的には伯爵とは呼ばれないはずだ。

 そう告げると、トレーラントは珍しく返事を迷ったようだった。

 一拍置いてから、言葉を選ぶようなそぶりでゆっくりと口を開く。


「……それくらい、分かっていますよ。

 名前を呼ぶのが癪に障るだけです」

「私、君に何か悪いことをしたかい……」

「いいえ。至らない点は数えきれないほどありますが、今は関係ありません。

 僕の勝手な感想です」


 よかった。そこまで言われるほど酷い事はしていないらしい。

 トレーラントが一つため息を吐いて言葉を続ける。


「まあ、いいでしょう。王位を得た者を伯爵と呼び続けるのもおかしな話ですからね。

 今度からは、ウィルフリートと呼ぶことにします」

「陛下とは呼ばないのだね」

「何故、僕が人間を敬称で呼ぶ必要があるのです」


 うん、確かにその通りだ。

 名前を呼ばれることはあまりなかったから反応できるか不安だけど、そのうち慣れるだろう。


 呼ばれ方が決まったところで、今度はトレーラントがいない間に起きた出来事を話した。

 錘を手に入れたことと、それを手に入れるためにレーベンが私を罠に掛けたこと。そしてハープギーリヒ侯爵と取引を交わしたこと。


 そのどれもトレーラントは把握していたようで、特に驚かれることはなかった。

 ただ、レーベンが私から錘を奪おうとした話をした時は顔をしかめられたけどね。

 怒ったのだろうか、と不安になった私の考えを読み取ったかのようにトレーラントは首を横に振った。


「その件は、ウィルフリートの責ではありませんよ。レーベンが暴走したのは僕の配慮不足です。

 彼が僕に従う理由を、もっと早くに伝えるべきでした」


 そう呟いて、トレーラントが深くため息を吐いた。


「彼も、蘇らせたい人がいるんだね」

「ええ。全く、愚かなことです。少し考えれば無駄な行為だと理解できるでしょうに。

 ……もっとも、僕が言えることでもありませんが」


 最後にそう付け加えたトレーラントは、どこか疲れているようにも見えた。

 猫の表情なんて人間である私にはよく分からないから、気のせいかもしれないけれど。


 ちなみに、ハープギーリヒ侯爵と取引をしたことに関しては何も言われなかった。

 ただ「そうですか」と頷かれただけだ。

 あまりにあっさりとした反応だったから、思わず「いいのかい」と私から尋ねてしまったほどに。


「構いませんよ。人間同士での取引でしょう。

 ハープギーリヒ侯爵が悪魔であっても、向こうが人間として取引することを望んだのなら悪魔の規則は適応されません。ウィルフリートの魂が取られることはありませんからね」

「よかった。叱られるのではないかと心配していたんだ」

「僕はウィルフリートの保護者ではありませんよ。

 その瞳と魂は僕のものですから勝手に扱うことは許しませんが、それ以外なら好きになさい」

「君、すごいことを言うね……」

「文句があるのですか?」

「もちろんないよ」


 陛下……つまり、アストルムの前王とトレーラントの取引によって私は既にトレーラントのものになっていたからその主張はもっともなのだけど、改めて宣言されると変な気分だ。

 なにせ、自分の身体と魂なのに所有権は私にないのだから。

 まあ、トレーラントにはその感覚が理解できないようだったけれど。


「それなら結構。ただし……」


 ただし? と首を傾げた時、膝の上に微かな重みを感じた。

 トレーラントが私の膝に飛び乗ってきたためだ。

 珍しいこともあるものだと思う間もなく、右手の甲をぱしりと叩かれる。

 さほど痛みはないけれど、私を見つめる彼の目は剣呑だった。


「僕の許可なく身体を傷つけるとは、何事ですか」

「……レーベンから錘を取り返した時のことを、怒っているのかい」

「当然でしょう。全く。少しは所有物としての自覚を持ちなさい」


 どうやら、魔法で自分の右手ごとレーベンの腕を貫いたことを怒っているらしい。

 侯爵と取引したことやレーベンに攻撃したことを叱られるとは覚悟していたけれど、まさかそれを咎められるとは思っていなかったよ。


「ウィルフリートが傷を負えば、それだけ多くの人間と契約する機会が失われるかもしれません。

 ひいては、僕の計画が狂う可能性も出てくるわけです。

 僕の所有物である以上、その程度のことは想定して動いてほしいものですね」

「これからはそうするよ」

「よろしい」


 私の謝罪に、トレーラントはひとまず満足したようだった。

 猫特有のざらりとした舌が手の甲を舐めると同時に、微かな痛みが引く。

 ちょっとくすぐったいけれど、それを言うと怒られそうだから言わないでおこう。


「それから、戴冠式の日に聖女達の目の前で天使を呼び出したそうですね」

「ああ。王になってから早々にやりたいことがあってね。その為の地盤固めになるかと思って」

「聞かせなさい」


 トレーラントに促されて、今日提案したアストルムに謎解きをメインにした迷宮を作る計画を話した。


「ウィルフリートにしては、面白いことを考えますね」


 話を聞き終えたトレーラントがそう言って、上機嫌に尻尾を揺らした。


「人を大勢集めて魔道具を配布し、適当な者を転移魔術で転送して隔離する。なかなかいい案です」

「エテールの時のように、訪れた人間全てを契約させるわけにはいかないけどね。

 上手く行けば、それなりの人数を契約させることが出来るはずだよ」


 迷宮を踏破した際に魔道具を配布することを提案したのは、魔道具職人の質を向上させたり話題性を狙ってのことではない。

 転移魔術を仕込んだ魔道具を、その中に紛れさせるためだ。


 魔道具の構造自体は難しいものではない。

 手にして数日から数か月後、周囲に人が誰もいない時に転移魔術が発動するだけだ。

 転移先は私の部屋に作成した隠し部屋。

 そこに転移させられた人間は私が一生懸命絶望させて、トレーラントと契約させる予定でいる。


 アストルムは名物が出来て、職人は見習いでも魔道具を作成する機会が増える分腕を磨けて、私はトレーラントとの契約を仲介することが出来て、トレーラントは人間と契約できる。

 みんなが得をする、いい作戦だと思う。


「懸念すべきは、魔道具の構造に詳しい人間が仕掛けを見破らないか。

 そして、迷宮に挑んだ人間が姿を消すと悟られないかですね」

「その対策も考えてあるよ」


 まず、迷宮と行方不明者を関連付けられてしまう可能性。

 これに関しては、ともかく人をたくさん呼ぶことが一番の対策だと思う。

 迷宮を訪れた人の数が多ければ、何人かが姿を消したとしても()()()()()()()()姿を消したとは考えられにくくなる。


 それに、迷宮に挑む者の多くは冒険者になる予定だ。

 常に死と隣り合わせの彼らがいなくなっても、普通の人間が消えるよりは疑われにくいと思う。


 次に、仕掛けを見破られてしまう可能性。

 これは正直、私も悩んだ。私は魔法使いであって魔道具職人ではないからね。

 一応偽装の魔法をかけるつもりだけど、本職の目を誤魔化せるかは不安だ。

 だから詳しい者に協力してもらうことにした。


「それは構いませんが、信頼のおける相手なのでしょうね。

 もしドワーフや妖精に協力を求めるつもりなら考え直しなさい。

 あの種は他種族には理解しがたい独自の価値観で動きます。人間が交渉するのは困難ですよ」

「大丈夫だよ。ちゃんと人だから」


 正確に言えば、元・人かな。

 そう言うと、トレーラントの薔薇色の瞳が私をじっと見つめた後、胸元に移動した。

 それから「なるほど」と感心した様子で頷く。


「君の先祖は魔道具に詳しかったですね」

「ああ。せっかく魂を封じ込めたのに、王家の最期を見届けるだけではもったいないと思ってね」


 トレーラントが見つめていたのは、私の胸元に飾られた空色のブローチ。つまり、私の先祖の魂(スロウス曰く「思考と人格」らしいけど)が封じられた魔道具だった。

 ブローチに使われているのは宝石ではなく魔石だ。そして、魔石はゴーレムの核になる。


 先祖を封じた魔石を核に使ったゴーレムなら、私の思い通りの魔道具を作ってくれると……思いたい。

 確証はまだないから、失敗したら別の方法を考えるよ。


 残された問題はこの作戦が成り立つほど人を集められるかなのだけど、こればかりはやってみないことには分からない。

 君のためにも、私のためにも、そしてアストルムのためにも、成功して欲しいのだけどね。


「ウィルフリートにしてはいい考えです。成功することを期待しましょう」

「頑張るよ」


 私が魔法を使えば、迷宮の建設はすぐに終わるだろう。

 また契約を仲介する日が楽しみだよ。

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伯爵が悪魔と契約するきっかけとなった話
日陰で真実の愛を育んでいた子爵令嬢は神様に愛されていると信じていた

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